チベット記6

ジョガン(大昭寺)。
7世紀後半の吐蕃時代の古寺だ。
当時強大だった吐蕃王国は唐に婚姻を迫り、唐の皇女をむかい入れた。
ジョガンの本尊「釈迦牟尼像」は、
皇女文成公主が641年にチベット王ソンツァン・ガンポに嫁ぐ際に持参してきた、とされる。

早朝からジョガン前の広場には祈りを捧げる人々が屯す。





門前で例のチベット流の礼拝、五体投地、をする人々。







例によって裏口のようなところから入る。

釈迦牟尼の堂内は凄い混雑だ。
釈迦像に頭を擦り付け念仏を唱える。
チベットは勿論、中国各地からの信者がこの釈迦像をお参りに来る。
一人一人それをやるから大変だ。
長い行列は想像を絶する。
やがて、若いお坊さんが交通整理を始める。
一人一人の頭を像の胸元にあてがい、ポンと肩を叩く。
「ハイ!終わり!」
お坊さんに急かされ不満そうな顔もある。
このお祈りの為に何日も掛けてやって来たのかも知れない。

三階からのポタラ。






 

 

 



建蔚が一人一人を立たせて記念写真を撮る。
彼らの先祖はチベット系と聞く。

広場に戻る。









このジョガンの周囲がバルコル(八角街)と言って、
ラサの旧市街なのだ。

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旧市街をゆっくり歩いて小昭寺へ向かう。

 

 

 

 





此処も混んでる。
巡礼達の礼拝ルートの一つになっているようだ。

チベットの何処のお寺にもあるグルグルと廻すもの、
マニ車というのだそうだ。
廻してみると意外にずっしりと重い。
ラサに着いた初日、
偶然、バルコルを一周したが、
その時に見掛けた巡礼達が手に手にしてグルグル廻していたのが小型のマニ車、
これも左回りに廻し、巡礼達も左回りに廻る。

 


20041028
ラサの北方8kmのほどにあるセラ寺。





岸壁を背にして規模の大きなお寺、
最盛期には5500人もの僧侶が居たそうだ。
多田等観、河口慧海等も此処で修行したとか。

 

 

 

お坊さん達の問答修行の場に出っくわした。
若いお坊さん達が手振り足振り、問答を繰り返す。





両手を挙げ「ムニャムニャ、ムニュアムニャ、どうだ!!」
パチン、と掌を打ち据える。
二人ずつ対になってるようだ。
やがて、二人は交代して同じ仕草で問答を始める。

此処の主尊は馬頭観音、
鎮座する姿は滑稽でもある。


夜は魚鍋料理。
鯉だろうか。



 

 

また、白酒の乾杯だ。
今日からお湯割にすることにした。
「何を勿体無いことを!」
とも良いたげな皆の視線を感じる。
彼らにとっては、
さしずめ、大吟醸を水で割るような感覚なのだ.

建飛に何度も何度も電話が入る。
責任ある地位の彼は多忙を極めている筈だ。
家族の面倒に私までおまけが付いた。

j建蔚と建飛との間には漣が漂う。
二年前、建蔚に、
「彼はどうした?」
と聞いたら、
「知らんぜよ、アメリカへ行っちゃったよ」
なんてことも有った。
今回こうして両家族が一同に会したのは確定的なのだろう。
私としても念を押して置きたい。
聊か照れ臭い事だったが、
「私は、二人の結婚式に出席できないかも判らない、
してもって、今夜、二人に結婚お祝いを贈りたい」
と,
お祝儀袋を手渡した、しどろもどろだ。
「まだ、日時が決まってないから」
とかナントカ押し問答があった。
しばらくして、
時々厳しい視線を娘に送っていた建蔚の父上が、
「収めておきな」
と言った様だ。

明日は350km離れたシガチェ、Hさんのお勧めのところだ。
期待で胸が高鳴る。


チベット記1(香格里拉)、チベット記2(梅里雪山)、
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チベット記7(ノルブリンカ離宮、西蔵博物館)、チベット記8(ラサの街角、ラサの病院)、
チベット記9(ラサ裏通り、ソンキョ・ルカン公園、パラルブ寺、マニ塚)、
チベット記10.完(拉沙苞姑尼姑寺、バスツアー、ラサのカフェ、ラサのお土産、ラサ河)




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