チベット記5-1
ポタラ宮、
いわずと知れたラサの象徴だ。
東西360m、南北300m、高さが115mの宮殿。
その威容がラサを睥睨している。
建設は7世紀に始まったが、
1600年代、ダライ・ラマ5世の権力化でほぼ完成したとのことだ。
1969年、ダライ・ラマ14世が亡命するまでの300年間、
チベットの政教の中心だった。
部屋数は1000を越えるが見学コースは決められている。
建飛の友人、彼等と同郷のモソ人、がポタラ宮にコネが深いらしい。
裏門のような所からポタラの階段を登る。
標高3650mを思い知らされる。
ポタラの頂上は3765m、ほぼ富士山と同じだ。
何しろ私の住んでる沼津が50mも無いだろう。
何回も深呼吸しながら、一番後から付いて行く。
10段も登ると虫の息、心臓音が聞こえるようだ。
途中の関門で私だけ100元払わされた。
いろいろ事情が有るのだろう。
その建飛の友人が一つ一つ丁寧に説明する。
時々、私にも説明してくれるが全然判らない。
代々のダライ・ラマの話をしてるようだ。
随所随所にお祈りするところがある。
代々のダライ・ラマの霊塔、
即身仏の様な衣装を纏っているが霊像?なのだろうか。
周囲を仏像がずらりと取り囲んでいる。
直径1mもある蝋燭立て、無数の蝋燭が灯っている。
その中に礼拝者たちが蝋?バター蝋かもしれない、
それをスプーンで掬って入れて行く。
そして、
小銭を納めて手を合わせ跪いてお祈りする。
私だけはお賽銭も納めず、手も合わせない。
初めは同行の連中も呆れ返っていたようだが、
私の不信心な習慣と知って納得したようだ。
仏像も、これといった物は見当たらない。
私は、どちらかと言えば、朽ちかけた様な仏像が好きだが、
此処では、彼方此方で仏像を塗りたくっている。
常にキンキラさせているのが此処の流儀なのだろう。
敬虔に祈る人々の方に興味を惹かれる。
仏像を眺める振りをして一心に祈る人を眺めているのだ。
これ程人々が一心に敬虔な祈りを捧げる、
その本質は何なのだろう。
一人一人の顔を覗き込む。
喜怒哀楽とは違った顔が其処にある。
トルコ石等々の宝石を散りばめた立体曼荼羅には目を奪われた。
絢爛豪華だ。
さて、下左図は何か判るだろうか。
これがポタラ宮の大小のトイレだ。
これに耐えられる日本人は何人居るだろうか。
屋上からのラサ、
向こうには山が迫る。
つづく
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