書の歴史9/南北朝時代の書

2003年春、
雲南の爨宝子碑の前に立つ。
以前から目にしたかった碑、震える手で撮ったのがこの写真だ。



自由奔放にうねっている様で不思議な調和感がある。
リズムカルで、唄っているようでもある。
無邪気で素直で楽天的だが素朴、粗野の中に威厳をも感じる。
左右への思い切った撥ね上げに当時の人々の生き様が息吹いているようだ。
どちらかと言えば、
モダン、近代的、抽象的な書を目指す書家に人気が有るのが頷ける。


晋が皇族争いにより国が乱れ晋は一端滅亡、南に亡命政権が誕生、
各地に異民族が蜂起し国が創られる、
これが五胡十六国。
ここに南の漢民族国家・東晋に対し北の異民族諸国家との勢力図となる。 
前者を北朝、後者を南朝、所謂、南北朝時代である。

古い地図を見ると、当時の雲南地方は南朝の勢力圏にあるが、
爨宝子碑の筆法を見ると、王羲之等の筆法よりも
明らかに北方の影響を感じる。
地理的な隔たりが中原の古筆の影響のままに止まったのであろうか。

爨宝子碑(405)

爨宝子碑臨書


爨龍顔碑(458)

爨龍顔碑臨


今ひとつこの時代の書道史上欠かせないのが高句麗(前37−668)の書だ。
現存する朝鮮の碑の中で最も大きな墓碑・好太王碑(414)だ。
 広開土王の徳と功績をたたえたもので日韓古代史上貴重な資料とされてる。

好太王碑(414)

好太王碑

縦横の微妙な曲線に、
後の韓国独特の文化の中枢をなす風雅を覚えるのは先入観からだろうか。
西南の果ての爨宝子碑・爨龍顔碑と、
東北の果ての好太王碑、
ほぼ同時代の碑を並べると感慨の様なものが湧き上がる。


西晋が滅んだ後、五胡の異民族によって中原が支配され、
約130年間の間に十六国が興亡した。
やがて鮮卑族が華北を統一し北魏を建てる。
これが北朝である。
気候温暖、風光明媚に恵まれた南方と異なり、
山岳地帯が多く、気候変化も激しくい、痩せた土地柄、
こんな風土から質実剛健な気風が養われ、
書風も、逞しい構成と豪快な点・線の書風が育ち生まれる。
北朝の書は、石碑、造像記、摩崖等の形で残されているものがが多い。

洛陽の東方、伊水の辺に並ぶ無数の石窟、
ここに典型的な北朝の文字の集大成とも言うべき書が残っている。
龍門石窟の造像記である。




龍門石窟は北魏王朝が国家的事業として造営した。
造像記とは、故人の供養、一族の安泰祈願で仏像を造立する由来を書いたもので、
3700種余りに及ぶ。



 

上図の様に像の傍らに造像記が彫られている。
あれが造像記か、
などと眼を凝らしてみるが読み取れない。
意外に小さいし、柵があって近付けないのだ。


引用文献
講談社刊:古筆から現代書道まで墨美の鑑賞
東京書道研究院刊:書の歴史
芸術新聞社刊:中国書道史
木耳社刊:中国書道史(上卷)(下巻)
二玄社刊:中国法書選
芸術新聞社刊:中国書道史の旅
大修館書店刊:漢字の歴史
平凡社刊:字統
平凡社刊:名筆百選
講談社刊:古代中国

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