書の歴史9/南北朝時代の書2


始平公造像記(498) 楊太眼造像記

始平公造像記臨 楊太眼造像記臨

始平公造像記、
珍しい陽文で文字が盛り上がっている。
鋭い書風で後の清代の趙之謙はこの書に傾倒したと言われる。

楊太眼造像記、
武勇の誉れの高い楊太眼が、凱旋途上、
寄進供養したとされる。

この一連の北魏の筆法に、
先述の爨宝子碑の横線などの筆法との共通点を感じる。
僻地である雲南、しかも約100年の時を隔てて、
何故にこのような似通った筆法なのか不思議でならない。
逆ならまだ理解出来る。

魏霊蔵造像記 孫秋生造像記(502)


魏霊蔵造像記 孫秋生造像記

魏霊蔵造像記、
この書も横線の右上への跳ね上がりに特徴がある。
楊太眼造像記と良く似ており同一作者では無いかとも言はれている。
以上の四点が龍門造像記四品と呼ばれている。

孫秋生造像記、
始平公、楊太眼と同じ流れをくむ筆者であろう。
典型的な方筆を継いでいる。

牛けつ造像記(495) 安定王元ショウ造像記(507)


牛けつ造像記臨 安定王元ショウ造像記臨



牛けつ造像記、
夭折した息子牛けつの冥福を祈って母尉遅氏が奉納した。
何か物語がありそうな造像記だ。
書はあくまでも冷静厳粛に客観的に事実を伝えようとしている。
字形の整いに冷酷さえ感じる。
北魏方形の先駆ともされる。

安定王元ショウ造像記、
この碑の拓本を見て清の鄭板橋を思い浮かべた。
鄭板橋
はこの書を学んだに違いないと思ったからだ。
いずれ、後述すると思うが、
あの独特な鄭板橋の左払いは間違いなく、
この安定王元ショウ造像記を学んだ産物と確信する。

龍門石窟を案内してくれたガイドの青年が頻りに、拓本を薦める。
「偽者が多く出回ってますが、私の友人が龍門石窟の研究院をしてまして本物が手に入ります」
夕食にその友人を招待する。
名刺を見ると本物の研究院だ。
「本物の龍門石窟二十品拓本ですです。古いものでは有りません。 
時々研究員が研究の為(小遣い稼ぎ)に拓本を採るのです。 
日本円で6万円です。」
喉から手が出るほど欲しい。
しかし、怪しさはぬぐい切れない。

結局、最後には「2万円でいいよ」に屈して買ってしまったが、
今でも、偽者か本物か判らず箪笥の肥しになっている。


鄭道昭・鄭羲下碑(511) 鄭道昭雲峯山右闕題字


鄭羲下碑臨 雲峯山右闕題字臨



鄭道昭・鄭羲下碑、
如何にも北方の気風を思わせる書だ。
私の大好きな書、幾度臨書したか数え切れない。
書いていて、右肩の曲がり具合に不思議な心地よさを感じる。
のびやかでゆったりとし、温かみのある線質は、
気宇雄大な気分にしてくれるのだ。

鄭道昭は、
国子祭酒(現代の国立大学の学長格のあたる)等を歴任の後、
光州の刺使(州の長官)となった当時、
山東省にある天柱山・雲峯山・太基山・百峯山などを巡り歩き、
多くの摩崖を書き、刻させた。
余程の山好きだったらしい。

筆法は中鋒で筆先が線の真中を深く刻み、
のびのびとした自由さの中にどっしりした重量感がただよう。
後述の張猛龍碑や高貞碑などの直線的な鋭い方筆に対し、
鄭道昭の書は曲線的であり円筆の代表といわれている。

武者小路実篤がこの字を好んだと言う。

張猛龍碑(522) 高貞碑(523)

張猛龍碑臨 高貞碑臨


私が最初に臨書を習ったのがこの張猛龍碑だ。
力強さに魅されてどうしても肩に力が入ってしまうのだ。
右肩上がりの方筆で強いがおおらかな払い、
特に左払いに特徴がある。
文字の構成は緊密を極める。
鄭道昭の書と共に北魏の代表作とされる


高貞碑、
凛として冴えた字だ。
一字一字が整然とした方正であり、構成も合理的,
北魏書法の完成作とも言われる傑作だ。


引用文献
講談社刊:古筆から現代書道まで墨美の鑑賞
東京書道研究院刊:書の歴史
芸術新聞社刊:中国書道史
木耳社刊:中国書道史(上卷)(下巻)
二玄社刊:中国法書選
芸術新聞社刊:中国書道史の旅
大修館書店刊:漢字の歴史
平凡社刊:字統
平凡社刊:名筆百選
講談社刊:古代中国

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