書の歴史5/隷書(2)
莱子侯刻石。
古隷から八分に移行する過渡期のものだが、
素朴な力強い筆勢の中に奥深い雅かな味合いを見る。
この時期の書の中で、私が一番好きな刻石である。
この時期の篆書と隷書の中間的な書体を「古隷」とも「草篆」とも呼ぶ。
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莱子侯刻石(AD16) |
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莱子侯刻石臨書 |
開通褒斜道刻。
劉邦も孔明も関羽、張飛も通ったであろう石門崖壁に刻されていた摩崖書。
これも古隷から八分に移行する過渡期のものだが、
波磔は見られない。
素朴で自由闊達、現代画に通じる調和を感じる。
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開通褒斜道刻(AD66) |
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開通褒斜道刻臨書 |
褒斜道は長安から蜀へ抜ける険しい街道の一つで、
古来より数々の歴史の舞台に登場する。
断崖絶壁の岩に穴をあけ桁を差し込みその上に板を渡して道を造った。
これを桟道と言う、桟道とはこんなイメージだ。
前漢時代に入ると、
実用的な木簡や竹簡に於いては多彩な書風が横行して、
ほぼ同時代の石刻や金文の書風とは全く異なった様式を見せ始める。
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元庚四年簡臨書 |
天鳳元年簡臨書 |
かくして、刻石において隷書の全盛期を迎える一足前に、
実用書においては隷書の時代に突入したのだ。
自由奔放な表現の中に、
長く伸ばした縦画の収筆や長い横画の波磔などの装飾的な意図が見られる。
美意識の強い誰かの悪戯心から来る一寸した工夫が、
巷の評判になり流行を誘ったのではないだろうか。
隷書に様々な書風が誕生する一方で、
隷書の誕生と殆ど時を開けず書の分野において大きな変革が生じる。
実用書の分野では隷書から草書、楷書、行書の創造、
草行書の筆意の出現である。
日常の実用文字をもっと速く書きたいという速度への要求からだったのであろう。
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元和四年簡(AD87) |
永元器物簿編簡(AD93-98) |
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元和四年簡臨書 |
永元器物簿編簡臨書 |
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殷の妲己、周の褒?(ほうじ)、呉の西施と傾国の美女を紹介したが、
漢の初代王の劉邦の正室・呂雉は、
唐代の則天武后、清代の西太后と並んで中国の三大悪女と言われる。
地方の小役人の普通のお嬢さんだった呂雉は、
内助の功を発揮して夫・劉邦の建国に尽力したのだが、
劉邦の没後、我が子恵帝の皇太后として専横を極める。
恵帝の有力なライバルを次々に殺害し、
劉邦の側室の戚氏の両手両足を切り落とし目玉をくりぬき声をつぶし、
便所に入れ人豚と呼ばせたと言う。
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引用文献
講談社刊:古筆から現代書道まで墨美の鑑賞
東京書道研究院刊:書の歴史
芸術新聞社刊:中国書道史
木耳社刊:中国書道史(上卷)(下巻)
二玄社刊:中国法書選
芸術新聞社刊:中国書道史の旅
大修館書店刊:漢字の歴史
平凡社刊:字統
平凡社刊:名筆百選
講談社刊:古代中国 |