書の歴史6/隷書(3)

四面楚歌を聞いて項羽は敗北し、
勝利した劉邦が建国した漢は、
幾度もの盛衰を繰り返しながらも、
前漢、後漢と四百数十年も継続した。
漢民族の漢は漢王朝に由来する。

霍去病、張騫等をして西域を攻め治め、
更に、南方の雲南、ヴェトナム、東方の韓国等へ領土を拡大する。
金印として知られる漢委奴国王印、
司馬遷の史記、
紙を発明?改良?した蔡倫、
この時代の産物だ。



この時代、もう一人忘れられないのが
中国の四大美女の一人、王昭君だ。
彼女は漢王朝が匈奴を懐柔すべく匈奴王のもとに送りこまれた。
政略結婚の犠牲となり蛮国へ嫁ぐ王昭君に対し人々は憐情の涙を流した。
匈奴では賢王妃と仰がれ、フフホトの王昭君墓は今でも人が絶えない。
四大美女の中で一番人気が高い。


強力な漢王朝も幼帝が続き、
宦官と外戚との抗争、官僚や学者の弾圧への反抗、
地方では農民の反乱、豪族の割拠等で,
約半世紀続いた王朝も衰退の一途を辿る。


書の分野では、
後漢に入ると刻石華やかな時代に突入し数々の名碑が誕生する。
「古隷」は徐々に波磔を持った「八分」に変化して行く。
隷書は速記性に加え芸術性をも追求するようになるのである。
古隷には波磔がなく、波磔を持ったものは八分もしくは八分隷と呼ばれる。


西狭頌
西狭の険しい道路を修復した功績を頌えた摩崖書である。
素朴で野趣に富み、雄大でおおらか、
隙のない均整の取れた構成には品格がある。

西狭頌(AD171)

西狭頌臨書


張遷碑
八分の形に幾分崩れが見え隠れし、
次代への書風の変化が覗える。

張遷碑(AD186)

張遷碑臨書


礼器碑
乙瑛碑、史晨碑と並び孔廟三碑とされ、
八分隷の最高峰と言われている。
精妙な用筆、線質は穏やかだが力強い。
古来より隷書の手本として最上とされている。

礼器碑(AD156)

礼器碑臨書

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引用文献
講談社刊:古筆から現代書道まで墨美の鑑賞
東京書道研究院刊:書の歴史
芸術新聞社刊:中国書道史
木耳社刊:中国書道史(上卷)(下巻)
二玄社刊:中国法書選
芸術新聞社刊:中国書道史の旅
大修館書店刊:漢字の歴史
平凡社刊:字統
平凡社刊:名筆百選
講談社刊:古代中国

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