書の歴史5/隷書(1)

始皇帝稜の頂上から辺りを見廻した事がある。
ずいぶん前のことだ。



東西350m、南北345m、高さ76mのこの帝墓の地下には、
金銀を散りばめた広大な地下宮殿が眠っていると言われる。
水銀が流され、弓矢の仕掛けが施されているといわれる宮殿、
全貌が明らかにされるのは何時の時代だろうか。
それ程に大規模で貴重な文化遺産なのだ。

始皇帝陵の東1.5km程のところに、
陵を守るかのごとく整然と戦闘隊形を組んだ陶製の軍団が発掘された。
これが兵馬俑だ。
確認しただけでも8000体の兵士像が埋もれてるそうだ。



天下統一を達成し絶大な権力を手中にした始皇帝は、
更に磐石な国家基盤を構築すべく諸政策を打ち出した。
その一環が文字の統一である。
諸国に分散しつつあった篆書を統一し小篆を正書体としたのだ。
しかし、
篆書は直線が多く速記性に欠け実用には不向きな書体であり、
筆写に便利な曲線を多く用いる新しい書体が急激に普及し始めるのである。

性急な諸政策、宦官の横行等で斯くも強大な秦朝は急速に弱体化し、
項羽が立ち、項羽を打ち負かした劉邦が漢朝を成立させる。

漢代の前後から、
篆書に変わり隷書が、
正書体として一般に広く通用するようになってきた。
隷書の「隷」とは下級役人の意とされる。
王やその一族などに限って扱われてきた書が、
下層に行き渡ってきたのであろう。

当然ながら、
篆書から隷書へ一気に移った訳ではない。
戦国時代から、既に、
木簡や竹簡などに日常的に用いた筆写体に隷書風な筆致が見られるのだ。

楚侯乙墓竹簡
(戦国前期)
包山楚墓竹簡
(戦国中期)
楚帛書.

楚侯乙墓竹簡臨書 包山楚墓竹簡臨書 楚帛書臨書


睡虎地秦簡。
秦代の竹簡「睡虎地秦簡」の文字は若干の篆意の残るものの、
明らかに隷書体であり、
小篆が正書体であった秦代に於いても、
行政文書などの実用書には隷書体が用いられていたことが判る。

睡虎地秦簡(雲夢秦簡とも言われる)

睡虎地秦簡臨書


帛書.・戦国縦横家書。
2000年前の女性の屍体の発見で世の震撼せしめた「馬王堆」からは、
多くの副葬品が発掘されたが、
文字の歴史上、極めて貴重なのが帛書と竹簡である。
後年、紙が発明されるまで、
文書や書簡は、
絹に文字を書く帛書や、竹や木を削った札に書く竹簡、木簡が普通であった

帛書.・戦国縦横家書
帛書.・戦国縦横家書臨書


魯孝王刻石。
篆から隷への過渡期にある書であり、
まだ、波磔は見られない。
「年」字の脚の長さに篆書の面影を残す。
古隷の代表する碑と称される。

魯孝王刻石(BC56)

魯孝王刻石臨書

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引用文献
講談社刊:古筆から現代書道まで墨美の鑑賞
東京書道研究院刊:書の歴史
芸術新聞社刊:中国書道史
木耳社刊:中国書道史(上卷)(下巻)
二玄社刊:中国法書選
芸術新聞社刊:中国書道史の旅
大修館書店刊:漢字の歴史
平凡社刊:字統
平凡社刊:名筆百選
講談社刊:古代中国

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