書の歴史16/北宋の書(2)
宋を建国した超匡胤(太祖)は唐末五代の混乱をみて、
軍事権と政治・財政権を分離するなどの文治主義をとったが、
朝廷内に文官の対立が起こり、国政の弱体化を招き、
近隣諸国の侵略に耐え切れず亡国の一途を辿る。
最後には女真民族が独立した金に大破され、
皇帝自らが捕虜となるという古来稀な事件となる。
北宋前期に於いては、
淳化秘閣法帖に代表される貴族的文化を継承しようとする復古調が蔓延り、
無気力な所の流行を見たが、
北宋も後期に入ると堰を切ったように新書風が台頭する。
蔡襄、蘇軾、黄庭堅、米フツがその中心人物である。
書画の巻末に鑑賞文などを書き込む跋文学の台頭、
金石学の台頭、そして、墨、硯、筆などの研究、等々、
文化史上目覚しい発展転換を遂げたのがこの時代である。
蔡襄(1012-1067)
一時宋の財政を統括した程の有能な政治家であったが、
詩文に長じ史実に明るく、
書家としても、蘇軾、黄庭堅、米フツと並んで北宋の四大家と称せられ、
北宋書壇の先駆者である。
陶生帖
通常、蔡襄の書は重厚慎重な筆の運びの書が多いが、
この書は極めて闊達自由自在である。
陶生帖 |
純遂物故殊可痛懐人之不可期也如此 |
致戈才陳弟尺牘
前期の尺牘の方は、多少、肩を張って書いてるように感じる。
しかし、その書風は明らかに仁王の流れをくみながら彼独特の 新書風を打ち出した気配がみられる。
致戈才陳弟尺牘 |
謝賜御書詩表巻(1052)
これは蔡襄が君謨というあざなを賜った時に奉じた上奏文、
極めて畏まって書いたのであろう、一点一画に謹厳の気が籠もっている。
謝賜御書詩表巻 |
萬安橋記(1059)
泉州の東北を流れる洛陽江に掛けられた橋の碑文。
知事として赴任した蔡襄の尽力により完成した時に立てられた。
顔真卿に極似している。
萬安橋記 |
顔真卿自書告身跋(1059)
顔真卿自書告身の後ろに蔡襄が書いた跋である。
跋とは「俺は此れを見たぞ」という記録なのだが、
これがまた大変な代物なのだ。
例えば、
この「顔真卿自書告身跋」であるが、
私淑する顔真卿の為に蔡襄が書いたもので、
顔真卿の書に関する所見を知る上で貴重であるが、
蔡襄そのものの書風、考え方などを知る上でも貴重な資料なのだ。
この跋などは一見顔真卿の書と見紛う程顔真卿流だ。
敬意を表したのであろう。
蔡襄・顔真卿自書告身跋 |
欧陽脩(1007-1074)
政治の中心にあっただけでなく、当時を代表する歴史学者であり。
詩文にも優れ宋文化の中心人物として活躍した。
彼の推挙により数多の人材を世に出している。
集古録跋尾
学者としての行跡に比べ書人としては今一つだったのであろう。
集古録跋尾 |
王安石(1021-1086)
周囲の反対の中、決然と革新性策を断行した。
詩文に長じ唐宋八家の一人である。
政治的には反対の立場にあった蘇軾、黄庭堅もその非凡さを認めている。
尺牘
意志の力を感じる手紙だ。
さぞかし説得力があったであろう。
王安石・尺牘 |