第七十四番  甲山寺


 


讃岐地方は雨が少ない。
大きな川も見当たらない。
そんな讃岐の人々は古くから水と戦ってきたのだ。
灌漑用の水は池に頼るしかない。
讃岐平野には溜池が点々とある、2万余りと言う。
その中で一番大きなのが満濃池だ。
空海が見事に修築したことで知られている。
この辺の事は司馬遼太郎の「空海の風景」に詳しい。

白壁が眩しいほどに白い。



大師が伽藍を建てる場所を探している時、
翁が現れ、
「此処が霊地なり」
とのお告げが有ったと言う。



山門の出入りのお礼にも心が篭ってきた。

満濃池の話に戻る。
満濃池は大宝年間(701ー704)の造られたが、
その後、幾たびと無く決壊を繰り返し、
弘仁9年(818)の大決壊では下流の田畑は泥水に埋まった。
修復工事は難航を極め、3年を経ても埒があかない。
その主な原因は農民の賛同を得られなかったからと言う。
そこで白羽の矢が立ったのは弘法大師、
朝廷は大師を築池別当を任命した。
大師の徳を慕う農民が数万集まり、
6ヵ月(一説には3ヶ月)後には完成したと言う。
その完成報奨金の一部で建立したのが甲山寺、
難工事の成功祈願して刻んだのがご本尊の薬師如来だ。





この辺りは弘法大師が幼少の頃の遊び場だったらしく、
大師幼少の逸話が残っている。
と言っても、
土で仏像を作った、
石で仏塔を作った、
犬を連れて歩いた、
くらいのものだ。







甲山寺の鐘の音




ここのうどんは美味しかった。
店に入った瞬間、
「しまった」
と思った。
何か殺風景なのだ、
わび、さびといった雰囲気作りは微塵だに無い。
しかし、判らないものだ、
見掛けによらず客扱いも良いし味も良い。
値段も極めて安い。
成る程、
日頃は雰囲気に誤魔化されているな、と変な納得をする。
客が入れ替わり立ち代り入ってくる。

 

言わずと知れた、讃岐うどんは讃岐の名物、
香川県だけで650軒のうどん屋がある。
弘法大師が中国より製法を持ち帰ったそうだ。



此処まできたら満濃池を一見しようと言う事になる。
甲山寺から8km程南に行った所にある。
ものの30分程道を逸れればいいのだ。

ところが変なところへ着いてしまった。
ナビゲーターに「満濃池展望台」と入れたら、
大きな公園に迷い込んだ。
機械は正直だ。
しかも、満濃池が見える展望台は駐車場の反対側、
広い公園を汗を流して歩く。



広々とした公園、
花も綺麗に咲き誇っているが、
お遍路の途中では散策の気分にはなれない。



それでも、満濃池を眺める事が出来た。
想像していたよりも遥かに大きい。
池と言うより湖だ。

ちなみに鉄筋コンクリートなどの近代的な方法を用いず、
土と石組み工法でのダムとしては日本一の規模だそうだ。





 

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