207
9時頃起きだして、付近の朝市へ、楽しくて端から端まで歩いてしまう。
米、バナナ、玉子、しゅうまい、を買う。
馬鹿みたいに安い、全部で10元に満たない。
売ってる人々の顔の一つ一つが、また、魅力的なのだ。

今日はアキ(岳陽の同窓生、19歳、独身男性)と落ち合う日だ。
約束の時間少し前、落ち合う約束の新華書店前、誰も居ない。
地図に載っている本屋なのに、田舎の万屋に毛が生えたようなものだ。
いろんな雑貨に交じり申し訳程度に本が置いて有る。
やがて、アキがやってきた、久しぶり、と言っても半月位か。
ホテルに戻って情報交換、アキにシャワー提供、彼の宿ではお湯が出ない、水シャワーだそうだ。
聞いてみると、彼の宿賃はなんと10元、こっちの30分の1、
大きな店の跡取り息子が良い経験をしてるわい。
一休みして、生ビールの美味しい店にアキが案内してくれる、魚の煮物が美味しい。

昨日行きかけた春歓公園、アキは既に行ってのだが、付き合ってくれた。 
立ち並んだ売店を通り過ぎると、タイ族のお寺、靴を脱いで上がる。 
中央に坐る仏像、日本のとは違ってキンキラキンで顔付きも締まらない。
部屋というか拝堂のなかには、陳列ケースがズラリと並んでいて、
中にはお守りとか、腕輪、首輪などの装飾品も沢山飾って有る。

若い二人の女性が選らんだのは腕輪、
もっともらしくい顔で椅子に坐っている貫禄の有るお坊さんがこの腕輪を水で清め、
念仏のようなものを唱え、
跪いて一心に祈る彼女たちの腕に嵌めてやる。
今度は若い男が何やら飾り物のようなものを選んできて、さっきの女性達と同じように、
清められ、念仏を唱えられ、満足して、お金を払っている。
日本で見るお守りとか御札の如き物なのだが、
こちらの違う所は、
こちらでは、これを求める人々に、
改めて一つ一つの品物に霊験を込めて居るのだ。

境内の参道に沢山の露店が立ち並ぶ、骨董品が多い。
その中の一つに、昆明のホテルに有った明時代?の花瓶に良く似たのがある、
「幾ら」
「180元」
「高い」
「幾らなら買うか?」
一桁一桁と心の中で呟くのだが、何だか申し訳なくて、18元とは言えない、
「80元」
「いいよ」
欲しいと思っていた奴、贋物に決まっているが、贋物としても馬鹿に安い。
後であのホテルのと比べてみよう。

公園を出たところでアキが、
「この奥に、観光客が行かないタイ族の部落があるよ、行ってみる?」
彼は10日前からシーサンパンナでブラブラしている。
公園から、幾らも行かないうちに、辺りの雰囲気がガラリと変わる。
こんな町中に、こんなひっそりとした部落が、と思うほど静かだ。
一軒一軒が大きな敷地に大きな建物、
みな床上げ式住宅、キチンと四方を煉瓦の塀で囲っている。
塀の中から、バナナや椰子の木が路地にはみ出す、いかにも大所帯家族の感じだ。



 





近くで遊んでいる幼児は皆裸足だが皆澄んだ目をしている。
カメラを向けるとキャーキャー言いながら逃げていった。
かと思うと上から下まで正装?と思われるほど煌びやかな、



色彩豊かな衣裳に身を包んだ小学生位の少女の一群が傍らから不意と出てきて、
傍らへ不意と消えて行く。
この子達は皆、白いサンダル履きだ。 
なにか映画の一場面を観ているような錯覚に陥る。

帰り道、**民族展示場の看板に惹かれて覗くと、骨董品の山、
さっき買った明時代?の花瓶の対に4800元の札が付いている。
こちらでは花瓶は対で使うのが普通の様だ、 
アキが、「ナンデ、明時代って判るの?」
と質問する、と、やおら花瓶の底を裏返して、茶色の印章を見せる。
「幾らなら買うか?」
ときた、この質問が来た時は桁を変える、が鉄則だが、桁を変えたとしても高い。
勿論、本当に明時代のものなら大変な掘り出し物なのだが。
別の店で、タイ式の独特のデザインの花瓶が20元、
「15元」
と言っても、頑として譲らない、こうゆう所も有るから判らない。

昆明のあのホテルの2階の店にブラリと三回行ったが、私以外の客が居たことがない。
一流ホテルの目抜きの場所に店を構えて、人を雇って、どんな経営しているのだろうか、
つむじ風の様に来て、つむじ風の様に帰って行く団体客相手の商売なのだろうが、
商売する方も、買わされる方も大変なことだ。

夜、アキがドミトリー(安宿のこと)で知り合った長春大学の留学生3人と焼鳥屋へ、
これがまた美味しい、屋根は有るが四方が筒抜けの倉庫のような広場、
地べたスレスレの低い椅子に丸く坐り、真ん中の石の囲炉裏に炭火、
金網の上にモツ、
精肉、タニシ、鶏、ジャガイモ、ピーマン、例の丸く開いた魚...
片っ端から乗せて、煙の中で食べる。
彼等は常連のようだ、
「おばちゃーん、ビール」
「おばちゃーん、ナントカ」
傍らの屋台で小父さんと調理しているおばちゃーんと呼ばれたおばちゃんも、
「一寸マッテ」
「ハイ、ハイ」
とか、日本の屋台の焼鳥屋にいるようだ。

大学休学中、大学を卒業して浪人中、予備校生、高校を卒業したばかりで進路未決定の若者、
こんな彼等が中国に留学中なのだ。
いかにもけだるそうな、物憂げな彼等、しかし、時折見せる彼等の眼光は鋭い。
狼の群れに居る一匹狼の感じなのだ。
口数も少ないし、多分お金もそんなにもってないだろう、
しかし、もっと大事なものを着々と蓄えているような気がしてならない。
こんな年代に、こんな旅を経験している若者達の将来はどんななのか、非常に興味がある。


208
8時にアキと落ち合って、杪養(モンヤン)へ、
景供からバスで45分、この45分が凄い山道の連続、
大きな団子を並べたような山道を左右に揺れながら昇って行く。
この辺の山は、みな禿山だ。
無秩序な焼畑が原因なのだ、例の毛沢東の悪政が有ったのだ。
その禿山の斜面に等高線を描いてような筋が随所に入っている、
新しい植林が始まっているのだ。

山々又山を抜けた盆地がモンヤン、此所の名物のカジュマルの古木、
恰も象が立ち上がっているのに似た木で、象根と言われている。 



市場を覗くと、いろんな民族衣装の人々でごった返している、殆どが食料、衣料、日曜雑貨品、
品物は見るべきものはないが、人々を眺めているのが楽しい。





お歯黒のお婆さんを見つけた、アキと一緒に写真に収める。
人懐っこくて屈託無くて物怖じしないアキが、



肝っ魂かあさんの感じのお歯黒のお婆さんと腕を絡ませる。
お婆さん、デンと胸を張って、とても、元気だ。
昔の日本のお歯黒の風習は中国雲南辺りから伝わったもの、と聞いていたが、
中国人の先生も含めて昆明の学校では誰も信じてくれなかったが、
これでやや立証されたようだ。

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近くの旱タイ族の村で手織物を売ってくれると聞き、エンタクを雇う。
モーターバイクに幌付きの荷台、西部劇等で見る二人乗り馬車の、
馬がバイク、そんな感じの乗り物だ、これがバス停付近に屯している。
往復20元/二人、交渉時に、ただ20元だと、後で一人20元だと請求されることがある。

ずいぶんと乗りでがある、田園地帯の一本道を物凄い埃りを立てて驀進する。
集落に着いて、通りから両側が民家の間の小道をすり抜けると、そこそこの広場が開ける。
少年が一人、物珍しそうに我々を探る目付きだ、傍では豚が散歩している。





広場の両側は民家が並んで、その一つの軒下で老女が、いかにも旧式の織物機で奇麗な布を織っている。 
丁度、底の無い舟に乗っているようだ、暫く、見学する。
パタンパタン、スースー、織機の音に、時折、豚や鶏の声が交じる。
白地に、黒、赤、黄色、緑の糸を手と足で操る、間違い無く手織りだ。
今織りたてのものが、やたらと欲しくなる。
巾が30センチ、長さ1メートルで100元、80元で求める。

 

辺りの家から4、5人の女が、それぞれのご自慢なのだろうか、手編みの布を抱えて出て来る。
もう買ってしまった後なので、そんなに買物出来ない、二つ三つ御義理で仕入れる。 
人の気配を察したのか、男達も数人、と言っても老人ばかりだが、のそりのそりと出てきた。 
余り観光客ズレをしてない様だ、アキが、
「一緒に写真撮ろう」
と言うと、素直に応じる。 
1軒の家の中を覗く、昨日見たタイ族の高床式の住宅とは全く異なる。
同じタイ族でも旱タイ族の風習は異なるのだ。 



壁も土壁で、薄暗い部屋の中は、土間を中心に、家財道具が並んでいる。
ベッドもある、老人が小さな低い背の無い椅子に腰掛け、大きな竹のパイプで煙草を吹かしている。 
奥まった別部屋が台所の様だ。 

エンタクの運ちゃんが、
「もう少し先に行くと、花腰タイ族の部落が有る、そこには素晴らしい織物や刺繍が有るよ」
我々が織物や刺繍に興味を示すのを見て取ったのだろう、
「そうねー、50元で花腰タイ族部落まで行ってあげるよ」

話には聞いていた花腰タイ族、部落の様子が見れるだけでも大満足だ。
部落の一軒一軒は垣根で仕切られている、竹の垣根だ。



竹篭の編み方そのままが垣根になっている。
余り人影はない。
2時から日没までは野良に出るのが習慣なのだそうだ。
やっと、一人の若い奥さんを見つけた。
案内人が何か言っても物憂さそう、と言って嫌な顔はしていない。
「売る為に作ってるんではないよ」
そんな顔で、渋々取り出したのは、白い地に、色彩豊富な刺繍を施した手提げ袋、
手垢が付いてるようでも有るが、見事な刺繍だ。
「50元」
を、アキは拝み込んで、「40元」にして貰う。
アキの笑顔にやられるのは、民族に関係無い。

少し行くと、今度は可愛い娘さんが、織っている。
「自分のスカートが古くなったから新しいのを織ってるの」
アキの通訳だから怪しい。
案内人が、「何か売れるもの無い?」と聞いたらしい。
今度は黒地に多色の刺繍、
「60元」
「50元」
「OK」
100元出すと、
「お釣が無いから駄目」
こんな所で、両替のしようが無い、諦めた。
娘さんは別に残念そうな顔をしていない。
売りたくないのか、50元のお釣の工面が面倒なのか?

また少し行くと、今度は一家が揃って笑顔で庭の中に入れてくれた。
奇麗なスカート、厚手の黒地の布のスカート、腰から踵までの長さで筒状になっている。
膝下3、40センチはビッシリと繊細な刺繍で埋まっている、
「500元」を「300元」迄してくれた後は、
アキが何とか安くしてとおどけても、頑として譲らない。
上から下まで、全ての衣裳を見せてくれた。
頭巾の様なものから、上っ張り、腰飾り?エプロン?脛当て?、全部で5、6種類有るだろうか、
「この間、アメリカ人が、一式、1000元で買って行ったよ」
丁度其処へ、
日本の田舎ではつい先ごろまで当たり前だった姿、
背中に幼児を負んぶした老女が入ってきた。



上から下まで、今見せられた衣装を身に付けている、全くの日常の衣装なのだ。
しかし、1000元と言うと、10万円、とてもとても..で退散。
(一桁間違えていたわけではありません、当地の物価換算です)

ぐるりと村を一回りして道に出ると案内人が車を取りに行く、
アキと二人でしゃがみ込む、何か吹っ切れないのだ。 
少数民族の衣装蒐集にとっては花腰タイ族の衣装は涙ものなのだ。

と、向こうの家で男が手招きする。
行ってみると、いろんな物を持ち出して来た。
さっきと同じような物もある。
「300元」
確かに見事に綺麗だが、これを買っても使い道が無いわい、
と冷静になる。
待てよ、○○さんちのテーブルクロスにピッタシかも....
「200元」
流石に首を横に振る、帰ろうとすると、
「250、230、220」
また、帰ろうとすると、
「よし、200」
と言って、放り投げた。
あの旧式の機械で、一本一本糸を操り、これを織り上げるのに幾日掛かっているのだろう。
申し訳なくて、男の顔を見ないで金を渡す。
(あれから、このスカートを、時々、取り出してみては悦に入っている。
民族衣装を奇麗、エキゾチック、位には思っていたが、
その価値に気付いたのは最近の話、あの時の一式「1000元」が悔やまれてならない。
あの当時、半年間の中国生活でお金の価値が変わってしまっていて、
100元は日本円の1万円弱、この物価感覚が身に付いていたのだ。)
同じタイ族でも 花腰タイ族の刺繍入り衣装は特に定評があるのだ。

 

続く

 


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