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書の歴史・日本編6/鎌倉時代後期

頼朝の鎌倉幕府設立(1192)から鎌倉幕府滅亡(1333)までを鎌倉時代とし、
各人の没年を以って当時代の人物とした。

運慶・手継文書裏書
読み:この文書は運慶の女子如意ゆつりそうにくして

運慶(?-1223)
鎌倉時代を代表する仏師。
天平・平安初期の仏像を範にして、斬新な気迫に満ちた逸品を多く残している。

構えの大きい冴えた書だ。



北条義時・御教書
読み:五月丗日ゐのときに申されたる
御ふみけふ六月六日さる

北条義時(1162-1224)
時政の次男、幼名は江間の小四郎。
知略に富み度量にも優れ頼朝の厚い信任を得る。
頼朝没後、父時政を追放し第二代執権となる。
実朝を公暁に殺さしめ源氏の血統を絶つ。
承久の乱で勝利し後鳥羽上皇以下を配流し、
幕府の威力を確固たるものにした。



明恵・夢記断簡
読み:道円法師



明恵(1173-1232)
華厳宗の高僧。
月をこよなく愛し、月の歌人とも言われている。
ほぼ同世代の西行と並べ称せられる事が多いが、
西行は50歳以上の年長者、実際に顔をあわせたのは一度有ったかどうからしい。
白州正子によると「共通しているのは好男子で、頗る女性に人気が有った」、
西行は、どちらかと言えば、無頼の生臭坊主、
それに引きかえ明恵は、ただただ一途に修行に励んだ芯から真面目な人間だったらしい。
明恵は一宗を興したわけではないのに極めて人気が高く、気取らない人柄が特に女性を惹き付けたらしい。
高山寺で栄西から頂いた茶の実を育て、茶を一般化した茶の元祖とも言われる。
「夢記」は、
19歳から40年間、見た夢を記録したもので世界でも稀な夢の日記だそうだ。

藤原定家・源氏物語奥入
うき舟

藤原定家(1162-1241)
父は藤原俊成。
父の感化で早くから歌会、歌合せに参加した。
俊成撰の千載集に、8首載せられ、
自身も撰者に加わった新古今和歌集には47首の収載がある。小倉百人一首の撰者でもある。
歌学者としても優れ多くの著書を残している。
百人一首に収められているのは、
・・来ぬ人を まつほの浦の夕凪に 焼くや藻塩の 身もこがれつつ ・・

かな書道の伝統から抜け出し独特な書風を打ち立てた、
これを「定家様」と呼び、その後の書道史に強い影響を与えた。
癖が強すぎて書人としての評価は二分されるが、
私は彼の独特の書風が好きだ。

この書も定家流の圧巻、
何とも言えない独特な味がある。



北条泰時・書状
読み:刑部僧正房地遣領等悉 
可被返付之

北条泰時(1183-1242)
三代鎌倉幕府執権。
十一人の評定衆に拠る合議制、関東御成敗式目51か条制定など幕府の基本法を制定し、
鎌倉幕府の基盤を確固なるものとした。
泰時は武家、公家の双方から人格者として人望が厚かった、と言う説と、
一方では承久の乱後の朝廷に対する措置に対する批判も多かったと言う説が二分する。



道元・普勧坐禅儀

道元(1200-1253)
曹洞宗の開祖。
公卿の家に生まれたが、早くに両親を失い出家する。
27歳にして宋へ渡り、帰国後、「普勧坐禅儀」を著し、
人々に座禅を薦めた。
比叡山との軋轢を避け越前に赴き、永平寺を創建した。
生涯の説法を纏めたのが「正法眼蔵」である。

鋭く筆を立て紙面を裂くような筆法はは独特であり、
個性的な書を多く残している。



親鸞・消息
ひたちの人々の御中へこのふみをみせさせ給え

親鸞(1173-1262)
浄土真宗の始祖。
29歳にして法然に師事する。
「建永の法難」にて、師の法然に連座したとされ、
越後に配流、還俗される。
恵信尼との間に子女をもうける。

この消息は、娘を案じた手紙で、
親鸞90歳の書である。



北条時頼・奉書
読み:越前国宇坂庄

北条時頼(1227-1263)
鎌倉幕府第五代執権。
幼時から聡明でその才能の高さは知れ渡っていた。
政治の公正化や迅速化を図り積極的に庶民を保護するなど、
歴代執権の中でも名君として高く評価されている。
能の「鉢の木」では、時頼の諸国への民情視察の逸話が物語られている。



後嵯峨天皇・書状
去年三合之厄運両度之変異驚愕之

後嵯峨天皇(1220- 1272)
父士御門上皇が承久三年冬土佐に流された後不遇であったが、
四条天皇崩御ととも親王宣下、ついで践祚となった。
後深草・亀山両天皇期に二十六年にわたって院政を行なったが、
名のみの地位で、各地に御殿を造営し、遊宴等の行事を好み、
各地への華美な行幸も多かった。
また、皇子女も数多い。
一説には日蓮宗の開祖日蓮は、この土御門天皇の皇胤であると言われている。

天皇の宸翰として自筆の確証のあるのは、
この書状だけであり国宝に指定されている。



蘭渓道隆・金剛経

蘭渓道隆(1213〜1278)
南宋から渡来した禅僧・大覚派の祖。
執権北条時頼の帰依を受ける。
北条時頼によって建長寺が創建されると招かれて開山となる。
後世におくり名された大覚禅師の号は、わが国で最初の禅師号である。

一点一画にも気を抜いていない厳しさがある。
甘さが無い。



日蓮・立正安国論

日蓮(1222-1282)
日蓮宗の開祖。
安房の国、小湊の漁師の子として生まれた。
12歳で近くの清澄寺に入り16歳で出家、
諸寺諸宗を遊歴して清澄寺に戻り、
「南無妙法蓮華経」を唱え、他宗を不成仏の法として批判攻撃した。
時の地頭に追放された日蓮は鎌倉の小道で辻説法を行い他宗を更に攻撃した。
この時期、諸国に地震・洪水・飢饉・疫病などの災害が多く、
日蓮は、この原因は民衆や幕府が念仏・禅・真言・律などを信仰することにあるとし「立正安国論」を建白した。
この為、他宗派からは度重なる迫害を受け、また、
幕府を批判したかどで、伊豆、佐渡へ流される。
晩年は身延山に隠棲し著述、門下育成に努めた。
死後に、皇室から日蓮大菩薩と立正大師の諡号を追贈されている。

独自な書を書く。



93日蓮・書状
読み:
人にたまたまあわせ給ならハむかいくさき事なりとも



北条時宗・書状

北条時宗(1251-1284)
文永の役、弘安の役と二度にわたる元及びその属国高麗による日本侵略に対し、
当時の執権として敢然と立ち向かい、
暴風雨の到来等の幸運も有って元軍を撤退せしめた。
国難に立ち向かった名君としての高い評価の一方で、
元からの使者を処刑するなど国際感覚の低さも問われる。
また、一方では、禅宗に帰依する信仰心の厚い人物であり、
蘭渓道隆等の教えを請い、
蘭渓道隆没後は無学祖元を招聘し生涯の師としている。
33歳の若さで国難との戦いで生涯を終える。



無学祖元・偈與一翁院豪
読み:如香象王

無学祖元(1226 - 1286)
鎌倉時代に北条時宗の招きに応じ宋から来日した。
鎌倉の建長寺に住し、円覚寺を開創。
北条時宗ほか鎌倉武士参禅を受け、その教化に尽力した。
禅宗発展の基礎を作る。



一山一寧・六祖偈
本来無一物何処惹塵埃

一山一寧(1247-1317)
宋の人。
文永・元弘の役後、
元日の通交を説くべく意思に反し日本へ渡らされる。
当初修善寺に幽閉されるが後に疑惑が解け、
建長寺、円覚寺を兼管するなど多くの帰依を得た。
五山文学の交流に大きく寄与した。



後宇多天皇・書状案
灌頂無為果遂之條生前本懐己

後宇多天皇(1274-1287)
後嵯峨上皇の孫、父は亀山天皇。
治世中に元寇、文永・弘安の役が発生した。
この時期、後深草上皇(持明院統)、弟亀山上皇(大覚寺統)の二派に分裂した皇位の争奪に対し、
幕府から調停策として出された両統迭立案による皇統の分裂が続く。
所謂、南北朝の始まりである。



後深草天皇・書状
読み:琵琶譜十六巻

後深草天皇(1242-1304)
後嵯峨天皇の第二皇子、4歳で即位するが在位中は院政を敷いた後嵯峨上皇が政務を司った。
正元元年(1259年)に瘧病を患い17歳で亀山天皇に譲位。
年長の後深草院皇子熈仁を差し置いて亀山皇子世仁親王が立太子した。
以後、後深草天皇の血統である持明院統と亀山天皇の血統の大覚寺統との対立が始まるのだが、
これを怨みを持った後深草天皇は後嵯峨天皇の法事の折、
自らの指を切りその血で法華経を書写するなど執念深い方と伝えられる。
また非常に好色な天皇で有ったとも伝わる。



伏見天皇・宸記
延慶二年十月廿一日庚午天晴此日御禊行幸也

伏見天皇(1265-1317)
後宇多天皇の譲位により即位。
これ以後、
大覚寺統と持明院統が交代で天皇を出す時代がしばらく続く事になる。
後深草上皇は2年余りで院政を停止した為、以後天皇親政が続くが
自分の皇子後伏見天皇を皇太子に据えたことにより大覚寺統との確執が強まる。
和歌、書に秀でた天皇として知られる。







北条高時・書状
祈祷事承候了恐悦恐々謹言

北条高時(1303-1333)
北条貞時の子、14代執権。
後醍醐天皇が最初に挙兵を計った正中の変は未然に防ぐが、
再度挙兵すると、足利尊氏がこれに応じ京都の六波羅探題を滅ぼし、
上野の新田義貞も挙兵し、高氏の嫡子千寿王(足利義詮)が合流すると、
関東の御家人多数が倒幕軍に加わり鎌倉に攻め入る。
東勝寺に入った高時以下北条一族800余人が自決し鎌倉幕府は滅亡した。
常に偉大な祖父・北条時宗や父・北条貞時と比較され、
遊楽に耽ける暗愚な執権とされていたようだ。
しかし、9歳で家督を継ぎ、
14歳で執権となったのだから当たり前といえば当たり前かもしれない。





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引用文献
講談社刊:古筆から現代書道まで墨美の鑑賞
講談社:日本の書
東京書道研究院刊:書の歴史
講談社:日本書跡全集
大修館書店刊:漢字の歴史
平凡社刊:字統
平凡社刊:名筆百選
創元社:書道入門
平凡社:書道全集
講談社:現代書道全集
二玄社:書の宇宙
白州正子:西行
角田文衛:待賢門院璋子の生涯






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