書の歴史・日本編2/平安時代前期−2


円仁・上秦文案
円仁(794-864)
延暦寺第三世の座主。
晩年の空海に師事し、慈覚大使と謚号される。
遣唐使として唐に留学、
この旅の間、書き綴った日記が『入唐求法巡礼行記』で、
これは日本人による最初の本格的旅行記であり、
当時の皇帝、武宗による仏教弾圧である会昌の廃仏の様子を
生々しく伝えるものとして歴史資料としても高く評価されている。

端正で慎ましやかな書風は修行し切った高邁な人物像を浮かび上がらせる。

沙門圓仁言伏蒙



藤原有年・申文
「草かな」と呼ばれる漢字の草体で書かれ、
一字一字が音で表示されている。
楷書行書体の万葉仮名から平仮名への移る過渡期の書体で、
平仮名への展開を示す貴重な資料とされる。

乃多末比天(のたまいて)



円珍・充内供奉冶部省牒添記
円珍(814-891)
空海の甥。
853年に入唐し多くの経典を持ち帰ったとされる。
没後、智証大師を謚号される。
枯淡の境地であろうか、
一見、拙稚に見えるが、臨書してみて感じるのだが、
何処か崇高さ気高さが漂うのだ。

労給之大唐高官





醍醐天皇・白詩句巻
醍醐天皇(885-930)
宇多天皇の第一皇子で、「古今和歌集」を選ならしめた。
菅原道真を登用した事でも知られている。
悠々迫らぬ堂々とした書風である。
醍醐天皇は、盛唐の懐素、張旭等の狂草を目にしているような気がしてならない。

月更好時謝連



宇多天皇・周易抄
宇多天皇(867-931)
周易は儒教の経典五経の一つ、
訓点などの書き込みから当時の天皇の学習の様子が覗える。
おおらかな親しみやすい書風である。

男女匹配得化生



紀貫之・土佐日記(藤原定家臨)
紀貫之(868-945)
「新古今和歌集」の選者。
貫之の「土佐日記」は男性最初の仮名紀行文として名高い。
歌人としては元より、能書家としても謳われていた。
貫之の書と擬されている古筆があるが、どれも確証は無い。

この書は、後に、藤原定家(1162-1241)が、土佐日記の真蹟に出会い、
病身を押して書写したものである。
「貫之の筆跡を形どおりに写し留めた」との添え書きがある。


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引用文献
講談社刊:古筆から現代書道まで墨美の鑑賞
講談社:日本の書
東京書道研究院刊:書の歴史
講談社:日本書跡全集
大修館書店刊:漢字の歴史
平凡社刊:字統
平凡社刊:名筆百選
創元社:書道入門
平凡社:書道全集
講談社:現代書道全集
二玄社:書の宇宙
司馬遼太郎:空海の風景




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