書の歴史7/草書・行書・楷書の出現2

索靖(239〜303) 、
三国から晋時代を代表する書人として名高い。
後に楷書の神様と言われた欧陽詢が、
或る山中で見つけた索靖の石碑の素晴らしさに惹かれ、
三日間もその碑に見入ったという話が残っている。

陸機(261一303年)、
呉の名門に生まれ、呉の滅亡と共に晋に仕官する。
幼時から秀才と称され、晋の高官に、
「呉の領土を手に入れた事よりも陸機を手に入れた事の方が大きい」
と言わしめた、とか。
その書をみてもその表裏に才気が迸り出ている。

索靖・月儀章 陸機・平復帖

月儀章臨書 陸機平復帖臨書


陸機は曹植以来の才子とも言われた。
その曹植だが、
武人としてよりも詩人として後世に名を残した曹植は、
曹操の三男として生まれその詩賦の才を曹操に愛された。
長男の曹丕との王位継承の争いに破れ、
生涯、曹丕の嫉妬と猜疑に追いやられ悲運な生涯を送った。
その曹植の書は残っていない、と思う。
琴線をくすぐる詩が幾つも残っている。

「七歩、歩く間に詩を作れ、さもなくば死罪に処する」
と兄曹丕に問い詰められた曹植はその場で詩を作った。

煮豆持作羹
漉鼓以爲汁
箕在釜下然
豆在釜中泣
本自同根生
相煎何太急

豆を煮てそれで熱いスープを作り
味噌を精製してスープの中に入れる
豆がらは釜の下で燃え
豆は釜の中で熱さに耐えず泣く
豆も豆がらも元々同じ根から生まれ出た兄弟であるのに
何をそんなに急いで豆がらを燃やして豆を煮るのだ

何とも切ない詩だ。


三国時代で忘れてはならないのが貂蝉
中国の四大美女の一人だが認知度は今一つだ。
三国時代の初期、
権威を振るった董卓とその義理の息子呂布、
二人を色仕掛けで誑かし、
呂布をして義父董卓を殺せしめた妖女だ。
貂蝉は架空の人物らしい。

前へ     次へ



引用文献
講談社刊:古筆から現代書道まで墨美の鑑賞
東京書道研究院刊:書の歴史
芸術新聞社刊:中国書道史
木耳社刊:中国書道史(上卷)(下巻)
二玄社刊:中国法書選
芸術新聞社刊:中国書道史の旅
大修館書店刊:漢字の歴史
平凡社刊:字統
平凡社刊:名筆百選
講談社刊:古代中国

次へ

inserted by FC2 system