書の歴史7/草書・行書・楷書の出現

漢の弱体化に伴い各地で群雄が割拠する。
中でも黄巾の乱は全国的な規模に及んだ。
この乱を平定した曹操、
蜀を立てた劉備、
揚子江か流域で呉を立てた孫権、
所謂、三国時代の到来である。

先年、揚子江を遡って白帝城を訪れた。
劉備の終焉の場だ。
関羽、張飛、孔明が左右に控えた蝋人形は臨場感があった。
関羽は中国の至る所で祀られている、横浜の中華街にもある。
後に訪れた成都の住民達からは、
劉備よりも孔明への熱い思いが感じられた。
中国人の関羽、孔明への思い入れは熱狂的だ。
関羽と孔明をたして二で割ったのが現代の周恩来では無いだろうか。
中国国民の周恩来に寄せる思いは熱い。

漢王朝の思想的な礎であった儒教が衰え、
自由、自然思想が流行するようになると、
書の分野でも大きな変革が生じる。
漢代の質実剛健から情緒、幽玄、変化を求める方向に転じ、
形に捕われない自由闊達な書体、
草行書の筆意が出現する。
隷書から章草、章草から草書が、
また、
隷書から楷書から行書が生まれた、
と言われるがこの数百年で複雑に変化して来たのであろう。
日常の実用文字をもっと速く書きたいという速度への要求もあったのであろう。

後漢に流行した石碑は殆ど見られなくなる。
曹操は石碑の建立を禁止したのだ。
石碑に変わって墓碑が見られるようになる。


草書の創始者とされる張芝は後漢後期の人、
池の辺で書の修行に精進し池が墨で真っ黒に染まったと言う。
張芝の書は此処に上げた草書帖の他幾つか伝わっているが、
信憑性のある物は皆無とされている。
ただ、後漢書に張芝に関する記述が有り、
歴史書に書人として名の載る最初である。

 張芝・草書帖

草書帖臨書

臨書してみて改めて感じるのだが、
この書が2000年近く前の作品とはとても思えない。
全体のバランス、鋭い線質、艶やかささえ感じる運筆、
流石、草聖とうたわれる草書の名手の名を恥じない。



三国時代の書の双璧と言われるのが魏の鍾(151−230)と呉の皇象だ。

皇象は、
古来より章草の名手と言われ歴史書にも、
「呉国はおろか中国内の能書家にも及ぶものは居ない」
「一代の絶手である」とされ、
後漢に流行した章草の独特な筆法をよく伝え、
切れ味の良さを称えられている。
しかし、急就章を始め繰り返しの翻刻で殆ど原型を留めていないとも言われる


魏の要職にあって政治家としてその手腕は高く評価されている。
夜布団に入ってから布団に指で字を書き布団に穴をあけるほどだったと言う。
古書に「鐘は天然(天質自然の妙味)において第一である」とあるが、
無心に自然体で線を連ねた筆法は含蓄に富みリズムすら感じる。
書風は幾分隷意の趣が残る。
「その書は絶世の神品」とされ、
王羲之の師筋とも伝えられたこともあいまって、
後世になると益々その評価が高まった。
現代でも、楷書を学ぶなら鍾とも言われ、
風の書を眼にすることが多い。
しかし、鐘の書として伝わっている書は全て宋・明代の翻刻である。

皇象・急就章 ・薦季直表
 
急就章臨書 薦季直表臨書

引用文献
講談社刊:古筆から現代書道まで墨美の鑑賞
東京書道研究院刊:書の歴史
芸術新聞社刊:中国書道史
木耳社刊:中国書道史(上卷)(下巻)
二玄社刊:中国法書選
芸術新聞社刊:中国書道史の旅
大修館書店刊:漢字の歴史
平凡社刊:字統
平凡社刊:名筆百選
講談社刊:古代中国

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