730
バンコクー昆明の機内は満員、中国人の団体さんだろう、殆どが中国人だ。
ぺー族衣裳の女性もいる。
タイ航空の真新しい機内は快適そのもの、酒も飲み放題だ。

昆明空港は様変わりしている.
一年半前、如何にも地方都市空港だったのが、文句無しの国際空港に変貌だ。
人、人でごった返している、去年は半分くらいは外国人だったのが、中国人で埋まっている。
昆明の街も人、人、人の洪水、
去年あった鉄道のレールがすっかり取り払われ遊歩道になっている。



所知ったホテルのカウンターへ直行、
「お予約は?」
「予約してありません」
「すみません、満員です」
何とか成るだろうとタカを括って来たが、仕方ない、伝家の宝刀、邱さんの名刺を差し出す。
邱さんが飛んで来てくれた。

一年半ぶりの御対面、挨拶もそこそこに、何やらカウンターの受付嬢と話している。
何とか成るらしい、こんな時に知人が居るのは有難い。
しかも、旅行社のマネージャーなのだから心強いことこの上ない。

格安で極上?の部屋が取れた。
夜な夜なのカオサンの喧騒に疲れきった身に、真っ白なシーツが心地よい。
しばらく横になっていたが、ふと、麗江行きの切符のことが気がかりになる。
去年も、切符を取るのに2日掛かった。
むっくりと起き上がって、中国民航へ。

大変だ、麗江行きの航空券は8月25日まで予約で一杯、
今日は8月1日、いくら暇人と言っても、25日は待てない。
10時間掛けてバスで行くしかないかな? と半ば諦めて、邱さんのところへ顔を出す。

相変わらず多忙だ、居合わせた何人かの客を差し置いて、
「どうしました?」
「麗江行きの切符が....」
「8月25日まで満席よ、だけど、一寸待ちなさい、心当たりを当たってみるから..」
と電話を掛け出した。
何軒か当たって、クルリと振り向くと笑顔がこぼれる、
「で、麗江へは何時行きたいの? 世界博は見る?」
世界博の話になった。
「今、昆明は世界博で大変なの、ホテルも飛行機も一杯、
中国中から昆明に人が押し寄せて来るの、
入場者が一日に100万?10万?人よ」

日本を出る前、新聞で
「中国昆明の世界博不評...」
の記事を見たが、見ると聞くではおお違いだ。
昆明の変貌ぶり、混雑ぶりが納得出来た。
「麗江の皆に早く会いたいので、出来れば先に麗江に行きたい」
「じゃー、パスポートを私に預けておいて」

去年知り合った書家の馬さんの所へ顔を出しに歩き出す。
と、屋外のビヤーガーデンが目に入った、これも去年は無かった。
サーヴィスガールの
「大? 小?」
に、
「大」
といったら、持ち運んで来たのは、なんと、いわゆるピッチャーだ。
流石にてこずって、隣の少し派手めな二人連れの女性に声をかける、
「少し、手伝ってくれませんか?」
二人は顔を見合わせて、今度は私を頭のてっぺんからつま先まで見て、
「ノーサンキュウ」
仕方なしに一人で飲んでいると、二人連れの席に目付きの鋭い男が加わった。
二の腕に刺青がはみ出している。
男が此方をチラリと覗ったようだ。 間違いなくあの筋人だ。 
もし一緒に飲んでいたらどんな成り行きになっていただろうかと想像して背筋が寒くなる。
 
3人が席を立つと入れ替わりに若い男が座りコ−ラを飲み出した。
懲りずに又声をかける、
「少し、手伝ってくれませんか?」
「いやー、今夜、これから夜行バスで大理に行くんです、飲みたいけど飲めないんです」
流暢な英語が返って来る、そんな事で話が弾む、銀行員だそうだ。
「昆明に戻ったら電話下さい、一緒に飲みましょう」
と電話番号、住所、e−mailアドレスを教えてくれた。



馬さんともう一人の女性が顔を憶えていてくれた。
去年求めた馬さんの作品と私が写っている写真を進呈。
馬さん、時々話に加わるが篆刻をしている手を休めない。
制作に打ち込んでいるのだろうが、少し狂地味ていないでもない。
去年も何回か顔を出したが、何時も何かを書いていた。
プロとはそんなものなのだろう。




801
邱さんから電話、
「5時に事務所に来て」
と言ってるらしい。
5時まではまだ間がある、ブラッと出掛けようとしていたら、邱さんがやって来た。
ニコニコして、チケットをヒラヒラさせている。

危ない、危ない、さっきの電話は、「5時の切符が取れた」だったのだ。
それにしても、恐縮してしまう。
チケット代も定価の420元、100元多く渡そうとしても、どうしても受取らない。
「あなたは私の朋友です」

前にも述べたが、中国人の「朋友」と「そうでない人」の差は想像を超える。
「それで、貴方の麗江の朋友のお名前と電話番号、何でしたっけ?」
すぐさま、麗江の彭さんに電話を入れてくれる。
「彭さんが空港まで迎いにきてくれるそうです、ホテルもOK,飛行機は5時30分発です。
4時にチェックアウトすれば充分間に合います、カウンターにはそのように言っておきます」
もう、痒いところに手が届くような心遣いだ。

去年、Janeと昆明の大通りで感激の対面をし、彼女の案内で行った店、
驚いた事に、そこで更に、Joneとワカが偶然居合わせた店、
名前を忘れたが、その店を覗いてみた。
ところが、有った筈の所に店が見つからない、
小一時間ほど捜し歩いたが見つからない。
去年、昆明に居た幾日か毎日通った店なのに...
何のことはない、店の有った一角は真新しい中国銀行に変身していたのだ。
こんなのが中国の変化の激しさの一片だ。


(この間、麗江、中甸で10日間過ごす。
中国・麗江記2、中甸記参照。)


811
麗江空港は、朝から人で溢れている。
ロビーの目の前の滑走路の横に三台の飛行機が並んで、順次、客を乗せる、
どれもが昆明行きのようだ。
3、40分おきくらいに飛び立って行く。

通路を挟んだ反対側の席の若者が日本語で声を掛けて来た。
名刺に台湾の旅行社のガイドとある。 台湾のツアーを引率しているようだ。
私の反対となりの初老の男性も彼の客の一人、
「この人は、雲南で生まれ、少年時代に台湾に移りました。 今回、初めての里帰りです」
男性は、感慨深げに、窓から外を眺めたままだ。

日本の話、台湾の話が交互する。
「貴方、幾つ?」
「25歳、貴方は?」
「??歳」
「ふぇー、私の父は50歳です」
それから、彼は、私の事を、
「お父さん」
と呼ぶようになった。
「私は日本へ行った事が有る」
「私は台湾へ行った事が有る」
こんな事から、お互いの旅の話になる。
調子に乗って、私が旅談義を始めると、
彼は、中国語で彼の周囲にいる彼の客達に翻訳する。
客達は肯いて私に視線を送って来る。

昆明空港に着いても、彼は、人懐っこく何回も声を掛けて来た。
「お父さん」「お父さん」「さよなら、元気で!」「台湾へ来たら必ず電話して」
その度に、彼を取り巻く客達も一斉に手を振って寄越す、悪い気がしない。

真っ直ぐ邱さんの部屋へ、例によって先客を待たせ、私のチェックインを済ませると、
ロビーでゴロゴロしていた団体を引き連れて出て行った。 
まあ、まあ、忙しい事だ。

我々も現役時代に時々現場、と言っても製造現場、開発現場、営業現場といろいろ有るが、
に顔を出した事が有るが、我々の職場と違って、彼女の場合は、毎日毎日が、
未知の人達と顔を付き合わせる現場だ、緊張の連続だろう。

部屋に荷物を放り出したまま、何時ものビヤーガーデンで生ビールで喉を潤す。
間もなく変な男が近づいてきた、異様な風体だ。   
大きなスクラップブックの様なものを広げて捲くし立てる。
開いたスクラップブックには美麗な女性の写真がビッシリと並んでいる。
ポン引きだ。
「不要(ブヤオ)、不要(ブヤオ)」
と連発してもしつこい、 更に何やら畳み掛ける。
「チンブートン、チンプートン(あんたの言ってる事は判らない)」
を連発すると、
「お前は何処のもんだ? タイ人か? フィリッピン人か? マレーシヤか?」
日本は出てこない、私も、余程国際化したらしい。
質問の中に中国圏が入っていないのも面白い。
相手は、私が中国語は話せると見たのだろうか、などとほくそ笑む。
顔見知りのウエイトレスが、その男に何か話し掛けると、
男は振り返り振り返りして出て行った。

次ぎは靴磨き、その次は物乞い、物売り、
ポケットから骨董品もどきをチラリと覗かせる。
そして、花売りの少女、露店のガーデンにいろんなのが押しかけて来る。
時を見測ったように、店の者が出て来て追い出す、
しかし、彼等はそんなものにはへこたれない。
店の者、彼は斯様な連中を追い出すのが仕事らしい。

暫くあたりに目を光らせていた彼が奥に引っ込むと、また、堂々巡りが始る。
ひどいのは花売りの少女、
私のシャツの上ポケットへ花を差し込んでその場を離れない。
余りに可愛い少女なので、何がしかを与えると、ピョンと膝を折って礼を言う。
しかし、目玉には感謝の色は表れていない。

馬さんの書房に顔を出すと、馬さんは不在で、
二人の女性が手持ちぶさたに座り込んでいる。
顔見知りの方の女性が、
「もう、暇で、暇で.. 朝の7時から、夜の11時までこうしているのよ」
と欠伸を噛締める。
一等地の豪華ホテルの三階まで吹き抜けのロビーが見渡せる二階の店舗、
ロビーには人はウジョウジョしているのに、この店に客が居たためしが無い。
、掛軸、書画骨董、書道具、それも高級品になると、
物好きの日本人くらいしか覗かないのだろう。
去年、もう一つ上の階に有った書画骨董の店は、
容姿端麗では有るが妖しげな女が屯す高級バーの様なものに様変わりしている。

一通り店の品物を物色する。
格好な硯に目が止ると、日本語が達者なもう一人の方の女性がしつこく売り込む、
私の好かないタイプだ。
顔見知りの方が、
「あんた朋友なんだから、無理しなくても良いわよ」
もう一人の方へ、それとなく、牽制?する。
彼女の方は英語が達者だが、日本語はカタコ、暫く話し込む。
十二支を日本語で教えて上げる。 
猪と豚がどうしても区別出来ない、中国には猪が居ないらしい。

スーパーで紹興酒、25元。 煙草、8元、ライター、4元。
何時もの空揚げ屋で若鶏の腿2本。
これだけ仕入れてホテルへ。
電話が頻り無しに掛かって来る、猫撫で声で、
「按摩は如何?」
何時の間にか、紹興酒が半分ほどに減っている。

812
日本を出てから一ヶ月半が過ぎようとしている、やたらと、日本食が食べたい。
邱さんに教えてもらったのは、五人百姓と言う店、早速、尋ねてみる。

「イラッシャイマセ」
入口で、2、3人の女の子がたどたどしい日本語で迎え入れ、
一斉に、腰を不器用に折る。
100人も入るだろうか、大きな日中織り交ぜたような居酒屋。
まだ早い時間なので、店を開けたばかりなのだろう。
10人くらいの女の子が、テーブルの上の整備やら右往左右している。 客は私一人。
久しぶりの熱燗とマグロの刺身、当然冷凍物だが、仲々いける。
給仕の女の子が傍でじっと立って居て、私のテーブルに目を配る。



教育が行き届いて居るのだろうが、鬱陶しい。

窓から見上げると、目の前が10階建くらいのアパート、
昆明であの程度のアパートが幾らぐらいで借りられるのか興味が湧いた。
立ってる女の子に聞いてみると、
「判りません」
と答える、私の中国語が理解出来ないのか、本当に判らないのか判らない。
「日本人が居るので呼んできます」

いかにも板前風の日本人の男が私の前に坐り、名刺を寄越した。 Sとある。
「大体7、800元でしょうか、でも、日本人には仲々貸さないんですよ」
そんなことから話が始った。
ここのオーナーは中国人、奥さんは日本人、
何時か民俗村への途中で目に付いた「喜太郎」も同じ経営で、
そちらは本格的な日本式料亭、
奥さんと古い知己の関係で、此所に引っ張り出され、まだ二ヶ月とか。
「日本人だけでなく、中国人にも来てもらうように、客単価を設定してるんです」
日本酒20元、まぐろ寿司16元。

ヴィエンチャンのさもない日本料理店での日本酒一本5$に比べれば確かに格安だ。
「それでも、普通の中国人には仲々ね、まあまあの金持ちのリピーターが多いんです。
夜になると、この席が満員です」
「日本人のお客は、J航空会社関係とか、商社の方が多いです」
「マグロは広州の方から仕入れます、日本の商社マンなど、
口が肥えてますから変な物は出せないんです」
「日本人学生も、週に一回くらい、ラーメンを食いに来ますよ」
「世界博、最初は外国人が目当てだったのですが、
芳しくなく、中国人向けに変更、これが当たりました」
「江沢民が来た時の警戒は凄い、彼の通る道の裏通りまで通行止めでした」

若い男が、彼の元に器にいれたスープを持って来ると、彼は一寸舐めて、
「よし」
と日本語で言う、スープの味を確認したのだ、彼が調理場の責任者なのだ。

黒い中国服で身を纏った大柄な、一昔前活躍した中国系のタカラジェンヌに似た若い女性が、
何回か我々の傍を早足で通り、彼に一言二言鋭く声を掛ける、笑顔は無い。
「彼女は経理の方の責任者です、若いけどしっかりしてます、
彼女は「カンフー」の元中国チャンピオンです」
「一寸、恐そうですね」
と私が言うと、
「今夜、これから50人ほどの団体が入るので、彼女、今日は少し入れ込んでいるんです、
いつもはにこやかですよ」




彼が調理場に向かい大声で、
「おーい」
と声を掛けると、2、3人の若い男が飛んできて、
彼の傍に跪く、彼が日本語と中国語交じりで、何やら指示を出す。
ボツボツ客が入り出したのを見計らって、席を立つ。

ホテルに戻り、二週間前にビヤーガーデンで知り合った翼君に電話、
明日会おうと言う事になる。

また、甘い声で、引っ切り無しに電話が掛かって来る。
昨夜もそうだったが、今夜も電話線を元から抜いてしまう。
去年は電話で苦労したが、
今年は部屋毎に外線電話番号が付いて、便利になったんは好いが、
自由に外から電話が掛けられるようになったので思わぬ所に弊害が出る。
それにしても、按摩が欲しそうな男一人の部屋がどうして外部に判るのだろう。
ラオスやタイの田舎の方では、素朴な本当の按摩にお目に掛かれるが、
都会に近づくにつれて怪しくなる。
特に中国は、去年、シーサンパンナで嫌な目に会った事が有るから尚更だ。
あの甘い声に釣られて部屋に呼んだりしたらえらい目に会う、

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814
昆明園芸世界博覧会。
「混むから早く出掛けた方が良いわよ、タクシーの方が便利ですよ」
との邱さんの指示に従って、タクシーを下りて、目を見張る。
巾が100メートルも有るだろうか、広い広場が、群集で埋まっている。
これだけの人の群れを見たのは始めてだ、
一日の入場者が100万人?も、まんざら嘘でも無さそうだ。
人波を掻き分けて入場門へ、入場料100元、中国の物価からしたら、そう安くは無い。
昨夜のSさんのところで働いている女性の一ヶ月給料が3、400元と言うから、
中国人の誰も彼もが簡単には来れない、なのに、この人の多さ、
中国にも中産階級が激増しているのだろう。

入口を入ると、見渡しの良い広い谷間に沿って会場が設えられている。



会場案内を見ると、一番奥までは、2キロも有るだろうか、谷合いの中央道路にミニトレイン、
の切符を買う長蛇の列、更にミニトレインに乗るのに長蛇の列、やっとのことで乗り込む。
10分も走ると全員下ろされる、更に上に行くには次のミニトレインに乗り換えなくてはならない。
それが又、長蛇の列だ。
仕方なく列に並ぶ、目前の大きな建物は中国館、
入口が何処か判らないくらいに、大蛇がとぐろを巻く様に人が並んでいる。
長蛇の列とはよく言ったものだ。
昔の大阪万博を思い出す。

二回目のミニトレインの走る両側に、世界各国の庭園が並んでいる、
3、40ヶ国は有るだろうか、
一番奥まった辺りが国際館、この中には、世界の4、50ヶ国がブースを出している。
まず、そこに入ってみる、一つ一つはとても見切れない。 
特に見るべきものは無いが、
タンザニアとかケニヤと言ったアフリカ関係の民芸品を販売しているブースに、
特に人だかりが多い。
お国自慢の衣裳を着た女性達を眺めているのが楽しい。

北米、南米、ヨーロッパ、中近東、東南アジア等々各国独特の庭園、
それぞれ工夫を凝らしてはいるが、一口に言って、お粗末だ。 



例えば、フランス、あのベルサイユ宮殿の一裏庭にも劣るし、
オーストリアも然り、あのシューンブルン離宮を見た事の有る人は首を傾げるだろう。 
日本庭園もいかにも俄か造り、日本庭園の良さの片鱗も出し切って居ないのが不満。
しかし、生の情報に餓えている一般の中国人にとっては、これだけの各国の庭園様式が、
一堂に覗えられるのだから、それで満足なのだろう。 
万博なんてそんな物かも判らない。





流石、お国もとの中国は、上海、北京、内蒙古、四川、チベット等々、地域別、
更には、薬草、盆栽、野菜など種類別にも庭園が連なる。

中国の十大名花の紹介もある、
梅、牡丹、菊、蘭、山茶花、桂、水仙、月季花(MONTHLY ROSE)、
荷花(LOTUS)、杜鵑花(AZALEA)だそうだ。  

雲南八大名花と言うのも有る。
山茶花、杜鵑花(AZALEA)、報春花(PRIMROSE)、
緑絨蒿(MECONNOPSIS)、木蘭(MAGNOLIA)、
龍胆花(ROUGH GENTIAN)、百合、蘭とあった。

花の名には無頓着な私にはピンと来ない。
日本の十大名花とはなんだろう。
各都道府県に県花が有るのは聞いた事が有る。
会議室の「植物園」に顔を出したのが運の尽き?で、庭に何種類かの花の苗を植えてきたが、
今頃、花を付けているだろうか? トマト、茄子、ピーマンは実を付けた頃だが..

広い中国館は、壮大な木製や玉石の彫刻、書画で埋まっている、
中庭の見事さには溜息が出る。



食堂で一服しながら、人を眺める、子供も多い。 出入れする、人数を数えてみた。
10分ほどで出入れした大人52人に対し、子供は50人、殆ど半々だ。
ついでにカメラの数を数える、
カメラをぶら提げている人18人、持ってない人47人、この間に見た白人は4人。

会場の中央に、赤、紫、の花で埋まった大規模な花壇、
花で飾り尽くされた大きな船、50メートルも有るだろうか、



花に飾れたビル程の高さの帆が聳え立っている。
一方の崖には、大きく、EXPO!'99と描かれ、崖の全面から滝が流れ落ちる。
前景はオランダ館の風車だ。



帰りが一苦労、バス、タクシーは、これも長蛇の列、
見ているとバスに乗るには命の覚悟は要るようだし、
タクシーはポツリポツリしかやって来ない、仕方無しに市街に向けて歩き出す。
市街に向かう道は人の行列、その行列が皆タクシーを止めてしまうのだから、
タクシー乗り場で待っていたら大変だった、
殆ど昆明市街の入口まで戻って、やっとタクシーを拾う。


夕方、待ちきれなくて、一人でジョッキを傾けていると、翼君が約束の時間通りにやって来た。
ゆったりとした物腰、仕草、顔付き、将来大物に成りそうな予感がする。
彼も旅行好きで国内の彼方此方へよく出掛けるらしい、それも、一人旅が好きなようだ。
先日も大理の近辺の奥地へ行って来たとの事、旅の話が尽きない。
彼は日本語は全く駄目、英語は堪能、私は日本語はまあ堪能、英語、中国語はカタコト、
従って、会話は英語と中国語、込み入って来ると、
中国語の筆談、同じ文字でも、お互いに中国語、
日本語の発音は判らないが、意味は通じるので意志の疎通は計れる。  
文字は恐ろしい、特に漢字は。

彼は銀行員と言う商売柄、世界経済に詳しい、
「日本もそうでしょうが、今、中国は大変です」
「一時、株で大儲けしましたが、その後、それ以上に損をしました」

彼が、「縁」と言う字を書いて何か言う。
最初、何のことか理解に苦しんだが、やっと判った。 彼は、
「縁って言うのは不思議です」
と言っているのだ、
「二週間前、偶然、此所で隣り合わせて、また、こうして会っている。
もう、貴方は私の朋友です」
彼が、あらためて、握手を求める。 また一人、昆明に友人が出来た。


その後、毎晩、五人百姓へ通ったりして、昆明を数日ウロウロする。
例の翼君に刺身を食わした。
彼は、意を決して、目を瞑って刺身を口中に放り込み。
えらいところに付き合わされた、言うような顔付きをする。
これも生まれて始めての山葵の辛さに大粒の涙を流していた。
唐辛子の辛さ、塩辛さ、マスタードの辛さの他に、
こんな辛さも有ったのかと頻りに、肯く。
山葵は中国が原産と思っていたが...


以前、台湾旅行の際、何方かのお勧めで尋ねた台北大学、
それ以来、何処で時間が余れば、
その土地の大学を訪れる事にしている。 
過去に、中国では、長沙、武漢、杭州大学等のキャンバスを歩いた事が有る。
昆明の雲南大学を覗いてみた。





土地の人達が自慢するだけ有って、
如何にも歴史の有りそうな威厳が、庭の樹樹にまでも纏わり付いている。
そんな古めかしい、立派な建物が散在するキャンバス、
多分、清時代に出来たものであろう。
世界史的に馬鹿呼ばわりされる清政府の造った各地の大学で学んだ学徒達が、
更に新しい世の中を求めて巣立って行った事を思うと、「親の子離れ」の感がしてならない。

近くに昆明民族学院、此処は、曹や楊など麗江の朋友達が巣立った学窓だ。
正直言って、占いの店、とも思ったのは昆明に有る大学の勧誘の出店なのだ。



歩道に沿って、ずらりと並んだ机の列、机の前には、
??大学??学部、の垂れ紙が風に靡き、
それぞれ二人の学生風が坐っている。
そう、日本で言うと、??大学の合格者発表日、
ずらりと並ぶ予備校のビラ、ブース、そんな感じだ。

冷やかしに、昆明民族学院のビラのある机に近づくと、
「変なおっさんが来たぜ」
とも言うように、二人の案内人は左は左、右は右を向いてしまう。
「私、日本人、留学生の受け入れは有りますか?」
途端に笑顔を造って応対してくれる。
案内を見ると、半年、一年コースも有り、また、食指が動き出した。

早速、学校を訪れた。
40歳がらみの、度の強い眼鏡の女性が、
受講要領等いろいろと説明してくれ、教室、宿舎なども案内してくれる。
宿舎は、外来の宿泊所も兼ねており、小奇麗な一寸したホテルの一室に近い。 
しかし、自炊設備は共同、部屋は二人が原則で、個室希望は倍額となる。
岳陽のように、格安で2LDKを一人占め、とはいかないようだ。

家にいれば、黙っていても、目覚し時計代わりにちゃぶ台の音がして、
食卓に好物の納豆、干物が並ぶし、夜になれば布団も敷いて有る。
 洗濯も毎日してくれる。
時々は、近くの寿司屋で熱燗と新鮮な刺身、居酒屋では熱燗でおでんに有り付ける。
そんな環境を犠牲にしてまでの異国での一人住まい、
と天秤に掛ける迄に堕落してしまったらしい。
さて、どうしたものか?



真新しい陸橋から下を覗くと、ポツンと残された、古い昆明の町並みがある。
しかし、その向こうには、ビルの波が押し寄せてきている。
次に訪れたときには、この町並みは、真新しいビルに変貌している事は間違い無い。
(一年後の昆明にこの写真の跡形も残っていなかった)

(完)

 

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