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バンコクー昆明の機内は満員、中国人の団体さんだろう、殆どが中国人だ。
ぺー族衣裳の女性もいる。
タイ航空の真新しい機内は快適そのもの、酒も飲み放題だ。
昆明空港は様変わりしている.
一年半前、如何にも地方都市空港だったのが、文句無しの国際空港に変貌だ。
人、人でごった返している、去年は半分くらいは外国人だったのが、中国人で埋まっている。
昆明の街も人、人、人の洪水、
去年あった鉄道のレールがすっかり取り払われ遊歩道になっている。
所知ったホテルのカウンターへ直行、
「お予約は?」
「予約してありません」
「すみません、満員です」
何とか成るだろうとタカを括って来たが、仕方ない、伝家の宝刀、邱さんの名刺を差し出す。
邱さんが飛んで来てくれた。
一年半ぶりの御対面、挨拶もそこそこに、何やらカウンターの受付嬢と話している。
何とか成るらしい、こんな時に知人が居るのは有難い。
しかも、旅行社のマネージャーなのだから心強いことこの上ない。
格安で極上?の部屋が取れた。
夜な夜なのカオサンの喧騒に疲れきった身に、真っ白なシーツが心地よい。
しばらく横になっていたが、ふと、麗江行きの切符のことが気がかりになる。
去年も、切符を取るのに2日掛かった。
むっくりと起き上がって、中国民航へ。
大変だ、麗江行きの航空券は8月25日まで予約で一杯、
今日は8月1日、いくら暇人と言っても、25日は待てない。
10時間掛けてバスで行くしかないかな? と半ば諦めて、邱さんのところへ顔を出す。
相変わらず多忙だ、居合わせた何人かの客を差し置いて、
「どうしました?」
「麗江行きの切符が....」
「8月25日まで満席よ、だけど、一寸待ちなさい、心当たりを当たってみるから..」
と電話を掛け出した。
何軒か当たって、クルリと振り向くと笑顔がこぼれる、
「で、麗江へは何時行きたいの? 世界博は見る?」
世界博の話になった。
「今、昆明は世界博で大変なの、ホテルも飛行機も一杯、
中国中から昆明に人が押し寄せて来るの、
入場者が一日に100万?10万?人よ」
日本を出る前、新聞で
「中国昆明の世界博不評...」
の記事を見たが、見ると聞くではおお違いだ。
昆明の変貌ぶり、混雑ぶりが納得出来た。
「麗江の皆に早く会いたいので、出来れば先に麗江に行きたい」
「じゃー、パスポートを私に預けておいて」
去年知り合った書家の馬さんの所へ顔を出しに歩き出す。
と、屋外のビヤーガーデンが目に入った、これも去年は無かった。
サーヴィスガールの
「大? 小?」
に、
「大」
といったら、持ち運んで来たのは、なんと、いわゆるピッチャーだ。
流石にてこずって、隣の少し派手めな二人連れの女性に声をかける、
「少し、手伝ってくれませんか?」
二人は顔を見合わせて、今度は私を頭のてっぺんからつま先まで見て、
「ノーサンキュウ」
仕方なしに一人で飲んでいると、二人連れの席に目付きの鋭い男が加わった。
二の腕に刺青がはみ出している。
男が此方をチラリと覗ったようだ。 間違いなくあの筋人だ。
もし一緒に飲んでいたらどんな成り行きになっていただろうかと想像して背筋が寒くなる。
3人が席を立つと入れ替わりに若い男が座りコ−ラを飲み出した。
懲りずに又声をかける、
「少し、手伝ってくれませんか?」
「いやー、今夜、これから夜行バスで大理に行くんです、飲みたいけど飲めないんです」
流暢な英語が返って来る、そんな事で話が弾む、銀行員だそうだ。
「昆明に戻ったら電話下さい、一緒に飲みましょう」
と電話番号、住所、e−mailアドレスを教えてくれた。
馬さんともう一人の女性が顔を憶えていてくれた。
去年求めた馬さんの作品と私が写っている写真を進呈。
馬さん、時々話に加わるが篆刻をしている手を休めない。
制作に打ち込んでいるのだろうが、少し狂地味ていないでもない。
去年も何回か顔を出したが、何時も何かを書いていた。
プロとはそんなものなのだろう。
801
邱さんから電話、
「5時に事務所に来て」
と言ってるらしい。
5時まではまだ間がある、ブラッと出掛けようとしていたら、邱さんがやって来た。
ニコニコして、チケットをヒラヒラさせている。
危ない、危ない、さっきの電話は、「5時の切符が取れた」だったのだ。
それにしても、恐縮してしまう。
チケット代も定価の420元、100元多く渡そうとしても、どうしても受取らない。
「あなたは私の朋友です」
前にも述べたが、中国人の「朋友」と「そうでない人」の差は想像を超える。
「それで、貴方の麗江の朋友のお名前と電話番号、何でしたっけ?」
すぐさま、麗江の彭さんに電話を入れてくれる。
「彭さんが空港まで迎いにきてくれるそうです、ホテルもOK,飛行機は5時30分発です。
4時にチェックアウトすれば充分間に合います、カウンターにはそのように言っておきます」
もう、痒いところに手が届くような心遣いだ。
去年、Janeと昆明の大通りで感激の対面をし、彼女の案内で行った店、
驚いた事に、そこで更に、Joneとワカが偶然居合わせた店、
名前を忘れたが、その店を覗いてみた。
ところが、有った筈の所に店が見つからない、
小一時間ほど捜し歩いたが見つからない。
去年、昆明に居た幾日か毎日通った店なのに...
何のことはない、店の有った一角は真新しい中国銀行に変身していたのだ。
こんなのが中国の変化の激しさの一片だ。
(この間、麗江、中甸で10日間過ごす。
中国・麗江記2、中甸記参照。)
811
麗江空港は、朝から人で溢れている。
ロビーの目の前の滑走路の横に三台の飛行機が並んで、順次、客を乗せる、
どれもが昆明行きのようだ。
3、40分おきくらいに飛び立って行く。
通路を挟んだ反対側の席の若者が日本語で声を掛けて来た。
名刺に台湾の旅行社のガイドとある。 台湾のツアーを引率しているようだ。
私の反対となりの初老の男性も彼の客の一人、
「この人は、雲南で生まれ、少年時代に台湾に移りました。 今回、初めての里帰りです」
男性は、感慨深げに、窓から外を眺めたままだ。
日本の話、台湾の話が交互する。
「貴方、幾つ?」
「25歳、貴方は?」
「??歳」
「ふぇー、私の父は50歳です」
それから、彼は、私の事を、
「お父さん」
と呼ぶようになった。
「私は日本へ行った事が有る」
「私は台湾へ行った事が有る」
こんな事から、お互いの旅の話になる。
調子に乗って、私が旅談義を始めると、
彼は、中国語で彼の周囲にいる彼の客達に翻訳する。
客達は肯いて私に視線を送って来る。
昆明空港に着いても、彼は、人懐っこく何回も声を掛けて来た。
「お父さん」「お父さん」「さよなら、元気で!」「台湾へ来たら必ず電話して」
その度に、彼を取り巻く客達も一斉に手を振って寄越す、悪い気がしない。
真っ直ぐ邱さんの部屋へ、例によって先客を待たせ、私のチェックインを済ませると、
ロビーでゴロゴロしていた団体を引き連れて出て行った。
まあ、まあ、忙しい事だ。
我々も現役時代に時々現場、と言っても製造現場、開発現場、営業現場といろいろ有るが、
に顔を出した事が有るが、我々の職場と違って、彼女の場合は、毎日毎日が、
未知の人達と顔を付き合わせる現場だ、緊張の連続だろう。
部屋に荷物を放り出したまま、何時ものビヤーガーデンで生ビールで喉を潤す。
間もなく変な男が近づいてきた、異様な風体だ。
大きなスクラップブックの様なものを広げて捲くし立てる。
開いたスクラップブックには美麗な女性の写真がビッシリと並んでいる。
ポン引きだ。
「不要(ブヤオ)、不要(ブヤオ)」
と連発してもしつこい、 更に何やら畳み掛ける。
「チンブートン、チンプートン(あんたの言ってる事は判らない)」
を連発すると、
「お前は何処のもんだ? タイ人か? フィリッピン人か? マレーシヤか?」
日本は出てこない、私も、余程国際化したらしい。
質問の中に中国圏が入っていないのも面白い。
相手は、私が中国語は話せると見たのだろうか、などとほくそ笑む。
顔見知りのウエイトレスが、その男に何か話し掛けると、
男は振り返り振り返りして出て行った。
次ぎは靴磨き、その次は物乞い、物売り、
ポケットから骨董品もどきをチラリと覗かせる。
そして、花売りの少女、露店のガーデンにいろんなのが押しかけて来る。
時を見測ったように、店の者が出て来て追い出す、
しかし、彼等はそんなものにはへこたれない。
店の者、彼は斯様な連中を追い出すのが仕事らしい。
暫くあたりに目を光らせていた彼が奥に引っ込むと、また、堂々巡りが始る。
ひどいのは花売りの少女、
私のシャツの上ポケットへ花を差し込んでその場を離れない。
余りに可愛い少女なので、何がしかを与えると、ピョンと膝を折って礼を言う。
しかし、目玉には感謝の色は表れていない。
馬さんの書房に顔を出すと、馬さんは不在で、
二人の女性が手持ちぶさたに座り込んでいる。
顔見知りの方の女性が、
「もう、暇で、暇で.. 朝の7時から、夜の11時までこうしているのよ」
と欠伸を噛締める。
一等地の豪華ホテルの三階まで吹き抜けのロビーが見渡せる二階の店舗、
ロビーには人はウジョウジョしているのに、この店に客が居たためしが無い。
、掛軸、書画骨董、書道具、それも高級品になると、
物好きの日本人くらいしか覗かないのだろう。
去年、もう一つ上の階に有った書画骨董の店は、
容姿端麗では有るが妖しげな女が屯す高級バーの様なものに様変わりしている。
一通り店の品物を物色する。
格好な硯に目が止ると、日本語が達者なもう一人の方の女性がしつこく売り込む、
私の好かないタイプだ。
顔見知りの方が、
「あんた朋友なんだから、無理しなくても良いわよ」
もう一人の方へ、それとなく、牽制?する。
彼女の方は英語が達者だが、日本語はカタコ、暫く話し込む。
十二支を日本語で教えて上げる。
猪と豚がどうしても区別出来ない、中国には猪が居ないらしい。
スーパーで紹興酒、25元。 煙草、8元、ライター、4元。
何時もの空揚げ屋で若鶏の腿2本。
これだけ仕入れてホテルへ。
電話が頻り無しに掛かって来る、猫撫で声で、
「按摩は如何?」
何時の間にか、紹興酒が半分ほどに減っている。
812
日本を出てから一ヶ月半が過ぎようとしている、やたらと、日本食が食べたい。
邱さんに教えてもらったのは、五人百姓と言う店、早速、尋ねてみる。
「イラッシャイマセ」
入口で、2、3人の女の子がたどたどしい日本語で迎え入れ、
一斉に、腰を不器用に折る。
100人も入るだろうか、大きな日中織り交ぜたような居酒屋。
まだ早い時間なので、店を開けたばかりなのだろう。
10人くらいの女の子が、テーブルの上の整備やら右往左右している。 客は私一人。
久しぶりの熱燗とマグロの刺身、当然冷凍物だが、仲々いける。
給仕の女の子が傍でじっと立って居て、私のテーブルに目を配る。
教育が行き届いて居るのだろうが、鬱陶しい。
窓から見上げると、目の前が10階建くらいのアパート、
昆明であの程度のアパートが幾らぐらいで借りられるのか興味が湧いた。
立ってる女の子に聞いてみると、
「判りません」
と答える、私の中国語が理解出来ないのか、本当に判らないのか判らない。
「日本人が居るので呼んできます」
いかにも板前風の日本人の男が私の前に坐り、名刺を寄越した。 Sとある。
「大体7、800元でしょうか、でも、日本人には仲々貸さないんですよ」
そんなことから話が始った。
ここのオーナーは中国人、奥さんは日本人、
何時か民俗村への途中で目に付いた「喜太郎」も同じ経営で、
そちらは本格的な日本式料亭、
奥さんと古い知己の関係で、此所に引っ張り出され、まだ二ヶ月とか。
「日本人だけでなく、中国人にも来てもらうように、客単価を設定してるんです」
日本酒20元、まぐろ寿司16元。
ヴィエンチャンのさもない日本料理店での日本酒一本5$に比べれば確かに格安だ。
「それでも、普通の中国人には仲々ね、まあまあの金持ちのリピーターが多いんです。
夜になると、この席が満員です」
「日本人のお客は、J航空会社関係とか、商社の方が多いです」
「マグロは広州の方から仕入れます、日本の商社マンなど、
口が肥えてますから変な物は出せないんです」
「日本人学生も、週に一回くらい、ラーメンを食いに来ますよ」
「世界博、最初は外国人が目当てだったのですが、
芳しくなく、中国人向けに変更、これが当たりました」
「江沢民が来た時の警戒は凄い、彼の通る道の裏通りまで通行止めでした」
若い男が、彼の元に器にいれたスープを持って来ると、彼は一寸舐めて、
「よし」
と日本語で言う、スープの味を確認したのだ、彼が調理場の責任者なのだ。
黒い中国服で身を纏った大柄な、一昔前活躍した中国系のタカラジェンヌに似た若い女性が、
何回か我々の傍を早足で通り、彼に一言二言鋭く声を掛ける、笑顔は無い。
「彼女は経理の方の責任者です、若いけどしっかりしてます、
彼女は「カンフー」の元中国チャンピオンです」
「一寸、恐そうですね」
と私が言うと、
「今夜、これから50人ほどの団体が入るので、彼女、今日は少し入れ込んでいるんです、
いつもはにこやかですよ」
彼が調理場に向かい大声で、
「おーい」
と声を掛けると、2、3人の若い男が飛んできて、
彼の傍に跪く、彼が日本語と中国語交じりで、何やら指示を出す。
ボツボツ客が入り出したのを見計らって、席を立つ。
ホテルに戻り、二週間前にビヤーガーデンで知り合った翼君に電話、
明日会おうと言う事になる。
また、甘い声で、引っ切り無しに電話が掛かって来る。
昨夜もそうだったが、今夜も電話線を元から抜いてしまう。
去年は電話で苦労したが、
今年は部屋毎に外線電話番号が付いて、便利になったんは好いが、
自由に外から電話が掛けられるようになったので思わぬ所に弊害が出る。
それにしても、按摩が欲しそうな男一人の部屋がどうして外部に判るのだろう。
ラオスやタイの田舎の方では、素朴な本当の按摩にお目に掛かれるが、
都会に近づくにつれて怪しくなる。
特に中国は、去年、シーサンパンナで嫌な目に会った事が有るから尚更だ。
あの甘い声に釣られて部屋に呼んだりしたらえらい目に会う、