この旅行記は、メロー一行とお別れした上海以降のものです。
残念ながら、上海、蘇州、無錫の写真が見つからないワイ
1年以上も探したのに.....
後半、抗州以降は写真を載せています。
ただ、最初のデジカメで画質が悪い!


11月23日

朝5時半、やっとやっと起き出す、6時に食事だ。
例によってバイキング、三分の一人前にも満たない量も食べられない。
昨夜のジャズバンドクラブであれだけ飲んでいた、Kimama亭さん、凡人さん、たこ平さん達の
早朝からのご健啖ぶりには全く驚かされる。
身体の出来が違うのか、修行の違いか?

謝夢さんから、ご紹介のホテルの予約票を戴く。
明後日の飛行機の切符は今夜別の人が届けてくれることになった。
慌ただしくバスに乗り込んだメロウの面々、皆顔色も良い、元気一杯だ。
みんな青春?を謳歌している。
暫くのお別れに名残を惜しむ。

凡人さんが今夜泊まるホテルまで案内して下さる、下検分だ。
昨日のスーパーのご案内といい、ほんとに助かる。
凡人さんの後を付いて入ったのは高級ブランド品が並んだ友誼商店、
その表口から店内を素通りして裏口に抜けると、其処に有るのがスーパーマーケット、
日本食品もズラリと並んでいる、何よりも安い安い。

凡人さんと別れてからホテルで日本から持参の半生ラーメンなど作って、11時頃にホテルを移る。
流石に和平飯店より劣るが、窓いっぱいのバンドの風景は最高だ。
久しぶりに、これも持参の日本米を炊いて海苔の佃煮で炊き立てのご飯をほうばる。
こんなのが何よりも美味しいのだから、情けないといえば情けない。

上海の地図など広げてゆっくりしてしてから、近くの魯迅記念館、魯迅旧居へ向かう。
例によってバスに乗ったがのはいいが、凄い渋滞、
たかが2、3キロの所が1時間近くも掛かってしまう。
地図で郊外に有ると見たが、結構繁華街の真っ只中だ。
3元の入場料を払って魯迅公園、入れ口の女性に魯迅記念館を尋ねる、
何か早口でまくしたてられる、叱られているような感じだ。
中国人の人に対する接し方、知人と知らない人で、月とスッポンほど異なる。
謝夢さんの様な人ばかりではない。

どうも記念館は見れないようだ、案の定、記念館は目下立替え中、
それにしても、立派な記念館だ。
中国人の魯迅への思い入れの大きさが感じられる。
公園も結構広い、大きな池には三三五五ボートがゆったりと浮かんでいる。
奥まった植え込みの中に魯迅の銅像が聳えている、これが魯迅の墓だ。

公園を出て、魯迅の旧居を尋ねる。
古ぼけてはいるが大ぶりの煉瓦造りの半洋館の建物が立ち並ぶ辺り
(案内書に依るとこの辺りは旧日本人街だったらしい)の一角の三階建ての
今で言うマンションのような長屋の一つが魯迅の上海時代の旧居だ。
たった一人の客に案内の女性が二人付く、追い立てられるような格好で三階まで、
決して華美ではないが、造作や調度品の一つ一つがしっかりしており、
如何にも大学教授の住まいらしい風格を醸し出している。
魯迅が生活していた当時のまんまが残されているのだそうだ。

壁に、如何にも利発そうな少年の写真、
「これは魯迅の少年時代のですか?」
「いいえ、これは魯迅の息子さんです」

魯迅公園の近くのマクドナルドに入る。
入れ口は日本の下町に良くあるような可愛いものだが、2階に上がって驚いた。 
広広とした部屋に、これまた広広と窓一面が魯迅公園の庭に面して明るく広がっている。 
大きな欅が数本、窓の高さを通り越してまだ天に伸びている。
お互いに目を見つめながら語り合う二人連れ、
一心不乱に読書に耽る女学生、日本でも良く見る風景だ。


夕方、バンドを歩く、突然、変な女が声を掛けてきた。 一見、素人臭い女だが、
まさか、俺様に一目惚れして、思わず声を掛けてきたとは思えない、

「ニーシーナアゴウレン?」(あんた何処の国の人?)
「ウオシーチョンゴウレン」(俺は中国人だ)
「ナーリーレンナ?」(中国の何処の人?)
「フーナンレンだ」(湖南人だ)
「フーナンダ゙シャンマーディーファンナ?」(湖南の何処?)
「フーナンダユエヤンだ」(湖南の岳陽だ)

これだけの会話でお里はバレたようだ。
(これから以降の会話の相手の言葉の内容は、多分こんな事だろうと想像も入る)

「一緒にお茶を飲まない?」
「奥さんがホテルで待ってんだ」
「何処のホテル?」
「ほら、其処だ、和平賓館だ」
「いいじゃないの、少しの時間」
「不要」
......
「不要!」
その筋の女のようだ、しつこく纏わり付くので一寸声を荒くしたら離れていった。

スーパーで紹興酒、ビール、うどんなど買い込んで真っ直ぐにホテルへ戻る。
黄浦川が南から東にほぼ直角に曲がるその曲がりっ鼻にあるホテルの
七階の部屋からのバンドの夜景は言語を絶する。
大きな窓枠の真ん中に黄浦川が垂直に流れ左右にライトアップされた建物が打ち並んでいる。
バンドの全景が手に取るようだ。
光ばかりではない、
ぽんぽん蒸気の音、時々通る大型船のドラの音もサラウンドで響いて来る。
光と音の交響楽の真っ只中、まさに上海の上海に居る実感なのだ。

夜、岳陽へ電話、「早く! 来て! 来て!」を連発される。
兎も角、長沙まで行ってからだ...



1224
たっぷり寝て起きたら7時、窓を開くと眼前に霧に咽ぶバンドが迫って来る。
不思議と、絶え間無く聞こえる舟の音が気にならない。
昨日スーパーで仕入れた「うどん」で朝飯、何よりも優る御馳走だ。
そう言えばホテルが朝飯付きだったのを忘れていた。

モタモタとして、10時にホテルを出る、まず、昨日凡人さんにお連れ戴いた友誼商店へ、
此方に来て初日にズボンにソースを零して気になっていたので、
昨日目にした絹のズボンでもお土産代わりにと思い、なるべく美形そうな店員に尋ねる。
「冬物は無いの?」
「冬物はありません」
だと、昔、絹を着ていた人は、冬は何を着ていたのだろう?

今日の狙いは、上海美術館と上海博物館。
ホテルのフロントで美術館の在処を尋ねるが、誰も判らない。
3、4人集まって来て、なんじゃかんじゃやってたが判らない。
諦めてホテルを出ようとしたら、大声で呼び止められた、知ってる人がいたらしい。

暫くバンドの裏側を散策してバスを拾う、教えられたバス停で降りて、
「上海美術館はどっち?」
「あっち」
少し行って、又尋ねると、
「あっち」
と、もと来た方を指差す。
又行って尋ねると、反対方向、そんなこんなして見つけたのが、
成る程、2,3回前を通ったのに気付かない程、目立たない、
というより、**銀行の看板が大きく出ていて美術館の標示は無い。

やっと探し当てて入ろうとすると、出口と書いてある、入れ口が判らない。
出口の売店のお姐さんが丁寧に教えてくれたのだけど、
又建物の廻りを右往左往してやっと見つけた入場券売場は
一番始めバスから降りた真ん前にある掘っ建て小屋、
いってみれば、パチンコの景品交換所もどきだったのだ。

中に入ると、なんと、日本画展をやっている、それもはなはだ小規模だ。
上野の美術館の近くで個展をやってる美術館もどき。
以前、知人から上海に行ったら絶対に上海美術館を見逃さないようにと念を押されていたのに..
(後で判ったが、美術館と博物館と聞き違えていたようだ)

もう12時近い、美術館の隣の洒落た店で生ビールとサンドイッチを
摘んで、近くの上海博物館へ。

人民広場の一角に超然と光っている博物館の周囲は、小学生、中学生で溢れている。
彼等の服装からして修学旅行と言うより、授業の一環のようだ。
中に入ると、あちこちで真剣にメモを取っているの子供たちを見掛ける。

以前、ニースのシャガール美術館で垣間見た風景を思い出す。
一つの絵の前に車座になって座っている子供たち、
熱の篭もった説明をする若い女教師、双方の真剣な眼差しを思い浮かべる。
我々は経験が無いが最近の日本の教育にはこんな授業が組み込まれているのだろうか?

入場料は20元、古代青銅器、彫刻、陶磁器、絵画、書法、印璽、玉器、歴代貨幣、
等の分類毎、時代順に分かり易く陳列されている。
お目当ての一つだった絵画が現在クロスだったのが残念、書以外はカメラ撮影可が嬉しい。

展示内容は台北の故宮博物館にも劣らない、むしろ故宮博物館よりもゆったりとしていて、
内容は勿論、配置、照明、説明、等々近代的な感覚で工夫を凝らした陳列デザインは、
大胆にして精緻、名品の名品たる芸術性の全てを出し尽くしている、
今迄に観た何処の博物館にも引けをとらない。

特に陶磁器、青銅器、書法のコレクションには世界的に有名だそうで素人目にも絶品が多い、
夢にまで見た懐素、米楡の現物が直にお目にかかれるのだから..
印璽のコレクションも質量共に世界一だそうだ、古代からの印璽が見事だ。 
日本語のイヤーホーンガイド(40元)、各分類毎の主要品についてのメッセージも懇切丁寧。

12時過ぎから閉館の5時まで、ゆっくりとと言いたいところだが、
結局全部は見切れなかったのが残念。以前、
「中国の宝物は殆ど台湾に持って行かれて、中国にはたいした物が残っていない」
と言ってた人が居たが、
それは内戦が終わった直後の話しであり、
その後にもどんどん、むしろ、大規模な発掘が進んでいるのだ。

日本食の看板に釣られ、久しぶりの日本食店に入り込む、
小奇麗で2,30人は入れそうな居酒屋風だ、客は誰もいない。 
「とろ」の札も掛かっている。

経営者と思われる如何にも切れそうな若い男が流暢な日本語で話し掛けてきた。
「うちは日本のお客様しかお見えないのです」
「それも、団体のお客様が多いのです」
今はシーズンオフなのだろう。
持っていたデジカメに興味を持ったようだ、店の女達も寄ってきた。
その場で撮影して見せてあげると、歓声が上がる。 
男の腕にはダイヤを散りばめた金の腕時計が光っているのに。
そう言えば、中国のデパートでもデジカメを見掛けない。
まあ、普及するのは時間の問題だろう。

熱燗2本        80元
もろきゅう        7元
湯豆腐          60元
青島ビール小瓶2本   40元
枝豆            10元

本当は、刺身、鮨に食指が動いたのだが、一寸客が少ないのでグッとこらえる。 
日本の普通の居酒屋と値段設定がおおよそ同じなのが心憎い。

ホテルに戻って外灘の夜景を肴に紹興酒をチビチビ....

明日は長沙から岳陽、いよいよ懐かしい顔々と再会出来る。
1週間も旧交を暖め、また華南に戻り、抗州、紹興、寧波から海路で上海にでる予定だ。



岳陽に戻ってきた。
岳陽楼の真ん前のホテルに投宿、此所に滞在中、
毎日岳陽楼と洞庭湖が拝めるとと思うと心が弾む、
しかし、通された部屋は岳陽楼も洞庭湖も見えない反対側だ。 直ぐ、
「岳陽楼の見える部屋!」
と頼むと二つ返事でokだ、所が大変、5階の部屋に通される。
エレベーターが無いのが辛い。

早速、懐かしの学び舎へ、 たったの三ヶ月で学校の門前が一変した。
三ヶ月前迄、雨が降ると酷い泥濘、晴れると一寸先も見えなくなる砂塵、
そんな路がすっかりとコンクリートで塗り固められた、
流石経済成長率7%とか8%とかの中国だ。
そうなると、また風情が無い。
道沿いに何軒か有った半分露店のラーメン屋の姿も形も無い、
「あの子は渋谷辺りでも相当いけるんじゃないの?」
なんて良く噂した看板娘も何処かへ消えてしまった。
文明の果ての大笑いってなところだ。

いつものように、ビルの谷間から大声を出すと、
あちこちの窓からにょっきりと見知った顔が飛び出す。
JohnもGimも瑞枝ちゃんも相変わらずの元気印。

瑞枝ちゃんは娘の親友で、自分の家のように小生の家に出入りしている、
まあ、小生の娘のようなものだ。
去年、小生が麗江で入院した時に、娘と一緒に麗江まで来てくれたのが縁で、
小生と入れ替わりで、こちらに留学している。 
瑞枝ちゃんの部屋は4階、ここもエレベーターが無い。
一当たり、話が弾んで、今夜はJohnの部屋でパーテーということになる。

瑞枝ちゃんと市場に買物に出掛ける、
見知ったおばさん達が懐かしい笑顔を送って呉れる、
野菜果物等々10元も買い込むと、二人で持ち切れないほどだ。

瑞枝ちゃんが台所に立つ、瑞枝ちゃんが叫ぶ、
「ネダ! 一寸来て! 一寸味見て!」
英語だ。
と、前の部屋から、四階建の建物が揺れんばかりの足音を立てて、
大きなネダが駆け込んでくる。
鍋に手を突っ込んで味見をしているようだ、
「ok,ok!」
ドタバタと部屋に戻ってゆく。

ネダはアメリカ人、こんな生活をしているのだから、
一年後の瑞枝ちゃんの英語は半端なものではない。
よく、語学留学とかを見たり聞いたりするが、
此所ほど安上がりで実の有る留学先は無いだろう。

瑞枝ちゃんが料理している間に、早速、瑞枝ちゃんのパソコンで日本へメールを打つ。

国際色豊かな面々が14、5人集まった、
アメリカ、イギリス、中国、日本、一人のアメリカ人はイランとトルコの混血、
相変わらずJohnが次々に場をリードし盛り上げる、
英国人一流の洒落と機智に富んだホスト振りだ。

英国式のゲームが始まる、親がトランプを全員に配り、親が
「最小」
というと、皆が隠し持った自分のカードを見て、
「イエス」「ノー」
の申告をするのだ、
「イエス」「ノー」のどちらでも自由、
但し、「イエス」の人は必ず酒を一杯飲まなければならない、
そして、その場で最小のカードを持った人だけは必ず一杯の酒を飲まなければならないのだが、
その際、
「イエス」
と言った場合は一杯で済むが、
「ノー」
と言って、もしその人のカードが最小だった時は、その人は二杯飲まなければならない。
親が 「最高」 と指示した場合はその逆になる。

単純で回転が速いから、場は直ぐにアルコール漬けになる。
如何にも英国の学生気質を感じるゲームだ。

籤運の良い?中国人の男学生が続けざまに強いウイスキーを飲む嵌めになって苦しんでいる時、
やおら立ち上がった一人の中国人女子学生が、
「私が彼の代わりに飲みます」
とガブガブ飲み始めた。
もし、魯迅がこんな風景を見たら涙を流して喜ぶであろう。



抗州。
抗州飛行場から乗り込んだバスの中、
はっと息を呑むような美形の女性が、
乗客の一人一人に宿の案内やら観光地案内やら笑顔一杯に応対している、
小生の番に廻ってきた、
「何処まで行きます?」
「***ホテル」
「***ホテル? えーと、判らないわ。 とにかく終点まで行きましょう。」

一通り応対が済むと、私の前席に居る男の隣に座って、男と楽しそうに話し出した。 
暫く振りに会った恋人同士のようだ、
透き通る肌、つぶらな瞳、綺麗に並んだ真っ白な歯、福よかな頬、 
ここ抗州は、西施をはじめ、美人の産地とは聞いてはいたが、西施はこんな感じだったのかな? 


快活にお喋りする鼻筋の通った横顔を眺めていると、いきなり小生に振り向いて、
「***ホテルは判らないけれど、もし、良かったらホテルを紹介しましょうか?」 
「どんなホテル?」
「西湖のほとりの、静かなホテル、抗州の中心だから何処に行くのにも便利よ、とっても安いわよ、
私達も今から其処に行きます」
最後の一言で警戒心もほぐれる。

「抗州はいいですよ!」
男も話しかけてきた。 仲々感じのいいキムタク張の男だ、
「.........」
いろいろ話してくれるのだが理解できない、どうも、抗州案内をしてくれているようだ。

ホテルに着くと、二人はぴったりと肩を寄せ合って、奥の部屋に消えていった。


西湖。

ホテルに面して西湖が広がっている。





奇麗な街だ、一昔前の、軽井沢と白樺湖か蓼科湖かを足したような街、 
白楽天や蘇東坡がこよなく愛した西湖は何処から見ても趣がある。 

とりわけの名所が西湖十景、
断橋残雪、平湖秋月、曲院風荷、蘇堤春暁、花港観魚、
南屏晩鐘、雷峰夕照、三潭印月、双峰挿雲、 
名前にも風情が有る。

また何回か足を運んで、四季折々の風景を楽しみたいものだ。
自転車に乗った旅行者が多い、
10キロ余りの西湖の周囲に目白押しに並んでいるは名所旧跡、名園、
そして、西湖を東西、南北に分断し、
柳や桃の優雅な並木道が真っ直ぐに続く白堤(白楽天が修復)や、
蘇堤(蘇東坡が造った)、これらを巡るのには自転車が最適なのだ。

湖の周囲の到る所から遊覧船が縦横に出ていて、上述の名所巡りが出来る。 
遊覧船や手漕ぎの小船の船頭が大声で客を引く。 
所々で、客と客引きの値段交渉が行われている。 

中国風の亭(あずまや)がそのまま舟になったような遊覧船に乗り込む。
33元で、何処から乗っても何処に降りても、何回乗っても自由と言う奴だ。 
2、30分の快適な船旅、湖のほぼ中央に有る西湖の名所の一つ、
三潭印月と言う小さな島に渡る。 



島の中は殆どが池、その池を網目のように道が連なって、
沢山の池と奇木とがいも言われぬ独特の風景を作り出している、
どの一角をとらえても一服の絵だ。 
ここから月を眺めるのが最高、
とのことだが、今回はそんな機会を持てなかったのが残念だ。



抗州動物園。
バスの途中で動物園の看板を見つけて飛び降りる。 
幾つかの山と谷を抱えた広大な緑の中に、動物の檻が散らばっている。



余りに広いので檻から檻への移動が大変だ。
何十年振りかの動物園、ライオン、虎、熊などを観て、パンダ、
驚いたことにパンダの檻の中に入ってパンダと肩を組んで写真を撮っている子供が居る、
勿論有料だが、人間が座るセットが組んである。

記念にと食指?が動いたが、以前、檻の中からパンダに衣服を引き込ま
れて死人が出たことが有ったような気がして、止めておいく。
今まで見たことの無いような沢山の種類、3,40種類もの犬が吠えちぎっていたが、
上野の動物園に犬が居ただろうか?




杭州博物館。
訪れた場所では必ず其処の博物館を観る、が習慣になっているが、流石に見飽きた感がある。 
それに加えて、上海博物館でもそうだったが、
ここ抗州博物館でも、お目当ての書画館が特別展「劉少奇」の為休館、
是は何とかならないものだろうか? がっくりだ。

劉少奇は昔から好きな人物の一人だが、
今年は劉少奇誕生100年記念で彼方此方で同じような催しをやっていて、少々食傷気味だ。

もっとも日本でも同じような事があった、
某宗教系の大美術館の常設作品が見たくて、お金と時間を掛けて訪れたのに、
その某宗教のトップの撮った写真展とかをやっていて、
信者の山に埋まって、がっくりしたことが有った。


霊隠寺、
326年開山というから相当な歴史の有る寺だ、
奈良の都が出来たのが
「ナニワトモアレ平城京」、728年だもの。 
奈良京都の寺を更に壮大にした感じだ、ここには951年に作られた石仏が残っている。 
この仏像の顔面に触れると良いことが有るとかで、
1000年もの間の人々の手垢で黒光りしている。 
人差し指で一寸触れてみた、人差し指ほどの良いことが有りそうだ。





面白いことが有った。
霊隠寺の境内、小川を挟んで普通の路と石仏を巡る路とが平行している。 
足を傷めている私は普通の路を選び、対岸が見渡せる途中の石椅子に腰を下ろした。 
1000年前から現在まで刻々と刻まれた石仏が崖一面に点在している、
石仏巡りの人達が複雑に曲がりくねった通路を登ったり下がったり潜ったりして、
その一つ一つの石仏に丁寧にお祈りしては何がしかの小銭を授けてゆく、
そんな全景を微笑ましく眺めている、と、
一つの一団の最後尾に付いている男の挙動がおかしい、
みなと同じように身を屈めてお祈りするのだが、嫌に腰つきがおかしい、
と見るうちに、右手をしきりにポケットにすり込ませる、
と、辺りをキョロキョロと窺ってまた一団の後に付いてゆく。
賽銭ドロだ。
と、その男と目が合った、
川向こうといっても、すこぶる小さな小川の対岸にいる私には手に取るようだ。
男は伐悪そうにそそくさと崖の脇道に消えていった。

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岳廟。



古来、屈原と並んで民族的な英雄として多くの中国人に愛され敬われている南宋の忠臣、
岳飛の墓がここにある、900年程前、秦檜等の陰謀?で非業の最後を遂げたのだが、
その岳飛の墓の前に縄を打たれ頭を垂れた四人の像が跪いている。 

 

彼等が岳飛を死に追いやった(とされる)秦檜と妻、そして、陰謀に荷担した二人の男、の四人だ。
岳飛を拝んだ人々は帰りがけに、その四人の頭を叩く、というより、
引っ叩いて行く、そんな光景が今でも続いているのだ。

岳廟の近く、広々とした見通しの良い並木道の一角のレストランに吸い込まれる。
視界の広いガラス窓から湖畔の風景をゆっくりと眺める、
西湖から真っ直ぐ伸びてきた蘇堤が目の前で直角に突き当たり、
丁度、三叉路の頂点になっている。

そのレストランと路の間に路面よりも腰程の高さに石塀があり、
その石塀の内側の芝の植え込みが私の見ている窓際まで続いている。

ふと気付くと、その石塀に頭を出してこちら向きで紙幣を勘定している男が居る。 
男は辺りを見廻すと、ふっと、石塀の向こうに消えた。
と、頭だけが動き出した、
道の向こう側に渡ろうとするその男は車椅子に乗り、
目の高さにあるペタルを手で漕いでいる。 
暫く、三叉路を行ったり来たりしているうちに、旅行者の一団が通りかかる、
と、彼は車椅子を降りて歩き出した、その光景は異様だった、
猿のように四足で歩いて旅行者たちに手を差し出したのだ。
紙幣を数えるという行動を見て、穿った観方をしてしまう自分が後ろめたい。


杭州大学。
4,5日過ごしてみて、抗州がすっかり気に入ってしまった。
無性にここで生活してみたくなる。 抗州大学で留学生を受け入れていると聞い
ていたので、キャンバスを尋ねた。 
3部屋有った岳陽師範大学の宿舎に比べこちらは1部屋しか無い上に、
部屋代も高い、学費も若干高いし、他の生活費も高くつきそうだ。 
しかし、街の雰囲気もキャンバスの雰囲気も清々しく、垢抜けしていて気持ちが良い。 
滞在した時期にも依るのだろうが、埃っぽさを感じない。



次はポルトガルが狙いだったのだが、どうしたものか?



紹興。
越の都、越王勾践が「臥薪嘗胆」として劇的な復讐を成し遂げた場所、
というよりも、御存知、紹興酒の紹興。

その昔、鹿児島で西郷隆盛と大久保一蔵の生家がつい目と鼻の先に有った不思議に首を捻ったものが、
長沙の毛沢東、劉少奇の生家も何キロとも離れていない所にあった。 
そして、ここ紹興でも、1キロと離れていないところに魯迅故居と秋謹故居があるのだ。
 
魯迅は逃げ延びて、まあ、天命を全うしたが、秋謹は僅か30歳の若さで刑死している、
その秋謹が日本に留学していた当時の写真、この上なく知的ではあるが
「刺し違えてもいいわ!」
という気迫を感じる、日本の着物を着流しているが、
何と、その手には抜き身の短刀、どんなときに撮った写真だろうか?



この顔写真を見ただけで、もし、小生が小説家ならば、黙ってはいられない、
そんな顔つきをしているのだ。 
紹興の内懐のメイン通りを見渡している白像、慎ましくもキリットした秋謹像だ。
紹興人の秋謹に対する敬愛、惜春の想い、
夭折した我が子への慈しみ、そんな想いを彷彿させる秋謹像なのだ。



小生の訪れた毛沢東、劉少奇、魯迅、秋謹、彼等の生家はどれも、
その辺りの地主階級なのが共通している。
近くの周恩来祖居、ここも如何にも元地主階級という家の造りだ、 
周恩来もここの出身だろうか?
地図を見ると、魯迅、秋謹は故居となっていたが、
周恩来のは祖居となっている、これは何を意味するだろう?

しかし、やはりこの街の主人公は魯迅、その昔、魯迅の短編「故郷」を読んで、
「何時か紹興を訪れたい」と思ったのだったが、
この一連の小説を読んで中国人民は「奮い立った」のだ。
当時、
「今の中国人民の一人一人はこんな人間だ」
と魯迅が象徴した孔乙己(コンイーチー)が毎晩顔を出した居酒屋、
その居酒屋が魯迅の生家の直ぐ側で、今も営業している。
それどころか、「孔乙己」の名声?に肖って、
隣にホテル、土産物屋などを並べて大大繁盛なのだ。



その孔乙己(コンイーチー)が毎晩顔を出した居酒屋に、
紹興滞在中、毎晩顔を出したのが小生、 
仕込み甕から直接、日本の御飯茶碗と丼の中間くらいの大きさの器に、
ジュクジュクと注いで呉れる出来たての紹興酒、まあ、雰囲気も有るのだろうが、
美味い!、美味い!
生きていて良かった! なぞとのとまいたくなるのである。

街中にはりめぐされた運河、堀とも小川ともおもえる小さな流れの岸の、
そんな水辺に三昧書屋、道を挟んで、魯迅記念館と魯迅旧居。

 

建替え中で見ることが出来なかった上海の魯迅公園の魯迅記念館よりも
外観から観た規模は一回り小さいが、
魯迅の生涯が丁寧に陳列されている。
初めて知ったのだが、魯迅が翻訳して紹介した日本の小説が、
かほどにに多いことには驚いた。





蘭亭
紹興市街から木製の椅子のバスに揺られて12、3キロ程の田園地帯,
蘭渚山の山懐に静かに横たわっている竹林の涼しい風光明媚な庭園がある。
これが何がしかでも書の道を志した者にとって一生に一度は訪れたい書の聖地とも言える蘭亭。 





ここで、書聖と称せられた王羲之が、当時の文化人を招いて曲水の宴を開いた。
庭に巡らした小川に沿って客人達が其処此処に陣取る、酒の入った盃を上流から流し、
その盃が自分のところまで流れてくる前に、一首、詩を作らなければ成らない。
もし作れなかったらその酒を飲まなければならない、と言う、極めて風流この上ない宴だ。
今でもそのせせらぎが蘭亭の庭に清らかな流れを添えている、
勿論、後世になって整備されたのではあろうが...
この宴の模様を一巻の書として王羲之が残したのが「蘭亭序」、神書とも言われる。
後に唐の太宗は王羲之を熱狂的に愛し、
彼はこの「蘭亭序」を墓の中にまで持ち込んだと言う。

「蘭亭序」の全文を書きこんだ印石、扇、水差しを買い込む。
是は自分自身への土産、誰にも上げられない。

茶屋でビールを飲みながら、舌が火傷するように熱い、
はんぺんのような、餅のような(名前失念)ものをほうばる。
茶屋のおばさんが、
「お茶飲みます?」
「ハイ」
出されたお茶の美味しいこと、駿河の国に住んでいる小生にとって、中国に来てから
「美味しい!」と思って飲んだお茶は無かったが、
ここのお茶は本当に美味しかった、龍泉茶というのだそうだ。 
後で、龍泉茶なるものをいろいろ買ってみたが、ここと同じ美味しさの物は無かった。
龍泉茶にもいろんな種類があるのだ。
もっとも、帰りがけに、ビールの4倍ほどのお茶代を請求された。


禹帝廟
4000年前の夏王朝の創始者と言われている禹の陵墓。 
気の遠くなるような遠い昔、この辺りの治水で名を成した神話の帝王禹、
歴代の王朝に慈しまれ壮大な廟を造り上げられた。
禹の石棺とも伝わっている大石も残っている。

廟の前の小さな運河に数艘の小船とその船頭たちがのんびりと煙草をふかしている、
その何人かが寄ってきた。
始めは、一寸、呑込めなかったが、良く聞いて見ると、この小船で紹興市街まで行けるらしい。
80元を50元に値切って乗り込む、乗ってから気が付いたが、
是が有名な「足漕ぎ舟」だったのだ。
 
 





手で舵を取り、器用に足で櫓を漕ぐ小船が、
或る時は、水鳥の囀りしか聞こえない水田地帯を、
そして、或る時は、
幅が5メートルも無い運河の両側で洗濯したり、野菜をあらったりしている民家の間を。







上の左の写真の中央の足が見えるだろうか。
石の橋、木の橋を潜り、ガラスのような水面を滑るようにして、紹興市街の入れ口に辿りつく。
今回の旅の珠玉の50分だった。

5元のチップを要求される、
「俺の取り分は、たったの3元なんだ」(と言ってるらしかった?)
だと...まだまだ搾取階級が健在?なのだ。


紹興博物館
「足漕ぎ舟」で中国の中国を味合った直後にこんな苦渋を味合うとは思わなかった。
例によって入った博物館、ここも例によって特別展示、その内容は
「日本皇軍の細菌部隊の詳細」
それも、博物館の約半分のスペースを費やしての大規模な展示だ。
沢山の小学生、中学生が展示の一つ一つに目を凝らし、メモを取っている。
目を覆いたくなるような人体実験の現場写真、
それに携わった日本人達の顔写真、是が証拠だ、証拠だ、
と言わんばかりの文書の数々、これでもか、これでもか、の膨大且つ詳細な展示なのだ。



寧波
古来からの日本との窓口、遣唐使もここに上陸し、長安を目指したと言う。
蒋介石はこのあたりの出身、我等の謝夢さんもここのご出身とか.....
川幅が100メートルは越すような大河がY字型に交じ合った辺りが街の中心に近い、
ここに大きな港がある。
港街と聞いていたから、横浜とか神戸を連想していたが、海の匂いはしない。
ただ岸に繋がっている巨船の姿は、やはり、海への近さを示している。
上海もそうだが、中国の港は、何処でも内陸に遡ったところにある。 
日本の河川とのスケールの違いを如実に物語っている。


天一閣
現存する中国最古の蔵書館、夥しい古書、30万冊、
中国各地から、歴史上の調査に来る人で絶えないとか。
建物、庭園も凄い、蘇州の留園、上海の豫園に負けず劣らない。


 
初めて留園、豫園を訪れた時、余りの絢爛豪華さに唸ったものだが、
中国の行く先々に同レベルの庭園があり、中国の底の深さを思い知らされる。
それも、大体が個人の持ち物だったのだから、驚きだ。
一つ一つ丁寧に観たら半日以上掛かってしまうだろう。

帰りがけに、形よりもその字に似ている月湖に沿って散策、
港町とは思えない穏やかな公園だ。 
月と言う字の真中を横切るように、繁華街に出ると、流石港町、海鮮料理屋が並んでいる。 
日本のズガニのような蟹を生簀から掴み出して料理してもらうと、
やたら沼津を思い出されてならない。


天道寺
30キロの道のりをバスで乗り継ぐ、最後の5キロ位は、相当の山道だ。
ここのバスの飛ばし方も半端ではない、麗江での悪夢が蘇り、生きた心地がしない。
道元がこの寺で修行し、帰国してから曹洞宗を起こした。 
そのせいか、道元関係の遺物が多い。
道元がこの地を訪れたのは、1223年、
中国5000年の歴史から見れば、たった660年一寸昔の話だ。 
中国に親しみ過ぎて歴史感覚がズレて来たのかも判らない。
ここに雪舟の肖像画もあるが、そのいわれは判らない。
中華禅宗五山の一つだけあって、敷地面積1万平米の広大さ、
こんな規模のお寺があちらこちらに有る中国、
これ一つ例にとっても、中国の真髄に到るにはまだまだ遠い道程だ。


舟で上海へ。
早朝、車で3分と掛からない距離の寧波港へ、
船賃は、10元位から100元位までを5段階有る乗船券の上から2番目のクラスを買求める。
改札口から乗船と思ったら、バスが待っている。
バスで2,3時間も掛かってついたのが、これも寧波港、こちらは眼前に海が広がる河口にある。
乗船すると、座席の階級の区別が無い、2階が最上クラスらしい。
上海までの高速船、2時間半のゆったりした船旅を期待していたが、
海以外何も見えないし、寒いし、おまけに立っていられない程の物凄い揺れだ。 
半分くらいの乗客がゲーゲーやってる。
上海の外灘近くの港に入ることを期待していたのに、防波堤のような所で下ろされて

結局、バスでまた2時間ほど、やっと上海市内に辿りつく。

あちこち転々する旅は、どうも、長すぎると良くないようだ。 

年のせいも有るのだろうが、だんだん疲れも溜まってくるし、持ち前の好奇心も鈍ってくる。
人に話し掛けるのも億劫になる。
そうなると、人との係わり合いやその土地の生活との触れ合い、
にこそある旅の醍醐味が半減する。 
寧波などは3泊したのに、名所旧跡は2箇所しか訪れないていたらくだ。
(完)

 

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