八千穂高原記

余りの暑さに、
「何処かへ逃げ出したいなー」
と話しかける。
たまたま、山の雑誌を開いていたカミさん、
「こんなのが有る」
と教えてくれたのが、飲み屋民宿「閑人舎」。

旅がちで、
「もったいない」
と、小さな車にさせられてから遠出が億劫になったが、
いそいそと車に乗り込む。

朝霧を通り越し中央高速須玉から小諸街道に入ると涼しさを感じ始める。
清里、来る度に変化がある。
始めて来た時は閑散とした田舎町、バブルの頃はジャリだらけ、
バブルが弾けた頃は空き家が目立った。
今回は町並みの整備途上、大人の町に変貌しつつある。

何時ものように清泉寮でアイスクリーム、





余り食べないアイスクリームだが此処のだけは病みつきだ。

北里美術館、
アール・ヌーボーからアール・デコ期に掛けた作品が、
小気味よく窓外の自然と巧みに調和して並んでいる。





ランプ、花瓶、小物入れ.....
遠くナンシーから日本への飽く無い憧れが垣間見られる。

信州八千穂高原、気温20度前後、爽やこの上ない。
閑人舎に着くと、ご主人の大声に迎えられる。
白樺林の中のゆったりとした、小奇麗な民宿だ。



風呂の窓一杯の白樺林、霧が過ぎる。



手元には、さりげなく、「水引き」「吾亦紅」。
シャワーを浴びる間ももどかしく、ビールの栓が抜かれる。
奥様の手料理、これがまた格別美味しい。
お二人と酒を交わしながらの人生談義、時の経つのを忘れる。
たった一人の客のために、彼らは旅の途中から引き返したらしい。

普通の民宿は、
食事が終ると部屋に入って自前の酒でも煽って寝入るのだが、
此処は違う。
最後の最後まで旦那が付き合って酒談義に花を咲かせてくれる。
話題も四方八方に飛ぶ。
それにもまして、奥様の笑顔がまた良いのだ。



旦那が目指ししているのは昔の民宿、
囲炉裏こそ無いが(冬は暖炉に薪の灯がともる)、
やっと、探し当てた民宿そのものだ。
ここは70%?が中高年の写真愛好者が常連との事、
四季の白樺、初夏の蓮華つつじ、どうだんつつじ、
秋の紅葉が愛好者達の獲物のようだ。

時折、窓から狐が首を出したりする。
たぬき、てん、冬には穴熊も顔を出すとか。

 

翌朝、一風呂浴びて動き出す。
北八ヶ岳の原生林を通り抜け、

 

白駒池、



3,40分急な石道を登りきると高見石小屋、
小屋のお姐さんに尋ねる。
「高見石は何処ですか」
お姐さんは新人らしい、奥から若い男が出て来て、
「直ぐ裏側です」
と見える所まで案内してくれる。
大きな石を攀じ登る。
息が切れる、殊更に歳を感じる時だ。



30分も居ない間に眼下の白駒池が霧に消える、
と思うと、忽ち全貌を現す。

 

 

一寸先に黒百合平がある筈だ。
さて、行こうかどうか迷う。
昨夜の酒の量を考慮して自重して下る。

立ち寄った自然植物園。
秋花がいっぱいに咲き乱れる園内をゆったりと歩く。

 

 

 



ここも白樺が見事だ。





宿に戻り風呂に飛び込む。
白樺の林を透けてくる風の爽やかさに至福を感じる。
少しうとうとして夕食。
あっさりしたスキヤキに舌鼓、
食器に添えられた「捻り草」の花が心憎い。

若い二人は星を見に来たのだそうだ。
近くに天文台が有るらしい。
学生?とみた彼らは30代、

 

二人で懐石料理店を始めるのだそうだ。
板前と星、面白い組み合わせだ。
二人は食事を済ますとそそくさと天文台へ出掛けて行く。
二人が戻った11時半頃、我々は未だ酒の中だ。


翌朝、昼近くまで二日酔を覚ます。
目の前のスキー場は文字通り百花が乱れ咲く。



昨夜の「捻り草」を写真に収めるが、残念、みんなピンボケだ。

 

そろそろカメラの寿命が来たらしい。

もう2、3日、滞在したい気持ちを抑え抑える。
お二人の溢れるばかりの笑顔を後に、山を下る。
途中で信州蕎麦を食い、大きな瓢箪を買う。
冬瓜と同じように煮て食べると美味しいそうだ。
(案の定、持ち帰ったらゴミ扱いされた)



 
奥村土牛美術館。

 

こじんまりしていて多くの展示は無いが惜しくない500円。
土牛のデッサンの凄さを堪能、庭先の萩も満開。

八ヶ岳美術館。
わざわざ足を延ばして立ち寄ったのに、
庭の吾亦紅以外、



此処は遠回りした甲斐が無かった。
お粗末だ、昔来た時もっと感動したような気がするが、
土地出身の画家?彫刻家?への思い込みが強すぎるのか。
当方の酒が切れていたせいでも無い。
関係者の怠慢、放漫としか言いようが無い。
知名度の高さ、立地条件の良さ?、お金の掛かった建物、
からしても勿体無い、全くの期待外れだ。
 
朝霧高原の富士、富士はやっぱり富士だ。





たったの三日で下界も秋の気配だ。

熟年の一人旅(日本編)



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