修善寺梅林記(1)
朝刊を捲っていると、こんな記事が飛び込んできた。
「修善寺梅林梅祭! 投句募集! 甘酒無料! 新井旅館」
先週、熱海の梅園に行ってきたばかりだが、甘酒無料にもつられた。
久しぶりの修善寺を目指して、重い腰をあげる。
熱海の梅園も、修善寺の梅林も、車で1時間位で行ける距離だ。

数年振りの梅林は、以前から比べると、歩道などが整備されていて、
多少様変わりしており、其の分だけ、自然が目減りしている。
と言っても、修善寺は修善寺だ。

雲が垂れていて、時折、日が射す日和。
駐車場から梅林へ近づくと、木々の間から、燃え盛っている紅梅、
雪を敷き詰めたような白梅が垣間見られる。
5、6分の、清々しい山道を辿ると、梅林にたどり着く。
と、まず、茶店に飛び込む。勿論、熱燗と味噌こんにゃくだ。
豪快な焚き火の近くに陣取る。 地面に大きな穴を開けて、直径1尺程の
丸太を、やや斜めに、縦に並べた焚き火だ。
炎が梅林を突き抜ける。
穴の周囲には、なんと、串にさされた鮎が一列に丸く輪を作っている。
「鮎の焼き立てですよ! 食べ頃に焼けてますよ!」
小父さんが、叫びながら、丸太を火にくべる。鮎の串焼きにかぶりつく。
「串だけ残せばいいよ」
の声が背中に掛かる。
隣では、椎茸の串刺しを焼いている、こちらは、炭火だ。
「焼き立てを食べてよ! 炭火だから一味違うよ!」
注文を取ってから焼き始める、といっても、2、3分だ。
平日の午前中なのに、小さな行列が出来ている。
列のオバチャンが尋ねた、「タレはどうやってつくるの?」
「タレは秘伝だよ、テレビがきてもいわネーよ。」

まず酒と味噌こんにゃくの梅見かな


突如、かっと日が射して来る。一瞬、紅梅も白梅も、膨らんだようだ。
満開の梅の合間に、僅かに青い空が覗く。

満開の梅に青空埋まりけり

熱海が梅園なら、こちらは梅林、3000本の梅が、自然の林と
渾然一体、というところだ。
吉右衛門、左団次、紅葉、虚子達の句碑が点々とある。
中老の男が、紅葉の句碑で懸命に拓本を取っている、
男と、しばらく、立ち話をする。
拓本を一枚作るのに、小一時間掛かるそうだ。
句意が解らなかったので尋ねてみた。

いかさまに霞むやと岡に渉りけり 紅葉

「この句は、どんな意味なんですか?」
と、その男、一瞬、ギョッっとしてたが、読み返してみて、
「そう言われて見ると、どんな意味でしょうね?」
ときた。

梅林や拓取る人と飲む人と


修善寺梅林記(2)
梅林を登り詰めると、日溜まりに、三々五々の人の塊が出来て、
皆、脚を投げ出している。いかにも、寛いでいるといった風景だ。

梅林の頂に日の溜りけり

梅林を温泉場の方に降りると、安達藤九郎の墓が端然と居座る。
少し下がって右に進むと、源範頼の墓、更に下がり、桂川を渡り少し登ると、
源頼家の墓、この三つの墓が、源氏滅亡の慌ただしさを如実に語っている。



範頼が1193年、藤九郎が1200年、そして頼家が1204年に没している。
頼朝の一族郎党が、富士の裾野で巻き狩りを催した際、曽我兄弟の
仇討騒動が起き、鎌倉に、頼朝死亡との誤報が届いた。
悲嘆する政子を
「私が居るから大丈夫です」
と慰めたのが範頼、これが、後に頼朝の誤解を受けて、
修善寺に幽閉され、結局、殺されてしまう。
このように、義経に続き、些細なことから、範頼をも殺した頼朝が
1199年に死に、頼朝、頼家に忠節を尽くした藤九郎が逝くと、
少し出来のよくなかった頼家も当然の如くに北条の手に掛かる。

政子が頼家の冥福を祈って造った指月殿が、頼家の墓の隣にある。



指月殿の裏側から、1時間程の散策コースを辿る。

指月殿裏から見たる余寒かな

山道を、下りきった当たりに、十三士の墓、頼家に従って死んで行った侍臣を供養したものだ。
十三人の名前は明らかではないようだ。
鎌倉で遊びまくっていた若者?達だったのではなかろうか、哀れなものだ。
ふと、十三人の名前究明を、ライフワークにしようかな、なんて、誘惑に駆られる。
これ以上、ライフワークを増やすと、120歳位まで
生きないといけんし、もっとも、十三人も吾妻鏡の創作らしいし。

また、桂川まで下りて、修善寺の街を横切る。
小さな蕎麦屋が目に入った。



40前後の、和服の小股の切れ上がったおカミさんと、そのお母さんらしいお婆さん、
の二人が、ゆったりと動いている。メニュ−に湯豆腐も有る。
当然、湯豆腐で熱燗だ。小さな熱燗のつもりが、大徳利が出てきた。
隣の席には、女子大生らしき四人連れ、
それぞれが、椎茸蕎麦、おろし蕎麦、なめこ蕎麦とか、みな違う蕎麦を
食べて、一人ずつ、お釣を貰って帰ってゆく。皆、紅い頬で、超ミニ。
お婆さんに声を掛ける。
「今日はあったかいですね」
目の前一心不乱に洗い物をしているお婆さんの耳には補聴器が付いている。
「そうなんです。昨日から急に暖かくなりました。」
と、反対側に居たおカミさんから声が返る。

修善寺の街は、桂川を挟み大小の温泉宿が並び、大方の民家は谷間の
急傾斜に立ち並んで居る。 だから町中が坂だらけだ。



坂道に沿って、小さな小川が縦横無尽に流れる。
小川で何かが動く、魚がいるのかなと、立ち止まると、錯覚だった。
それほどの清流だ。坂道を歩いていて、どこかの街に似ている思う、
海が無いからピンと来なかったが、尾道、尾道の一角を偲ばせるのだ。
どの小道に入り込んでも、梅、軒下に猫がジット目を凝らしている。近づいても逃げない。

修善寺の猫丸々や梅の下

例のお面を覗いてみたくなり、修禅寺の宝仏殿に立ち寄る。
化け物みたいな面だ。 焼け爛れた頼家の面という説もあるようだが。



お大尽ぶっていて、余り好かない歌舞伎座に一度だけ入ったことがある。
この時、三階の立ち見席から観たのが、修善寺物語だった。
能面師は左団次だったかも、将来、妹の方の様な女性を....
なんて思ったものだった。何時か、修善寺をゆっくり歩きたいなあ....なんても。

修善寺をゆっくり歩く四温かな

日が傾きかけた梅林に戻る。
何種類かの小鳥に交じって、ひとつがいの小さなキツツキが音を出している。
帰りがけに、名物のとろろ蕎麦、近隣に鳴り響いている味と、量に堪能して、家路につく。

紅梅と夕焼けの中を家路かな







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