沖縄(2001年)


まだ三年足らず前のことなのに記憶が定かでない。
大木の上の珍しい家を見付けたが何処だったか。
豪快だが洗練された石塀、
これも何処だったか。






「うりずん」
何方かの紹介のあった居酒屋。
まず、外観が気に入った。



中身もいい。
泡盛も料理も種類が豊富だ。
ゴーヤ−チャンプルー、ウムクジてんぷら、ラフティー、ミミガ−の刺身........
早速、泡盛に酔いしれる。






日本海軍沖縄方面根拠地隊司令部跡、
昭和20年6月13日午前1時頃
熾烈を極めた沖縄戦で司令官大田実少将ほか約4000名の将兵が壮烈な最後を遂げた。
迷路のような壕内に、司令官室、作戦室、発電室などが当時のまま残されいる。




ひめゆり・平和祈念資料館。
この穴の中に姫百合部隊が閉じこもったらしい。
資料館の中には、当時の悲惨な情況が事細かに展示されている。
ひめゆり隊生き残りの老女が生き証人として当時を物語る。
語りべだ。
観光目的で来たのであろう観覧者のどの顔も曇る。
涙ぐんでいる人も居る。





綺麗に整備された祈念資料館の傍らを脛を出した女学生が闊歩する。
当時は、皆、モンペ姿、外見は変わっても中身は同じ人間なのだ。








下の写真の黒い棒のようなものは蛇?の燻製。



沖縄の何処へ行っても活きのいい魚が見られる。
これとこれ、と指差すとそれを料理してお膳に並べてくれる。

 

兎も角、メニューが豊富だ。





平和記念公園
2000年の沖縄サミット時にクリントン大統領がここで演説した。



白波が静かに寄せる海岸、
沖縄戦時、多数の人たちが此処に追い込まれ飛び込んだと言う。



平和の礎(いしじ)記念碑、
沖縄県民、旧日本軍、アメリカ軍その他、
第2次世界大戦で亡くなられた大勢の名前が彫られてる。
多くの戦没者が居られたのだ、と言う実感がひしひしと伝わってくる。










玉泉洞王国村。
まず、ニシキヘビに悲鳴を上げる。
係員が手して抱擁する、意外に静かだ。



旧民家では機織、陶芸、紙漉き、藍染め等の琉球文化が一堂に会し、
実演を伴って陳列されている。



独特の石組、瓦。





 

 

 

トロピカルなフルーツも売店に並ぶ。
高いのか安いのかは判らない。

 



首里城
琉球王国の栄華を偲ぶ。
沖縄戦で焼失したが見事に復元された。
世界遺産だ。
一つ一つの門に特徴がある。







 




沖縄での楽しみは食べる事。
何処へ行っても珍しい食べ物に目の色を変える。




東南植物園
今までに見たことの無いトックリヤシ、
お酒を入れるトックリの形に似ていることがらその名がついたそうだ。
20年経た頃が美しい形をしていると言う。







どれがどれか判らないが、
ハイビスカス、ウナズキヘリコニア、イジュ、サンダンカ、ディゴ、ディンファレ......
いかにも南国らしい色鮮やかな花々が咲き競う。









ユスラヤシのジャングル林、
これらは全て種から植栽されたものだそうだ。



ユーモラスな彫刻群を眺めながらのコーヒーは一味違う。





 

蛇酒を買おうとしたが一寸高価なので諦める。



珍しい生き物、如何にも毒蜘蛛らしい毒蜘蛛。




海洋博物公園。
広い公園の外れにあるエメラルドビーチ。
ここの本当の沖縄の海が有った。





興味を惹いたのは沖縄郷土村。



 

 

 



太い柱、厚い屋根、
荒々しい南国の風土にしっかりと根を下ろしている。

 

 

 


万座毛



また、食事。
沖縄の海の幸を堪能する。









昭和二十年、
刻々と伝えられる沖縄の戦況に、
子供心にも心を痛めたものだが、
悲惨な想い出は全て想い出となった沖縄だった。



熟年の一人旅(日本編)





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