京都記5  
西本願寺から再度嵯峨野、更に再度祇園。

西本願寺
雨になった。
親鸞聖人の息女覚信尼が開創し、
その後、転々として秀吉の寄進で現在の場所に納まったと言う。

書院。
絢爛豪華な壁画、襖絵、彫刻に目を奪われる。
天井、襖一面の絵は狩野派の著名な画家の絵だろう。
華麗な桃山文化の粋が立ち並ぶ。
どこもかしこも国宝だらけ、
残念ながらどこもかしこも撮影禁止。

この書院の大広間で、秀吉が淀君などをはべらかして、
眼光鋭くふんぞり返って諸侯を睨み渡しのであろう。
秀吉が中央に座ると如何にも立派に見えるように、
視覚的に工夫されている。
身分によって座る位置が異なる等々いろんな工夫がなされている。

現存する日本最古の能舞台、聚楽第から移されたと言う。
現在は使われていないが、
見事に建造物として見せている。




これも聚楽第から移されたという飛雲閣、



金閣、銀閣とともに京都三名閣の一つだそうだ。



美しい彫刻を眺めていると日暮れを忘れるという別名日暮門と呼ばれる唐門、



彫刻が見事だ。


飛雲閣、唐門とも国宝。


四条大宮まで歩く。
京福電鉄嵐山線でガタゴト揺れると童心が戻る。


広隆寺。

世の中で一番好きな菩薩はと問われたら、
文句無しにいの一番に上げるのが、
此処の弥勒菩薩と敦煌57窟の菩薩壁画だ。

山門を潜ると広い境内を真っ直ぐ奥に向かう。







弥勒菩薩半跏思惟像、国宝第一号。



一体一体の仏像とじっくりと向き合い、拝礼し鑑賞したいとは思うものの、
霊宝殿に入った瞬間から気を取られ、
自然に視線がむいてしまうのが、
やはり中央に安置されたこの弥勒菩薩像。

凛として清楚。

弥勒菩薩は56億7000万年後にこの世に再現し苦しい人々を救うのだ。
右指を頬に、左足に右足首をのせ、如何に人々を救済するかを思案している。
聖徳太子がこの宝冠菩薩を河勝に授けたとされたと伝えられる。
朝鮮半島からの渡来仏であるという説は赤松が材料だかららしい。

広隆寺にあるもう一体の弥勒菩薩半跏像、「泣き弥勒」、これも国宝だ。
菩薩は如来を目指して未だ修行中の身なのだ。



インターネットを弄っていたら面白い記事を発見した。
仏像の人気投票だ。

1位 2130票 . ... 27.0%  お地蔵様
2位 1030票 . ... 13.0%  泉湧寺・観音菩薩坐像
3位 892票 . ... 11.3%  六波羅蜜寺・空也上人像
4位 556票 . ... 7.0%  蓮華王院(三十三間堂)・千手観音坐像
5位 548票 . ... 6.9%  広隆寺・霊宝殿十二神将立像
6位 284票 . ... 3.6%  妙法院・三十三間堂二十八部衆立像
7位 270票 . ... 3.4%  広隆寺・霊宝殿泣き弥勒
8位 246票 . ... 3.1%  教王護国寺(東寺)・帝釈天
9位 234票 . ... 2.9%  広隆寺・霊宝殿弥勒菩薩半跏思惟像
10位 227票 . ... 2.8%  教王護国寺(東寺)・講堂五大菩薩像


もう一つの人気投票では総投票数539で、
1位が奈良・興福寺・阿修羅像85票、
東大寺法華堂・不空羂索観音菩薩像と並んで弥勒菩薩半跏思惟像が82票で2位とあった。


何か落ち着かない。
監視人が捕物でもするよな目付きで執拗に目を配っているのだ。
悪戯してやった。
ボイスレコーダーを恰もデジカメのように仏像の前で弄ぶ。
案の定、監視人が近づいてきて覗き込まれる。

霊宝殿を出ると蓮が凋み掛けている。


清涼寺。


清涼寺は嵯峨釈迦堂の名で親しまれ、
生身の釈迦如来さまとして信仰を集めている。
本尊釈迦如来は国宝、日本三如来のひとつに上げられる。

釈迦37歳の生き姿を刻んだものとされる。
釈迦如来像の体内から発見された絹で作られた五臓六腑、



国宝「釈迦如来立像体内納入品」だ。
千年の昔に人間の体の構造が熟知されていたことは、
解剖学的にも極めて貴重とされている。

誰かが清涼寺の奥庭もいいよ、と言っていたのを思い出す。
たまたま、秘仏御開帳中の看板につられて本堂に上がったが、
一人二人の人影しか無い。
一見の価値がある静かさだ。



阿弥陀堂。
光源氏のモデルといわれている源融公、嵯峨天皇の第12皇子、
彼が清涼寺の前身である棲霞寺を建立し、融公没後、御堂が建立された。



兄皇太子の許婚と親しくなった光源氏は須磨に身を移す。
その須磨で新しい恋人が出来、子供まで生ませてしまう。
嵐山の明石に妾宅を作っったが、
京都へ来る口実をつくるため作った別荘が棲霞寺、といわれている。
いずれにしても源氏物語ゆかりの地だ。
京都の中心から随分と離れた嵯峨野、その嵯峨野のはずれ、
昔も今も変わらないのが恋の道なのだろう。


清涼寺の前の喫茶店に腰を下ろす、コーヒーで一服だ。
しかし、このお店、結構お金をつぎ込んだらしい造作なのにセンスが悪い。
造作と飾り物、コーヒーカップもチグハグなのだ。
客と話し込むママのお喋りも多すぎる。
勿体無い。


大覚寺


今回の京都、眼目の一つは大覚寺の名月鑑賞だ。
清涼寺からゆっくり歩いて来たのだが早く着き過ぎた。



お月見の準備で彼方此方がごった返している。
彼方此方に長椅子が並べられ、猿沢池にはキンキラな舟が浮かんでいる。



どうも、俗っぽい名月鑑賞らしい。
このまま、粘ろうかどうか考えていると、
「四時半閉門」と追い出されるように表に出る。
何のことは無いお月見の客と入れ替えなのだ。
何となく興ざめして一時間半も待ってる気になれない。
雲行きも怪しい。
体調も良くない。
想像している名月鑑賞の姿を壊したくない。
なんのかのと言い訳を作って退散。


再度祇園、
舞妓の写真が撮りたいのだ。
例のおばんざいやの暖簾を潜る。




ママはチャント覚えてくれた。
左側の如何にも粋筋らしい中年女性三人の京都弁に聞きとれる。
話題は魁皇の優勝から始まって力士達の品定めだ。
「舞妓さんの写真を撮りたいのだけど・・」
と話しかける。
「そうやなぁ、8時半ころかなぁ、??会館辺りへ行ってみなはったら、
運が良ければ巡り合えるかもなぁ」
とか素っ気無い。

三人が帰って行くと、ママさんが教えてくれた。
「一番奥の方は元女優さん、真ん中が有名な置屋の女将さん、
一番こちらは元祇園の売れっ子の舞妓さん」
そう言われれば見たことがあるような元女優さんだし、
それぞれにそんな雰囲気が漂っていた。
特に元舞妓さんの瞳の潤いは尋常ではなかった。




そんな情報を頼りに祇園を歩く。
??会館の前、
外人の女の子がベッチャリと座っている。



彼女も舞妓はんが見たいのだろう。
入れ口の守衛さんに聞いてみた、若い守衛さんだ。
「写真ネー、最近の舞妓さんはツッケンドウだよ、
口きくのも勿体無い感じだよ。
もっとも、彼女達にとっては顔が商標だからね。
昔みたいにニッコリなんてしてくれないよ」
そんな言葉を聞いて諦めた。
いずれにしても、それだけの準備と覚悟をしてこなければいけないようだ。
撮影会に参加するとか・・
よく雑誌などで見るように、通り掛かりをちょいと、
ってなわけにはいかないようだ。
それまでして撮りたいとも思わない。

この辺りの標識は趣がある。
舞妓さん撮りが標識撮りになってしまった。



祇園から始まった京都歩きも祇園でチョンチョンだ。
つぎは、金戒光明時、真如堂、から金福寺、詩仙堂あたりだろうか。



京都記1祇園、京都記2嵯峨野1、京都記3哲学の道
京都記4鞍馬・貴船京都記5:西本願寺から嵯峨野2、祇園2


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