哲学の路。

お土産店を眺めながら銀閣寺参道をゆったり登る。

銀閣は意外に来ていない。
もしかしたら、修学旅行以来かも知れない。



山門を潜ると枯山水、見物人と柵と縄が気になる。

通りすがりに中国語の会話が聞こえた、中国のお嬢さんらしい。
台湾か香港か、
いずれにしても銀閣寺は中国系のお寺と趣を異にする典型かもしれない。

何処から撮っても絵葉書のような写真になってしまう。
裏山を少し登る、と言っても普通のコースだ。



京都の街が雨にくぶる。
苔、竹、紫式部、京都では何処にもあるのだろうが、
これを見たいのだ。



何でも1000円の店に入ってみる。
この人形の1000円には驚かされる、中国産かもしれない。
近辺のお土産屋さんにとっては恐怖だろう。

哲学から極めて縁遠い人間が哲学の道を辿る。
「哲学の道」、
私のような底の浅い風来坊の旅情を誘うのには的確な銘銘だ。
小川に沿ってそれらしく歩く。
人影は少ない。



萩、芙蓉、そして道端の石地蔵、
ここは京都だよと言ってるようだ。

途中で蕎麦屋を探すが、そんな時は意外に見付からないものだ。
こじんまりした茶屋でところてんを啜る。



赤い唐傘が雰囲気を醸し出す。


法然寺
此処の山門は何処かの山門と似ている。



思い出した山口の阿弥陀寺だ。
山門を潜ると両脇にいかにも丹精込めて作り上げたような白砂の盛り土、

これは白砂壇(びゃくさだん) というのだそうだ。
砂壇の間を通ると、心身が清められ浄域に通じる。

白萩の花弁が重そうに垂れ下がる。





白砂、白萩の白さを越えた生臭い話も残っている。
後鳥羽上皇の女房松虫・鈴虫が安楽・住蓮を慕って出家し上皇の逆鱗に触れた。
安楽・住蓮は死罪、師の法然上人は讃岐国へ流罪されたと言う。


霊鑑寺は門を閉ざしている。



何かの催しのメンバーなのだろうか、

通りの角で立ちすくんでいた可愛い女の子が笑顔を浮かべる。


大豊神社。



さしずめ動物像の宝庫?でもないが、
犬、狐、鳥、鼠・・・

入場料を取らない分だけ荒れているのが嬉しい。

短い参道には秋の草花が乱れ咲く、水草だけは判る。


若王子神社。
たまたまご本尊がご開帳のようだ。



如何にも商魂たくましいご本尊だ。




永観堂。
此処は二三年前にも来た事がある。


1100有余年の歴史があり数々の名僧を輩出した事でも知られる。

おく山の岩がき紅葉散りぬべし照る日の光見る時なくて

と古今集に詠われている紅葉の名所だ。

紅葉には少し早い、
疎らな人影の中で静かに居座れる。
じっと庭を見つめる中年の白人女性、
後姿に鬼迫が漂う。

何かを成し遂げた人に違いない。

長谷川等伯・狩野元信の襖絵がある方丈、
拡声器から説明が流れるが何回聞いても記憶に留まらない。

見返り阿弥陀をゆっくり拝観。



広隆寺の弥勒菩薩と並べると面白い。
弥勒菩薩は絢爛、優雅、知性、慈愛かな。
見返り阿弥陀は「永観おそし」と永観律師を諭したと言われるが、
私には、
熟れきった女、野生、自由奔放、豊満でありセクシー、
そんな感じがしてならない。
多少、お茶目でもある。
もっとも、阿弥陀様は男性なのだろうが。

豪雨になった。
苔の生えた屋根から滴り落ちる雨滴、滝のごとくだ。

雨の雫を避けながら臥龍廊を登る。
一本の釘も使用されてない廊下の軋みは一味違う。



帰りがけに、
これを持っていると三つの福が備わるといわれる松葉を渡された。



葉が三本、長さも異常だ、珍しい品種なのだろう。
三つの福がどんな福か聞きそこなった。

水琴窟も聞きそこなった。


南禅寺

今回は欄干の石川五右衛門に、一寸、挨拶だけして門前を素通り、
湯豆腐が呼んでいるのだ。


門前の湯豆腐屋を覗くが、季節外れのせいか、
「すんまへん」と断られる。
南禅寺の門前で湯豆腐屋を探す有様は聊か滑稽でもある。

何軒目か、小粋な細い路地を入って尋ねる、
女主人は一寸躊躇ったが中へ通してくれた。

兎も角、湯豆腐と熱燗で締めくくりだ。


つづく

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京都記4鞍馬・貴船京都記5:西本願寺から嵯峨野2、祇園2


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