|
箱根湯本記 新発見箱根湯本散策 |
行き先も定めないで出て来た。 兎も角、強羅迄行ってみようと乗ったバスが箱根湯本を通り掛る。 バスが止まった丁度左手にあの蕎麦屋が垣間見えた。 あそこの蕎麦が急に食べたくなって慌てて降りる。 早川を渡ると涼風が吹き抜ける。 橋に袂の蕎麦屋、何時来ても人が並んで待っているのに今日は人が居ない。 本日休業とある。 引き返そうとしたら新館は営業中と案内表示がある。 地図を見るとちょっと離れたところ、直ぐ近所だ。 「此処の蕎麦は此処の店で食べるのが美味しい」と頑に思い込んでいたが、 時間の余裕も有るしと歩き出す。 湯本に来ても何時も其の蕎麦屋までで、その先へ足を踏み入れた事は無い。 湯本と言えば喧噪の温泉町と言う先入観で凝り固まっている。 湯本を歩くのはくだんの蕎麦を食べる時だけなのだ。 其の新館の方向へ歩き出すと、古い町並みが残る路地が連なる。 中々の風情だ。 曲がろうとした角に、いかにも照れ臭そうな美術館のちいさな看板が目につく。 湯本にもこんな道が有ったか思う様な閑静な道を辿る、 と言っても5分くらいか。 見過ごす様な平屋建ての古い建物、 こんな表示が有る。 これが「平賀敬美術館」だった。 私は指折り数える程しか画家の名前を知らないが、当然、平賀敬を知らない。 狭い玄関に女性様の靴が縦横に並んでいる、10人くらいの先客が有る様だ。 一瞬戻りかけたが、折角玄関迄来てることに勿体無さを感じる。 上がり場に取っ手の付いた大きな鐘ガ置いてある、呼び鈴代わりなのだろう。 鐘を振ると「カーン」と大きな音がした。 しかし、誰も出て来ない。 入館料を手にして入館料の置き場を探してオロオロしてると、 奥から60がらみの上品な女性が出て来た。 其の女性が前で立って横向きになって案内する。 10畳くらいの部屋が二つ連なり、床の間、壁の四方八方に作品が展示してある。 居心地の良い籐椅子に座ると温泉まんじゅうとお茶が出て来た。 10人くらいの先客はビデオを観ている、NHKで放映された平賀敬の作品紹介らしい。 その女性達の頭越しにビデオを見て平賀敬の概略が理解出来た。 先客達が戻って行くと静寂が訪れる。 ぐるっと見回すと、一見、奇抜な作品が多い。 廊下の両側も作品が並んでいる。 一歩歩くと廊下が軋む。 好感を持てたのは、如何にも閑静な環境、如何にも飾らない陳列の仕方、 案内人の仕草、佇まいもだ。 案内人は平賀敬(1636〜2000)の未亡人だそうだ。 小さいと言っても100点は有るであろう作品、そして数々の置物の蒐集品、 これをたったお一人で管理しているのだから大変だ。 どうみても自由奔放な平賀敦、そして他界して12年、そんな苦労が顔に表れていない。 とっても笑顔が良いのだ。 更に好感が持てたのは、 其の奇抜な作品の中に私が以前描いた事の有る題材によく似た絵が有るのと、 書を趣味とする私の書に似ている書もあることだ。 似てると言うにはおこがましい程、幼稚、稚拙な物なのだが許して頂こう。 礼を述べて靴を半分は来かけると女主人が、 「殿様のお風呂を見て行きませんか」 もう一度靴を脱いで女主人の後に付く。 廊下の扉を開くといきなり相応な風呂場が飛び込んでくる。 こんこんとお湯が流れ落ち、湯気が立ち上っている。 天井も見上げるほど高い。 「直ぐうしろに源泉が有ってこの建物が出来てから107年間このお湯は一度も止まった事が無いのです」 「窓ガラスの外には鉄格子が嵌められています」 「暴漢の侵入を防ぐ為です」 井上馨、犬養毅、近衛文麿達が定宿にしていた名残だ。 戦後に平賀敬が買い取り晩年の住処としたのだ。 女主人を写真に収めて平賀敬美術館を後にする。 須雲川と言う川に架かった橋を渡る。 この辺りで須雲川が早川に直角に流れ込んでいる、須雲川と早川の合流点なのだ。 須雲川に沿って少し行くと例の蕎麦屋の新館があった。 殆ど待たないで座れた。 本館の小さな椅子に較べると新館の椅子は多少大きくなっている。 本館で隣の人とお尻がくっ付かんばかりに座ったのが懐かしい。 それにしても名声とは恐ろしい。 箱根湯本の蕎麦と言えば此処、其の名は全国の蕎麦好きに知れ渡っている。 みな、並んで待つのを覚悟して押し掛けるのだ。 注文してからしまったと思う。 やはり蕎麦の味を味会うには冷たい笊蕎麦なのだ。 違う物を注文してしまった。 それでも一味美味しい。 新館は少しゆとりの有る座り心地に成ったが、 本館が明治大正の蕎麦屋ならば新館は平成の蕎麦屋だ。 同じ経営者なのに不思議な物だ。 蕎麦だけが蕎麦の味ではないのだ。 勘定払って外へ出ると沢山の人が待っている。 新館では待合所が完備している。 それにしても、名声とは恐ろしい。 湯本駅への途中、ユトリロと言う喫茶店に入る。 平賀敬美術館の女主人に、 「ユトリロにも主人の作品があります」 と紹介されたのだ。 この喫茶店も当りだった。 兎も角高い天井が気に入った。 ユトリロの原画、平賀敬の作品、その他、壺や彫刻などの蒐集品は半端ではない。 多分、先代か先先代に道楽者が居たのだろう。 少なくも半世紀は経っているであろう。 ふっと気が付くと珈琲も美味しい。 カップも気が利いている、ルクセンブルク製かもしれない。 完 熟年の一人旅(日本編) |
|
|