波の伊八を巡る 1

江戸時代中期の安房の彫工・伊八の彫刻を巡る旅に出る。
安房鴨川で生まれた伊八は房州の各地から相模、江戸までの広い範囲に作品を残している。
何かの切っ掛けで、最近、伊八の知名度が日本的に成って来た。
私の郷里のお寺の欄干を飾っている彫刻が伊八の物と知ったのはつい最近だ。

久里浜から船に乗る。





冬の陽光を受けて釣り船の群れがゆったりと浮かんでいる。
少し進むと、前方を太平洋から東京湾へ入って来た船と出てゆく船が行き交う。
そんな真っ只中を直角に突き進む。





双方の船頭さんが神経を擦り減らしているのだろう。
しかし、今までにこの海域で事故の話は聞いていない。



安房岸の鋸山が眼前に迫ると、やがて、浜金谷。



安房保田から鴨川へ、安房独特な柔らかい風景が続く。
路の両脇に何処までも水仙が咲き続いている、安房の香り漂う長狭街道だ。
別称、水仙街道とも言われているようだ。
街道を右に曲がって小高い丘を登り切ると大山寺。





これが伊八の龍だ。
上が飛龍と下が地龍





凄い迫力だ。
波頭から天空へ立ち上る水が雲となる。





奈良時代の創建とされ、中世以降修験寺として栄えた大山寺。
その面影が境内のあちらこちらに残る。











棟の内側にもこんな彫刻が。





境内から長狭平野を隔て遠く太平洋が霞んでいる。



 

近くにある棚田・大山千枚田。





晩冬の日溜りで暫し寛ぐ。
安房の柔らかい空気が辺りに漂う。
流石にまだ土筆は出ていない。

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長狭街道に戻り、途中、古い酒蔵で濁り酒。




日蓮の「小松原法難跡」として知られる鏡忍寺、
折から小松原法難750年供養だ。





境内の入って直ぐ右側に大木が天空に扇の如く広がっている。。
近付くと槙の大木、これほどの槙は見たのは初めてだ。







残念ながら「謂れ」はよく読めない。



本堂にあると言われる恵比寿・大黒像は見られなかったが、
伊八の龍、二匹の龍が向かい合っている。











がらんとした境内、当時はお坊が立ち並んでいたに違いない。









今日の最後は薬王寺。
こちらは4時に予約してあるのだが、中々見付からない。
傍らに幼児が無心の遊んでいる田んぼで一心に耕している若い父母の訪ねる。
「薬王院は?」
「土地の者でないので判りません」
耕運機を止めた若い父親が申し訳なさそうに頭を下げた。
この辺りは農業を楽しみに来る都会人が多い。

今度は宅急便のお姐さんに訪ねる。
宅急便の人なら地理に詳しいだろう、と思うとそうはいかない。
しかし、彼女は分厚い地図を取り出した。
あちこちページを捲っていたが判らないようだ。
と、そのお姐さんが大声を上げた。
たまたま其処のいたのか、道を挟んだ家の庭にいる小母さんに尋ねたのだ。
その小母さんは、
「其処!」
と言って家の後ろを指差した。
宅急便のお姐さんは気持ちよさそうに手を振りながら走り去った。
細い山道を5,6分も登ると薬王院に出た。
こんなところにこんなお寺がと思わせるお寺の古い石段を登る。



天平年間の行基が開祖と言われているので由緒あるお寺なのだろう。
そんな面影が残る。





本堂に入って息を飲む。
伊八29歳の作と伝わる龍虎、
龍と虎が拮抗して向き合い緊張感が伝わってくる。







御本尊だろうか、深い瞳だ。



梅、ボケも。





真っ白な水仙は水仙の原種だそうだ。





鴨川の宿に入り太平洋を眺めながらの入浴、
夕陽の方向に富士が見えたのには驚いた。

一日目を終わる。

続く 
波の伊八2

熟年の一人旅(日本編)



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