初秋の奈良2
薬師寺



薬師寺は興福寺とともに法相宗の大本山、だそうだ。
法相宗と言うのを知らなかった、兎も角、南都七大寺のひとつ。
開基は天武天皇、皇后で後の持統天皇の病気平癒を願って発願した。
薬師寺完成前に天武天皇は世を去った。
天武天皇、持統天皇、天智天皇、草壁皇子、これらの関係の話を始めると話が終わらない。
兎も角、いろんな事があった時代だ。





南門から回廊の外を廻り東院堂を先に観る。


東院堂、国宝。
鎌倉時代後期の和様仏堂の様式を踏まえ水害・湿気を避けるために高い基檀の上に建つている。





屋根、棟、軒、壁、この整い方に目を見張る。

聖観世音菩薩像、白鳳仏を代表する国宝だ。
薄い衣の襞の流れが微妙、
その衣が妖しく透けて素足が見えるが、これはインドのグプタ王朝の影響だそうだ。

 

鎌倉時代の力強い四天王像。




中門から中へ入る。
解体修理が予定されている東塔を観るのはこれが最後だろう。
2019年に解体修復完成だそうだ。



薬師寺で唯一創建当時より現存している東塔、
まさに1300年の雄姿だ。



向こうが西塔、昭和56年再建された、453年振りの復興。

五重塔とばかり思っていたら六重になっている。
各層に裳階と呼ばれる屋根があり、実際には三重塔なのだ。
相輪の上部に水煙が輝く。





模型を拡大してみると飛天が様々なポーズで奔放に翻っている。







笛を奏で、花を蒔き、衣を翻し、祈りを捧げている。
天平の人々の天に込める思いが伝わってくる。
天を恐れ、何よりも天を敬い、天に膝まづくのです。

敦煌で初めて飛天を目の当たりにしたの何年前だろうか。
当時、敦煌では飛行場を建設中だった。
莫高窟で観た飛天、余りにも扇情的だった。
その中に籠もる慈愛の表情、神と人間の合体と思った。
そんな飛天が薬師寺の天を舞っているのだ。
初月や飛天泳ぎて来る如し


左から東塔、西塔、金堂。



金堂の薬師三尊像。
中央に薬師如来、またの名を医王如来とも言う。
苦を抜き楽を与えて下さる抜苦与楽の医薬兼備の仏様だ。
庶民に親しまれ頼りにされる。
そして、右に日光菩薩左に月光菩薩。
豪華絢爛だ。



安らぎ、平和と言うイメージが伝わってくる。
両脇侍像は首と腰を軽くひねりS字型のポーズ、そんなポーズも単細胞な感受性を刺激して止まない。
これもインド・グプタ朝の彫刻様式の影響らしい。
中国を経て日本へ伝わったものであることを示すのが薬師如来台座の彫物。

薬師如来の後ろで人達が注目しているのがその薬師如来台座の彫物だ。
上から順に、



この画像では定かではないが肉眼で確認した。
ギリシャの葡萄唐草文様、
ペルシャの蓮華文様、
インドから伝わった力神の裸像、
さらに中国の四方四神、
まさに西方からの伝来、シルクロードを彼方から順に示している。


大講堂。




弥勒三尊像、



弥勒三尊と呼ばれるようになった経緯はややこしくて理解できない。

仏足石・仏足跡歌碑。
日本最古の仏足石、万葉仮名を使って二十一首の歌が刻まれた仏足跡歌碑。
さて、どんな歌が刻まれているのか、何時か紐解いてみたい。
勿論、国宝。




大講堂の裏から玄奘三蔵院へ行く辺り、秋の花が迎えてくれる。







実は奈良の曼珠沙華が見たかったのだ。
やっと見つけた片隅の曼珠沙華、侘しげだ。



近付いてみる。





永遠の仏像が並んでいる如きだ。


玄奘三蔵院。



戦時中に日本軍が発見した玄奘三蔵のご頂骨が分骨されている。



「不東」
西へ向かう、目的を達するまでは東に戻らない。
三蔵法師の強烈な意思が見える。
もう一度、二度、不東、不東、と呟く。

続く



 






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