初秋の奈良1
法隆寺・中宮寺
久し振りの法隆寺、ついこの間来たような気もするが、
指折り数えると、ウン十年振りだ。
此処の門前のアプローチを想い出した。
その昔は向こうの方から歩いてきたような気がする。
南大門の辺りで左右の壁、この壁見て一句捻ったことがあるがその句を思い出せない。
西院伽藍へ向かう。
中門の前、シャッターを押す前後の中学生達の動きが微笑ましい。
まず、法隆寺境内で五重塔を見るのが最適と言われる西円堂に向かう。
西院伽藍に入らずに左の方、三経院という美しい細長の建物を左に見て、
一寸小高い丘を登ると六角堂、これが西円堂。
聖武天皇の皇后・光明皇后の母、橘三千代の創建と言われている。
西円堂の本尊である薬師如来像は法隆寺ににある仏像の中でも最大の像であるという。
いかめしいお顔をしているが、何処か親しみやすく庶民的な匂いがする。
此処からの五重塔は天下一品だ。
西院伽藍に入る。
国宝・五重塔を間近に眺める、
面白いものを見つけた。
金堂。
薬師三尊像、
渡来人の系統である止利仏師作との光背銘がある。
釈迦如来の両脇侍としては一般的に文殊菩薩・普賢菩薩であるが、此処の脇侍は寺伝では薬王菩薩・薬上菩薩と称している。
中央の釈迦如来、彼方此方で観る仏像とは何処か異なる、目鼻口が大振りで一回り大きい。
アーモンド形の眼、アルカイックスマイル、太い耳朶、首に3つのくびれを刻まない点など、日本の仏像と異なった大陸の面影が強い。
不思議なものでじっと眺めていると慈愛のようなものがジーンと伝わってくる。
金堂も釈迦三尊像も国宝、他にも多くの国宝が在ったのだが、一足外に出ると思い出せない。
左側で僅かに覗き見出来るのが例の壁画だ、10円切手で馴染みが深い。
大宝蔵院。
金堂、五重塔をじっくり眺めて西院伽藍を出る。
聖霊院を過ぎ奥に大宝蔵院、中心はいわずと知れた百済観音堂だ。
国宝、百済観音。
すらりとした肢体を見て、ハット息が止まる。
美しい!
肩からのなだらかな曲線は繊細にして優雅、
だらりと下がった腕、指先のあたりには艶っぽい倦怠感を感じる。
今や国宝の百済観音像だがその伝来ははっきりしていないらしい。
海外も含め彼方此方を渡り歩き、平成10年、やっと此処に納まったのだと聞く。
夢違観音、これも国宝。
悪夢を良夢に替えてくれるという。
良い夢を観たい!
そう願って暫く睨めっこをする。
東大門から夢殿へ向かう。
この辺りの土壁の沿って歩く人々、
土塀の路地に消えてゆく後ろ姿、佇んでいて飽きない。
国宝、夢殿。
夢殿と救世観音は聖徳太子の祟りを鎮めるため作られた、とも言われる。
夢殿本尊は非公開中だ。
裏の中宮寺、
聖徳太子が母・穴穂部間人皇后のために建立したと伝わる尼寺、
最古の尼寺といわれ、宮家の皇女が入寺される門跡寺院となっている。
また息を飲む。
国宝、木造菩薩半跏像。
言葉が出ない。
慈悲を具現化している。
人の美の極致、しかし、仏像なのだ。
きっと、モデルがあったに違いない。
明日香の時代、どんな人がどんな気持ちでモデルになったのだろう。
それを思っただけでもロマンがある。
和辻哲郎は「聖女と呼ぶに相応しい」と言い、
亀井勝一郎氏は「傷心の心を癒すため中宮寺を訪れ菩薩の微笑に触れ全ての罪を許す慈悲の姿を見た」と言う、
また、「考える人」との比較で「かかる摂取の微妙さはいかなる西洋彫刻にも看られない」とも言う。
むべなるかな。
広隆寺の弥勒菩薩半跏像を並べてみた。
ふっと見上げると花梨?
後ろ髪を引かれる様に中宮寺を後にする。
日も大分西に傾いた。
もう一度南大門から参道を望む。
つづく