奈良記
20091015
以前読んだ立原正秋の小説(題名は忘れた)の中で、
奈良の秋篠寺を訪れる場面が強く印象に残っていた。
何時か機会があれば訪れようと狙っていたチャンスがやって来た。
興福寺の阿修羅像が奈良に戻り一般公開されると聞いて重い腰を上げたのだ。
一日目に秋篠寺をゆっくり見て、
翌日、久し振りに岩船寺、浄瑠璃寺界隈を散策し、
三日目に阿修羅さんにお目に掛かろう、
ざっとそんな計画だ。
案内書によると秋篠寺への道筋に西大寺がある。
かって東大寺に並んだ威容を誇った西大寺、
塔の礎石跡にその面影が潜んでいる。
静かな公園の趣がある境内は、さながら、老人の格好な散歩道であり子供の遊び場になっている。
洒落た石標を辿って民家の間を抜けると秋篠寺への参道があった。
昔は野中の一本道だったのだろう。
何か山門の中へ入るのが勿体無いような気がして、暫く、山門の前で立ち止まる。
奈良市内とは思えないなんとも静かな佇まいだ。
南門を入り自然のままに近い深閑とした森を歩いて行くと、
真緑に輝く苔庭がある。
絨毯のように敷き詰められた一面の苔に木漏れ日が射しこんで、
えも言われぬ風情を醸し出している。
森を抜けると辺りが開けて本堂がある。
どっしりとしたとても簡素な建物だが、どことなく優美で安定感がある。
穏やかな屋根の勾配に天平の大らかさを感じるのかもしれない。
さて、いよいよ本堂の中、技芸天像の前に立つて息を呑む。
優美だ、神秘的だ。
ちょっとした角度で表情がこんなにも変わるのだ。
暫くして堂内の素朴さに気づく、
床がコンクリートでも板張りでもなく、ごつごつした土間なのだ。
5本の指がしなやかにそっている。
芸事の神様、日本に現存するただ一体の技芸天像だそうだ。
以前、敦煌で見た技芸天は優美というより逞しい印象が強かった。
横に廻ると石仏があった。
所謂、時代物だ。
もう秋の深まりを感じる境内、振り返り振り返り秋篠寺を後にする。
池の向こうから見る薬師寺の塔、
よく絵葉書で見る風景だが水鳥が趣を添える。
背景の若草山、青春の想い出が蘇る。
薬師寺、
当時、日本一の威容を誇る大伽藍だったのだが、
応仁の乱などの兵火で東塔(国宝)以外は灰燼に帰した。
近々に五重塔の修復が有ると聞いた。
この塔が天平に蘇った姿を眺めるのは、間違いなく、彼岸からだろう。
近年、次々に伽藍が復興されている。
金堂、大講堂・・流石に規模が大きい。
意外にも、国宝の釈迦三尊像は表から覗ける位置に座している。
広い境内、白い紫式部(シロシキブと言うのだそうだ)や南天、黒い烏に出会う。
大唐西域壁画殿、
平山画伯の壁画が後世まで日本を伝えて行くのであろう。
隣の大宝蔵殿、
国宝の吉祥天像(ガラスの反射で見難いことこの上ない)ほか、
近代作家の仏教絵画の展示があった。
一角にある土塀、何度見ても左側が低い。
京都竜安寺の石庭に見られる遠近法を取り入れた土塀が奈良時代にもあったのだろうか。
どうも、後世のもののようだ。
岩船寺、浄瑠璃寺近辺の散策はこれで三度目の筈だが、
車を使わない散策は今回が初めてだ。
奈良駅から30分弱で岩船寺入り口に着く。
まず、蝗?のお出向かい、
何と呼ぶのだろうか稲の藁山が踊っている。
その先に、腰の曲がったお婆さんが一人で畑仕事、
もう一人のお婆さんがバイクでやって来た。
お婆さんの腰が伸びて二人が話し始めたが意味が解せない、強い方言だ。
行き交うと声を掛けてくれた、
「その藪の中の道を行くとナントカ地蔵様があってその先が岩船寺だよ」
と教えてくれたようだった。
その藪に入り込んだ、結構な山道だ。
まず、第一の地蔵様、岩に直接彫り込んである、
輪郭がやっと見えた。
これも直接彫り込んであるようだ。
快適な山道でオゾンをたっぷり吸い込む。
静かな山道を登って下ると部落があり岩船寺前に出た。
岩船寺の古びた山門の奥に見えた三重塔に震え上がったのは何時のことだったろうか、
秋だったか春だったか季節も覚えていない。
ただただ幽玄な塔の佇まい、これが私の岩船寺を永遠なものにした。
残念なことに三重塔にその面影はない、近年修復されたのだ。