修善寺を歩く
2009年5月

歩き出すと右手に急な階段、



日枝神社、日枝はひえと読むのだそうだ。







今までは車で来る事が多く、見逃していた神社だ。



鬱蒼と天に伸びる大杉の根元に源頼家が幽閉されていた館跡がある。
沢山の取り巻を引き連れ鎌倉の若宮大路を日々闊歩していた頼家が、
この山奥に入った時の気持ちを考えただけで琴線がうごめく。


少し進むと、修善寺。





弘法大使が開基と言う。
鎌倉時代には建長寺開山の蘭渓上人が住したことがある。







南北朝時代の戦禍で伽藍は全焼し以後衰退したが、
北条早雲が再興し今日に至る。











「修善寺物語」の主役の面を眺める。



岡本綺堂のように、
この面と頼家とを結びつけたあの切ない物語の発想は浮かんで来ない。

大きな台風が来る度に激流に流される独鈷の湯は移転中だ。



以前の面影が再現出来るかどうか。

坂道を少し上がって指月殿、





北条政子が息子・頼家の菩提を弔ったお堂と言われる。
息子を見殺しにしなければならなかった政子の心情を思うと、また琴線が騒ぐ。







近くにある頼家の墓を詣でる。



頼家の墓、仲々センスがある、
工芸作品と見紛うようだ。
多分、近年に新調されたものだろう。





それにしても、それにしても、
まだ20代の元将軍が、幽閉されたとは言え、
この地に住んだと言う事にどうしても合点がいかない。
今でこそやや賑やかな温泉街、
鎌倉時代のこの辺りの鄙びさは想像を絶する。



頼家と共に果てた十三人の墓が並んでいる。
これらの人物は歴史上明らかではないと言う。
としても、頼家の幽閉に共だった者がいないはずは無い。
それも、相応の家の若者たちであったであろう。
それを思うと再び琴線が幽かに奏でられる。

修善寺の路地を散策する。
この鮎の干物は珍味この上ない。







竹林が整備された。











気の利いた展示場も出来た。









この老舗旅館は先年の台風襲来で激流に飲み込まれた。



確か、廃業して記念館になった、ように聞く。





自然の推移と人間の推移、
人間を含めた自然の容赦ない営みを垣間見た修善寺の一日だった。



 

安房守の旅紀行・日本編





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