爪木崎記


久し振りに伊豆急に乗る。
伊東から暫く内陸に入る、と言ってもほんの何分かだ。
伊東と聞くと、いろんな思いが起き上がってくる。
俳句の季語に「虎が雨」と言うのがある。
曽我兄弟の敵討ちの話は日本三大敵討ちとして歴史に残るが、
その曽我兄弟はこの辺りで生をなした。
曽我兄弟の兄・十郎祐成の恋人が虎御前、
建久4年(1193年)5月28日、
兄弟が見事父の仇である工藤祐経を討ち果たしたのだが、
虎御前の愛した曽我十郎祐成もその場で帰らぬ人となる。
折からの雨の中、虎御前は悲しみさ迷い歩く。
この日に降る雨を「虎が雨」と名付けられ季語にまでなったが、
その経緯は判らない。

大島が窓一杯に広がる。



曽我兄弟に討ち取られた工藤祐経は、
頼朝の側近とし重用されていた仲々の人物であったらしい。
鎌倉への護送途中の平重衡を慰める宴席や鶴岡八幡宮社での静御前の舞で、
鼓を打ったことが伝わっている。
伊豆の豪族、伊東氏と工藤氏、同じ狩野氏の系列なのに何代にも渡って縺れ合った、
些細な事で。

先年、宮崎の飫肥を訪れた際に飫肥城主は伊東氏と知った。
伊東氏の脈流がこんなところに生き延びているのを知って、
(伊東氏の事良く知りませんので間違っていたらごめんなさい)
近隣の住人として何か安堵感にも似た微笑みを浮かべたものだ。
天正遺欧使節の一員だった伊東マンショ、
日清戦争時の連合艦隊司令長官伊東祐亨もこの一族だそうだ。

伊豆七島が並んでいる、利島、新島、式根島?



海に面した露天風呂で知られる北川温泉、そして、熱川温泉、稲取温泉、
次々に著名な温泉どころを通過する。

細腕繁盛記の舞台は熱川温泉、そこに実在した山水館がモデルだった。
大好きだった新珠三千代はもうこの世にいない。
冨士眞奈美、憎まれ役から大成?した女優の例は少ない。
山水館も名前が変わっているらしい。

「雛のつるし飾り」の発祥の地が稲取だ。

次いで、河津桜の河津。
曽我兄弟の父佑泰は河津三郎と称し、この界隈の領主だった。


下田からの爪木崎行きのバス、空いてる。
私以外にただ一人、貸し切りバスのようだ。



眼下に爪木崎の全貌。
向こうに大島がくっきり。





アロエ、水仙、大島は付き物みたいなものだ。



逆光が凄まじしく映える。
高台に上って前後左右を見渡す。









灯台の根元を荒波が洗う。













これは灯台に向かって右の風景。
灯台の向こうは新島?









風に漂うのは鴎か鳶か。



これは灯台に向かって左側の風景。
ぽっかりと雲が浮かぶ。











入り江に下ると、
この風景には思わず唸り声を上げた。
紺碧とはまさにこのような色を言うのだろう。
一寸入り江に沿うと風も無く風音も無い、波音も無い。



別世界のような絶景に暫し佇む。




そして、天からの贈り物・・・





水仙は、早くも盛りを過ぎんとしている。



岡本眸の句碑。
「抱かねば水仙の揺れやまざるよ」
そう言えば、まだ一句も出来ていない。

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茶店でイカの丸焼きを肴に熱燗、甘露甘露。
近く植物園を覗く。

















最後にもう一度振り返る。






一寸時間が有ったので下田を散策。
了仙寺、永福寺を通り越してペリーロード。
了仙寺から下田港までペリーが良く通った道なのでペリーロードと名付けたのだそうだ。



 

多少、当時の面影が残っている。
なまこ壁のせいだろうか。





長楽寺。





境内の蝋梅は既に満開、やはり、下田は南国なのだ。















日頃の行いが良いせいだろう、絶好の爪木崎を満喫して満満足だ。
下田に纏わる話は後日に譲ろう。



 



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