近江記10
黒田観音寺

大音千手観音から少し戻って、
田園地帯を小川に沿って北西に辿ると黒田と言う部落に出る。
直ぐ目の前を北国自動車道が通っている。

黒田観音寺のお堂は、
案内書には赤い屋根のお寺とあったが、
葺き替えられたのだろうグレーの屋根、
こじんまりとした閑静なお寺だ。





此処のお寺の創建は極めて古いらしく年代不詳だ。
御本尊の伝千手観音立像は平安時代前期に行基が自ら刻んだといわれている。



高さ199cm、檜の一木造で、三重の蓮台の上に立つっている。
地域の人々には「黒田観音」と呼ばれ篤い信仰を集めている。
例により、この本尊も数々の戦火に遭っているが、
村民たちが必死の思い出お守りしたのだろう。
私は目にしなかったが、
当時の戦火により焼き爛れた仏像が何体か残っているそうだ。

案内書によると、
この観音は千手観音と伝えられているものの、
その姿形からして、准胝(じゅんてい)観音ではないかとされている。
准胝(じゅんてい)観音を少しく調べてみた。

ウィキペディアによると(以下ウィキペディアより引用)、
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「准胝観音(じゅんていかんのん)は、仏教における信仰対象である菩薩の一つ。
サンスクリットではDurga(ドゥルガー)またはチュンディーと言い、准胝は音訳である。
六観音の一つに数えられることもある。
日本語では「准胝観音菩薩」、「准胝観世音菩薩」「准胝仏母」などさまざまな呼称がある。

准胝観音は真言系では重視され、
醍醐寺の上醍醐准胝堂(西国三十三箇所第11番札所)の本尊は准胝観音である。
一方、天台系では「准胝仏母」と称し、菩薩部でなく如来部に分類されている。
准胝観音ないし准胝仏母は、心の働きを清浄にするほとけであり、安産、子授けの功徳もあるとされている。

像容は一面十八臂とするものが多い。手の本数が多いことから千手観音と混同される場合もある。
日本では准胝観音単独の造像例はあまり多くない。
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よく判らないが、諸仏・諸菩薩の母とされている。
普通の千手観音は胸で合掌の形をとってるがこの観音は合掌して居ない、
等からこの観音は准胝観音ではないかと推測されている。
もしそうだとすると、日本最古の准胝観音であり、大変な代物だそうだ。

左右十八本のお手には種々の法器がしっかりと支えられている。
いずれにしても、密教系の仏像である。

案内人が観音像を上から照らしている照明を消した。
「感じが変わるでしょう?、少しお優しくなりませんか?」
言われてみると、厳しさがやや減じて柔和さが加わった。

如何にもゆったりとしていて、
じっくり眺めていると安心感、安堵感と言うようなものが湧いてくる。
両耳を覆い垂れ下がった頭髪は、
現代の若者たちの風俗流行を思い起こす、
「粋」さえも感じさせるお姿だ。

国の重要文化財に指定されている。
此処は写真禁止でインターネットなどに公開されている写真を引用した。

尚、この辺りの部落名が黒田であるが、
安土桃山時代に秀吉の参謀として活躍した黒田如水の出身地であり、



境内にある鎌倉時代の作とされる二基の宝篋印塔は如水の先祖に関係があると言われている。

続く

 

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