近江記7

和蔵堂

道行く人に尋ねる、
「山門(サンモン)はどの辺りですか」
その人は首を傾げる。
「和蔵堂へ行きたいんですが」
「はは、サンモンじゃのうて、ヤマカドだのウ」
教えられた山門集落の細い道を辿ると幼稚園、
滑り台やブランコの向こうに二本の石柱を挟んで善隆寺があった。



案内を請うと、
年配の女性がゆったりと出て来られた。
多少足元が覚束ない感じだがシャキっとしておられる。
こちらの大奥様だろう。



善隆寺の境内の和蔵堂に、
十一面観音立像と阿弥陀仏頭が安置されている。
元々、善隆寺も二体の仏像も近くの庄と言う部落に有ったのだが、
善隆寺がこちらに移り、その後、今から600年前頃に、
仏像をお守りしていた新三郎という人物が夢で観音様のお告げを受け、
仏像もこちらへ移した、という新三郎の文書が残っているそうだ。

十一面観音立像も阿弥陀仏頭も平安時代末期の作で国の重要文化財に指定されている。
十一面観音立像は檜の一本作り、身の丈は1mもあるだろうか、
いかにも端正なお顔をしておられる。
端正と言う言葉はこの観音像の為にあるようだ。



右膝を少し前に曲げて、今から民を救いに出でなん、のお姿だ。
質素だが品がある。



キリリと結んだ口元に、今まで観て来た観音様とは違った男性味を感じる。

阿弥陀仏頭は桂(一説には檜)の木で造られ、約60cm程の頭部像だ。



「始めから頭部だけだったのですか」
と尋ねてみた。
「それが詳らかではないのです、
お役所の方は当初から頭部像だったと仰ってますが、
伝説では、お引越しの時に、余りに大きいので解体され、
その後、頭部だけが残されたの話も伝わっています」
もし、伝説通りだとすると随分大きな仏像だったのだ。



やや微笑みかけている切れ長な眸が印象的だ。
此処では写真を撮ってもよろしい、
との事だったが、何となく気が引けて枚数が少なかった。
写真撮影の許可不許可は写真を売っているかいないかと相関がある。

こちらの建物は雪対策なども施されている。
「この辺りは雪が積もるのですか」
と尋ねると奥様は首の辺りに手をやって
「多い時はこの位まであるのですよ」
やや間を置いて、
「近頃はとても少ないンのですよ」



井上靖が「星の祭」の取材でこちらへ来られた時、
お茶を召し上がりながら大奥様とゆったりとお話されたとの事だ。
最近は外人さんもよく来られるとか・・・

続く

 

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