近江記3
渡岸寺観音堂
高月観音堂からものの数分で渡岸寺、
正式には渡岸寺観音堂と言う。
向源寺というお寺に居候をしているようだ。
今回の観音巡りで戸惑ったと言うか時間を浪費させられたのはお寺の名前表示にだ。
先ほどの高月観音堂は、更に正式には大円寺高月観音堂と言うらしい。
今回持参した地図は大区分、中区分、小区分の三種類だが、
その地図によって目的のお寺の名前がいろいろ違うのだ。
例えば大円寺高月観音堂、
ある地図には大円寺とあり、有る地図には高月観音堂とある。
案内パンフレットも然り、同じ所へ二度電話する事もあった。
幾たびかの戦火で次々に場所を変え命名が複雑になったのであろう。
さて、渡岸寺観音堂、
以前から湖北に素晴らしい観音様が居られるとは薄々聞いていたが、
或る知人が、上野で渡岸寺の十一面観音を観て、
見飽きたらずもう一度観に行って、
なお未練があって湖北まで観に行った、
と聞いた時に、
「それほどまで・・凄いのか」と脳裏に焼きついてiいた。
此処も立地が想像と違った。
山の中腹辺りのこんもりしたお寺と想像していたが・・
周囲には民家が立ち並んでいるが昔は田園地帯の真っ只中だ。
門前に立つ。
期待感で胸が高鳴る。
早速、
金網越しに仁王様とご対面だ。
静々と境内入り込む。
流石に此処は常駐の方が居られる。
左手に案内されると、
いろいろ話題に上った建物が有る。
「何であんな物を作ってあんな所へ移したんだ」
と心底怒っていた人が居たが、
未来永劫に手厚く保存する為には致し方ないことなのであろう。
扉を開けて入ると数人の先客が案内人さんのお話を聞いている。
少し離れた所に遠慮深く坐って、十一面観音様にご対面だ。
まず、唸る。
やはり写真と実物では雲泥の差がある。
この生身のような生々しさは写真では伝わってこない。
これだけ唸るのは、
敦煌の57窟の菩薩像、
そして、
広隆寺弥勒菩薩半跏思惟像、
以来の三回目だ。
なんとも美しい。
戦乱の度に、村民により地中に埋められ戦火を免れたと聞く。
そんな苦難を乗り越えて美しさを増したとみた。
顔付きはもとより、手付き、足付き、腰付き、如何にも生々しいお姿だ。
私は睡蓮が大好きだが、じっとじっと、地中水中に耐えて耐えて、
控えめに静かに花開く、
この菩薩にそんな睡蓮をイメージした。
(此処は写真撮影禁止、写真は全てインターネットやパンフレットに公表された物から引用した)
艶やかな耳飾、ネックレス、ブレスジット、
インドの影響だろうか。
右足の爪先が上がっている、
今、悩める人々を救うため踏み出そうとしているところなのだそうだ。
この一瞬にお能の雰囲気を感じる。
かって曼殊院の舞台で舞った吾が線友の姿を思い出した。