近江記1
観音寺 小谷寺

兼ねてからの念願だった琵琶湖周辺の観音巡りの機会が訪れた。
最初に見聞きしたのは白州正子の何かの随筆だった。
彼女独特の美的感性が醸し出す何かが私の琴線をくすぐったのを覚えている。

長浜駅に予定の時刻通りに着く。
予約して置いたレンタカー屋さんが駅まで迎えに来た。
今日の予定は、
姉川の古戦場、小谷寺、高月観音堂、渡岸寺、赤後寺、を経て余呉湖泊りだ。
暫く車の旅はしていない。
慣れも含めて、手始めに、
長浜の近く、姉川の古戦場へのほぼ通り道に観音寺と言う古寺に立ち寄ってみる事にした。

一面の田園地帯を伊吹山麓の近付いた辺りで、



石田三成出生地の看板を通り過ぎる。



野中の古めかしい祠の傍らに車を止めて引き返し確認する。



暫くして観音寺。







案内板に「秀吉三成出会いの寺」とある。
昔、何かで読んだ事のある逸話のお寺だ。









即ち、
当時長浜城主の秀吉が鷹狩の帰りにこの寺に立ち寄ると、
小坊主だった三成が、
一杯目は大きい茶碗でぬるめの茶、
二杯目は中くらいの茶碗でやや熱めの茶、
三杯目は小さい茶碗に熱めの茶を入れて出した。
その才気に驚いた秀吉が早速住職に頼み込んで三成を登用したという。



その時の井戸も残っている。

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いつの間にか姉川の古戦場を通り越してしまったようだ。
織田・徳川軍と朝倉・浅井軍との死闘で血で真赤に染まったと言う姉川を一目見たかった。


やや行くと、小谷城跡と小谷寺、
青田が無くなった辺り、小谷城の東麓に小さなお宮、





これがかつて隆盛を誇った浅井三代の祈願所とは如何にも侘しい。
浅井家滅亡の後も、お市の方、淀君他三姉妹は生き延びたのに不思議だ。
本尊の如意輪観世音像が拝顔出来なかったのが残念、



写真を附す。

いい顔の地蔵を見付けた。





次は高月観音堂、いよいよ観音巡りが始まる。
胸が高鳴る、持病に成り掛けている期外収縮かもしれない。

続く

 

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