明日香
この景色を見るのは何年振り、何回振りだろう。
初めてこの地を訪れた時の感動は忘れられない。
田んぼ道を貪る様に歩いたものだ。
しかし、変わったものだ。
上に乗ったり寝っころがったりした石舞台など、
有料化は未だ止むを得ないとして、
周囲から見ることが出来ないように覆われてしまっている。
自然破壊の粋たるものだ。
飛鳥寺
蘇我馬子建立、7世紀前半の代表的寺院で、
豊浦寺と並び日本最古の本格的仏教寺院である。
束西200m、南北300mの寺域をも持つ。
百済の工人が深く関与し伽藍配置や瓦の文様などにも、
当時の朝鮮仏教文化の影響が強い。
飛鳥大仏、飛鳥寺中金堂の本尊。
609年(推古天皇17年)、仏師鞍作止利の作と伝わる。
現存の仏像では年代の明確な日本最古の仏像と言われる。
数々の戦火を経てお顔の傷が痛々しい。
しかし、眼差しは間違いなく飛鳥の眼差しだ。
それにしても、当時の蘇我氏の際立った勢力の強さを偲ばせる。
飛鳥寺の裏を出ると、
蘇我入鹿の首塚、
この辺りは左程変わっていない。
畦道がコンクリート道にはなっているが・・・
首塚の向こうに蘇我入鹿の屋敷があった甘橿丘がなだらかな傾斜を作る。
この辺りから、
中大兄皇子や中臣鎌足があの丘を、
何度も何度も、
キッと、見据えた事が有ったに違いない。
明日香の彼方此方に転がる石の建造物の一つであろうが、
よくもまあ、現代までも持ち堪えたものだ。
もし、これが本当に入鹿の首塚であるなら、
入鹿逆賊の風聞が収まった後年に一族の者が立てたのであろう。
水落遺跡
日本書紀に、
皇太子が初め漏れ剋を造り、人々に時刻を知らせた、
と記述がある。
わが国で初めての水時計の跡だ。
堅固な二階建ての建物だったようだ。
地下で木樋や銅の管を配置して水時計を動かす水を取り込み、
一階には水時計、
二階には時を告げる鐘や天文観測の装置が置かれていたらしい。
何よりもこの絵がその様子を物語る。
やはり、韓国からの技術の伝来なのだろう。
飛鳥坐神社
飛鳥京の諸守り神を祀ってある。
境内の彼方此方に奇岩が転がっている、
と言うより展示されている、と言った方が良いだろう。
彼方此方から、ワッセワッセと持ち寄られたのだろう。
この時代にも蒐集というものがあったのだろうか、
「蒐」の字を「字統」で調べたら載っていない。
殆どが陰陽石のようだ。
古代の、素朴に大らかに性を敬っているのだ。
この辺りを歩くと、
道筋から、民家から、草花から、
今でも明日香の匂いがプンプン漂って来る。
橘寺
聖徳太子生誕の地と伝えられる。
日本書紀に680年、橘寺の火事の事が記されている。
発掘調査から、創建当時は東西870m、南北650mと広大な寺域を持つ、
金堂、講堂、五重塔など66棟の堂宇からなる四天王寺式伽藍配置の大規模な寺だったらしい。
境内にある二面石は、左が善、右が悪と人間の善と悪の2つの心を象徴していると言われる。