高野山

夕日を眺めながら紀伊水道を渡る。



和歌山から、
紀ノ川に沿って紀伊半島を真東に入り込む。

高野山へ入る。

大伽藍 金剛峰寺

高野山高野町、
大門から一番奥の奥の院まで100を越すと言われるお寺が並ぶ。
学校も商店もあり、多くの人が生活する宗教都市だ。
山の頂上が高原になっているような地形だろうか。


まず、壇上伽藍に立ち寄り満願、結願のお礼する。
弘法大師が最初に講堂を立てた聖地だ。



朱塗りの建物が高野山のシンボル、根本大塔。
お隣が金堂、高野山の総本堂だ。





杉が美しい。
実直に天に向かい若葉を携えている。
何年も何年も大事に手入れされてきたのだろう。
綺麗だ。
頼もしい。
神々しさすら感じる。





御影堂の屋根が美しい勾配を描く。
壇上伽藍には、
根本大塔を中心に多くの建物が散在する。
私は、この御影堂が一番気に入った。





森の中から白人の二人連れが出てきた。
大事に大事に歩を運んでいるような気がする。
二人は腰を下ろすとゆったると地図を広げたようだ。
何処から来たのだろうか。
東洋の隅々に白人達を見掛けるが、
どんな切っ掛けでこの高野山へ足が向いたのだろうか。
奥深い東洋思想への憧れが、
まま、空海まで届くと聞く。









金剛峯寺。
元々は豊臣秀吉が亡母の菩提供養のため建立した青巌寺であり、
後に金剛峯寺と改めた。
現在はこの建物を金剛峯寺と呼んでいるが、
元来、一山の総称であり、
諸堂や大門、奥の院など高野山全体が金剛峯寺の境内である。
高野山の総本山は金剛峯寺だ。













主殿の各所を彩る狩野探幽の襖絵がすばらしい。
これは、多分、このお寺の再建後の作品だろう。







台所なども公開している。
驚いたのは台所にある釜、3つの釜で3000人前も炊けそうだ。



豊臣秀吉の甥にあたる豊臣秀次は一時は関白の座にあったが、
秀頼が生まれた後関白の座を追われ高野山に蟄居、
その言動から殺生関白と言われた。
その秀次が割腹したのは主殿の柳の間だ。
切腹後まもなく三条河原にて秀次の遺児及び正室・側室併せて39名が処刑された。
豪奢な生活から三条河原、
天国と地獄を味合った秀次、秀次一族の思いはいかばかりであったであろうか。











奥の院へ

 

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