第八十八番 大窪寺


 

終にお遍路最後、
此処で結願、満願なのだ。

ここも行基が開基。



なんともけばけばしい山門、
しかし、
なんとなく足取りもゆったりしている。
お遍路を始めた時は、何か急かれるようでそわそわしていた。



 



思い切って鐘を撞く(クリック)。









 

 







最終寺での安堵と緊張がある。







本堂前は結願を記念して写真に収まる姿が多い。
充実感、満足感、疲労感、
どれも当てはまらない。
何かが残ったのだろうか。
何かが変わったのだろうか。
頬を抓ってみても痛さは同じだ。

しかし、
カメラにポーズをとっている老若男女、
みんな、なんと清清しい顔をしてることか。
自分もあんな顔をしているのかな、
もう一度、頬を抓る、痛さは同じだ。

同行二人、もうお目にかかることは無いだろう。
記念に写真に収める。



納経を終えると安堵感が込みあがってくる。
ともかく、全てを廻ったのだ。
思わず笑みが零れる。
手を取り合ってお互いに健闘を称え合う。
お遍路が何か目に見えないものを与えてくれたような気がする。



さあ、お世話になった杖をお納めしようとして、
一寸した事件が起こった。

連れが、
「この杖は何処へ置けばいいのでしょうか」
と尋ねると、
30代くらいの男が不機嫌な顔をした。
何事が起こったのかと一瞬たじろぐ。
「もう使わないんですか」
陰険な声、陰険な顔だ。
「はい」
「もう、要らないから置いてゆく、ってな考え方は良くありませんね」
彼が何を言ってるのか、
何をむかついているのか、
判らない。
続いて、ムラムラっとして来た。

誤解したのだろうが、
それにしても、嫌な口のきき方だ。
満願、結願で浮き立っていた気分が一遍に崩れ落ちる。

一心に餌を運ぶ親燕、
無心に餌を啄ばむ子燕、
そんな親子を見つめている内に気分が収まった。



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