第五十九番 国分寺
阿波、土佐に続いて三つ目の国分寺。
此処も此処も幾度かの戦火を潜って来たのだ。
三度四度どころでは無いようだ。
発掘された礎石が開基当時は豪壮さを物語る。
戦国時代の戦乱後は藁葺き小屋ばかりだったと言う。
奉納石と言うのだろうか、
写真の左側は壱百円、右が参万円、弐万円。
壱円、2000万円と言うのもある。
その時代時代に於けるお金の価値と石碑の大きさが比例しているのだ。
お寺によって納経帳に記帳する人はいろいろだ。
住職自ら、奥方、二代目、そのお嫁さん、
時には、お嬢さんらしい時もある。
此処のお寺は奥様らしい。
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