第53番 円明寺


 

松山市の北はずれ、
喧騒とした通りに面しているが、
一歩、仁王門を中に入ると静かな佇まいだ。



慶安3年(1650)に京 都から来た家次という人が銅製の納札を納めた。
今でも本堂に打ち付けられているとか。
その銅製の納札を発見しその価値を云々したのがアメリカ人と言うのも興味を誘われる。
大正13年の事だそうだ。



此処のお寺も数々の辛苦を舐めている。
何世かの興亡の後、
慶長5年 、松山城主の加藤嘉明が関カ原 の戦に出陣中、
前の国主河野家の遣臣が主家再興の兵を挙げたが逆に滅ぼされた。
その人々の追善供養のため安置されたのが本堂に納められている十一面観音といわれる。
それにしても、
あの賤ヶ岳の七本槍の一人だった加藤嘉明が当時の松山城主、
しかも、
松山城の築城者とは知らなかった。

 

 



年代物の彫刻と真新しい天井絵が不思議とマッチしている。





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