第五十一番 石手寺




道後温泉から歩いていける距離にある石手寺。
探し当てた石手寺の門柱の脇に入口出口が塞がれた橋、
弘法大師がその下でお祈りをあげて居られ、
人間が渡ると足が腐ると言われている。








一寸シックな長い回廊、風のトンネルのようだ。
回廊を通り抜けると仁王門、国宝だそうだ。
ここも行基が開基。













五重塔をはじめ当時のままの物が多いのもこのお寺を特徴づけている。
重要文化財もおおいとか。





何処かで見たことのある顔だ。
この像に良く似た知った人を思い出した。



一般に四国遍路始めたのは弘法大師と知られているが、
四国では衛門三郎が遍路の創始者だ。

こんな話が残っている。
強欲非道で、悪鬼長者と恐れられていた河野衛門三郎という豪族が居た。
或る日、衛門三郎の門前に立った托鉢僧に腹を立て、
竹ぼうきで僧の眉間に打つ。
僧が受止け止めた鉄鉢は、四方八方に飛び散った。
この僧が弘法大師であったのだ。
 三郎の八人の子がその翌日から次々と急死する。
八人の子どもをなくした衛門三郎は数々の行いを悔い改め、
大師に懺悔し謝罪しようと四国遍路の旅に出た。
 二十度回ったがどうしても大師に逢えない、衛門三郎は逆回りを試みた。
第十二番・焼山寺の辺りで行き倒れるが、やっと弘法大師に会うことが出来た。
 大師が小石に衛門三郎再生と書き彼の左の手に握らせると三郎は息絶えた。
後年、伊予の領主河野家の奥方が若君を生んだ。
若君は左の手に衛門三郎再生と書かれ小さな石が堅く握っっていた。
その石は道後の安養寺に収められ、以後、石手寺と改められた、
とさ。



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