第50番  繁多寺

 


ここも行基が開基、
この地で生まれ、時宗の開祖である一遍が修行したお寺として名高い。
一遍上人はこよなく空也上人を崇拝したと言う。



一遍はこの辺りを支配した河野水軍の一族の出、
10歳で出家し父の死により家を嗣ぐため還俗するが、
相続問題のトラブルを契機に再度出家する。
空也上人の唱えた踊り念仏を実践し全国を行脚した。



すっきりした境内、
爽やかな風が通り過ぎる。

 

 

 

  

「慧光」の文字に魅せられる。
知恵の光、くらいの意味だろうか、ゆったりと落ち着いた字だ。







私などは、お祈りするのに何秒とも掛けないが、
お参りする人を見ていると、実に長時間、手を合わせている人が多い。
私は今回も別に取り立ててお祈りすることも無いので、
以前と同じように
「よろしく」
とだけだ。
しかし、真摯にお祈りする人々を眺めている内に、
私も何かお祈りしなければと言う気持ちが昂じて来た。



この穏やかなお顔で記帳して頂くと、
一日の疲れがすっかり何処かへ飛んで行った。
「私は小僧の頃からこのお寺に居ます。 
当時は、このお寺の前は向こうの山までずっと田んぼだけでした」
ゆったりと語って呉れた。
確かに、お坊さんの言われた門前は新しい家が寺の軒下まで迫る感じだ。



 

第一日目の日程は全て終わる。
44番、45番の山歩き階段登りでどうなることかと懸念されたが、
ま、事も無く済んだ。


今日の宿は道後温泉の近くだ。
食事も早々に道後温泉の湯に浸かる。



此処は三度目の筈だが定かな記憶が無い。
何か、仕事で出張の際に慌しく寄ったような気がする。
当時、下右のようなバスは見掛けなかった。

 

有馬温泉、白浜温泉、道後温泉が日本三古湯と言われているが、
文献に残された年代の古さでは道後温泉は日本一らしい。
大国主命と少彦名命の道後温泉に纏わる伝説が、
伊予国風土記に記されているそうだ。

 


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