第三番 金泉寺




水不足に悩む住民の為に弘法大師が井戸を掘ると霊水が湧き出した。
この伝説に則って金泉寺と名付けられた。







長曽我部元親の兵火によって大師堂を除く大半の建物を焼失。

 

見よう見真似だった作法がだんだん身に付いてきた。
境内の彼方此方に傘立てみたいなものが置いてある。
お参りする時に邪魔になる杖を一時置く場所なのだ。
歩き出して「あっ!」と気がつくと杖を持ってない。
慌てて杖を取りに引き返す、こんな事が何遍もあった。
空海様には申し訳無い事だ。
自ら先達を任じる連れ達も何度か慌てて引き返す風景を見た。



最初仲々快音が聞かれなかった鰐口の鳴らし方にも慣れて来た。
鰐口を引く紐が寺毎に特徴がある。

この辺りには源平伝説が多くが残されている。
義経軍が阿波に上陸して陸路から屋島を攻めた道筋などが示されていて義経フアンには興味深い。
源氏軍が屋島に向かう途中ここに立ち寄った時、
弁慶が巨石を持ち上げ軍平を鼓舞したと伝えられる、その「弁慶石」が残る。



天を突く大石かと思ったがそうでもない。

続く
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熟年の一人旅(日本編)



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