第三十五番  清滝寺

 

弘法大師が金剛杖で地を突くと、
滝のような清水が湧き出た事に由来する。





 

見逃してきたかも判らないが、飛天の彫り物が珍しい。

 

 

上図右のような張り紙を見受けるようになった。
昔は、金剛杖を墓標、菅笠をお棺にと、
行き倒れ覚悟のお遍路が多かったらしいが、
情報機関の発達した現代でも遍路に出たままの行方不明者が居るらしい。
「詐欺にご用心」
の張り紙も有った。
善男善女を装う詐欺も横行しているらしい。

弘法大師も少なからず関係したと睨んでいる薬子の乱、
此処にも関係した犠牲者が居た。
遥かインドに夢を馳せた真如だ。
平城天皇の御子だった彼は薬子の乱に連座したとして、
皇太子の座を追われ大師の弟子になった。
彼は死を覚悟し出立の前に此処に墓を作った。
インドに向かう途中、ラオスで虎の餌食になったという。
本望だったのか、無念だったのか。
多分、インドまで行き着かなかったのでは。
それにしても、当時、インドまで夢を膨らますとは、
当時、インドまで足を延ばした仏僧は居たのだろうか、
私は仏教には全く無知だが旅好きとして興味が有る。



続く
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