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アキが、
「そんなに布買ってどうするの? 少しおかしいのと違う?  なんて言われちゃいますね」
と言うほど、いろいろ布を買い過ぎた。

銀行で、クレジットカードが現金化出来た、手数料が4%、結構馬鹿に出来ない額だ。
しかし、クレジットカードも現金化が可能なのは心強いのだ。
今回は、円と弗、それも現金とTC,そしてクレジットカード、これらを最も有利に使い分けてやろうと企んでいたのだが、
元々計算が弱い上に慣れないものだから、すっかり、こんがらがってしまって、何が何だかサッパリ判らなくなった。

モンロン(「孟子の孟に力」と龍)行きのバスに乗り込む。
丁度、日本の伊豆、房州と同じような田園風景が続く。
苗床から苗を取ってる姿格好も同じだ。
まだ2月というのに、田んぼが青々しい。



苗は日本のように横に真っ直ぐな列を作っていない、しかし、一本一本の間隔が大体同じように植わっているから、
手植えである事は間違い無い。

予定の二時間が20分も早くモンロンに着く。
カンカンと照り付ける太陽を浴びながら、街を一巡りする。
午前中は盛況であったであろう市場、それでも、色とりどりの民族衣装の人々が右往左往する。
衣裳はもちろんだが、背の高さ、体つき、肌の色、髪飾り、目の色、髪型、
一年も滞在しないと分類出来ないであろう多種多様さだ。





中国の何処でもそうなのだが、
女性の衣裳の華やかさには眼を見張るのだが、
男性が身に付けているものは如何にもダサい。
こんなにと思うほど不細工な格好の男が連れている女はピッカピカなのだ。

地図もガイドブックも忘れて来てしまって、何処に何が有るのか見当がつかない。
それでなくとも、この辺りには同じような地名が多い。
村を意味する「曼」が集まったものを「モン(孟に力)」と言うが、
今日のモン龍、昨日のモン海、モン混、一昨日のモン養、等々、このあたりには、
このモンと言う字が付く場所が30個所もモンモンと有るのだ。

バイタクのお兄さんに、
「この辺で一番景色の良いところへ行って」
と言うと、二つ返事で、
「OK」
が帰って来た、余程自信が有るらしい。
街道を暫く走り、左側の集落の中を横切って斜面を上り詰めたところで、車止め。
30分もだらだらした階段をのぼると、だんだんと辺りの景色が開けて来る。
車を降りた時に白人の二人連れに行き会った以外人影は無い、やっと頂上に着く、タイ式の寺院だ。



入れ口の小屋に中年の女が二人、若い娘が二人、一時間に一人か二人の客の為に四人も...
5元支払って境内に入る。
飾り餅を重ねたような白い塔が曼飛龍の塔というシーサンパンナの象徴とも言われる建築物だ。
中央に主塔が有って、その周囲に八つの小塔が取り巻いている。
紺碧の空に向かい聳え立つこの塔を見ていると、中国からタイにやって来た、そんな感じがするのだ。
この辺の一番大きな祭り、水掛祭りの中心がこの寺院だそうだ。
周囲を巡る塀は龍がうねっている姿になっている。







等身大の象の像が有る、辺りに人影が無いのを確かめ、象の背中によじ登ってセルフタイマーで写真に収まる。
もう、無数と言って良いほどの花々に無数と言ってよい蝶が乱れ飛ぶ、
黒、茶、黄色、そしてその組み合わせの模様、
雲南は蝶の宝庫と聞いたことが有るのが肯ける。

さっきの二人の若い女がタイ風に髪を結ってるのを見物する、どうも、 この為に二人はここへやって来たらしい。
何時の間にか、上着にズボン姿の二人がタイ女性独特のワンピースに着替えている。







後ろに唯束ねただけの髪も上の方で丸めて髪飾りを付ける、
人民服姿の田舎娘が見事なタイ美人に変身した。



長い階段を降りきり、部落の入れ口まで戻ると、こじんまりしたお寺が有る。
四方の戸口は開いたままだ。
中に入ると、中央に大きな黄金色の仏像があり、



太い朱塗りの柱には様々な金色の模様が描かれ、
天井からはいろんな物がぶら下がっている。
周囲の壁には、沢山の絵が描かれている、何かの物語風だ、その中に変なのがある。





素朴だが、春画ともとれる。
人間男女の快楽と成仏の関連らしいが、股間を焼け火箸のようなもので焼かれ、
もうもうと煙を出しているところなどは妙に生々しい。
これと同じような題材を別のところでも見たような気がする、
仏教の教えの中の知られた寓話なのかもしれない。



寺院を後にして、丁度やって来たミニバスに乗り込む、客は私一人だ。
ジーホンから来た街道を暫く戻ると、急に、街道から外れて脇道に入った、 旧道のようだ。
幾つかの部落を通り抜け、要所要所で客を拾う、私にとってはもってこいの思わぬバスツアーになった。
集落はどれもが高床式の寄棟屋根、広い川辺りの平野の集落だが、大きな家の集落ばかりではなく、



酷い粗末な小さな集落もある。
平野は裕福、山地は貧困、と言う予想は崩れた、そう単純なものでは無いようだ。
何時の間にかミニバスは満員、運チャンの笑顔がこぼれる。

岳陽を立つ前に、知り合いの学生、市場のおばさん、写真屋の娘達、床屋のお姐さん、等々に、
「シーサンパンナに旅行する」
と告げた時、皆、共通して如何にも羨ましそうな顔をしたのが印象にのこっている。
シーサンパンナは中国の楽園、 中国人ならば、みんな、一度は尋ねたいところなのだ。
だから、まず、旅行などに縁の無い彼等がシーサンパンナの名を知っており、
シーサンパンナとはこんなところ、あんなところ、と想像し夢に抱いているのだ。

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貴重な植物、特に珍奇な薬草、そして、鹿、虎、象、豹、孔雀、なども野生に棲息している。
そんな恵まれた自然と、10以上の少数民族が引き継いで来た古い風俗、習慣、文化、そして厚い信仰心、
そんな環境に慈しみ育まれて来た風土風情が、
人々をして、シーサンパンナに熱い視線を送らしむる所以なのであろう。
そう言う私も、ただシーサンパンナと聞いただけで、
奮い立つ旅心をどうしても抑えることが出来なかった一人なのである。


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今日でシーサンパンナともお別れだ。
夕方6時半に、旅行社が飛行場まで送ってくれるらしい、約一日、時間が有る。
シーサンパンナに来て、東のモンヤン、西のモンハイ、南のモンロンと廻ってきた。
今日は東南のメコン川沿いのモンハン(「孟子の孟に力」罕)を目指す。 
メコン河(下流はメコン河になるが、中国側は蘭滄河と呼ぶ)に沿ってミニバスは走る。
雨季には船便が有るのだが、乾季の今は運行していない。
シーサンパンナの平野が、丁度、徳利の首のように狭まった辺り、両側が崖になって、メコンが南に流れ込む。
その流れに沿ってバスが進むと、広い川瀬が、急に、ゴツゴツした岩肌をみせる急流に変わった。 
かと思うと、また暫くして、今度はゆったりとした流れになる。
こんな繰り返しをしているうちにバスはモンハン(別名ダーモンロン?)の街に辿り着いた。

バイタクの小父さんに、
「この辺に行きたい」
と地図を示すと、暫く、地図を縦にしたり横にしたりして地図を見ていて、
「OK」
が出た。

曼听仏寺大獨塔と言う名のお寺の境内は人でごった返している。
お祭りのようだ、オートバイ、バイクが並び溢れている。
小さな売店が沢山並んで、その中に、地べたに造った炭火で竹の棒を焼いている。
話に聞く竹筒飯だ。



話の種に一つ食べてみた。
仲々、コクが有って美味しい、ゆっくり食べていたら、たちまち餅のように固くなってしまった。
この竹筒飯の習慣は、
日本へ稲が伝わったのはの雲南からとの説の根拠の一つになっているとか。
この習慣は、ミャンマー、タイ、ベトナム、からインドシナ半島全域、フィリッピン、
台湾、日本にまで広域に渡って残っている。 
日本では、相模湖の辺りや富山辺りで、お祭りに出現するとの事だ。 
日本のあちこちに、もっともっと、残されているに違いない。 
そのその昔、豊富な竹が使い捨ての炊飯器だったのだ。

丸い人垣が二つ出来ていて、殺気立った男達が三重四重に囲んでいる、男ばかりだ、時々歓声が上がる。





腹から出ている声だ、人垣を分けて入ると、闘鶏だ。
丁度、片方の軍鶏が観客の中に逃げ込み、勝負があったところだ。
勝った軍鶏より更に勝ち誇った顔で軍鶏を両腕で高々と支え揚げるのは馬主ならぬ鶏主だ。  
辺りに100元札が飛び交う。 軍鶏に現を抜かす男の中国映画を観たことがあるが、
中国人の軍鶏への思い入れ様は尋常ではない。

出店が並んでいる、例の鶏血石が目に付いてしまった。
みんな小振りだが一つ550元だという。
今迄さんざん見て来て、これは紛れも無い本物だ。 
喉から手が出るほど欲しい代物、いろいろ粘って、大小5個程選ぶ、
「幾らなら買うか」
ときた、思い切って、
「500元」
「800元」
「....」
「700」
「....」
「600」
死ぬほど欲しい訳でもない、背を向けかけると、
「550」
なおも歩きかけると、
「ヨーシャッ」
で、買ってしまった、こうなると、本物かどうかも疑わしい、又荷物が増えてしまった。

日盛りの境内を一回りすると日射病にでもなりそうだ。
2軒かならんだ木陰の屋台に座り込む、道に面して机が有り、



その上に炭火の細長いコンロ、俎板、そして肉、魚、貝、野菜と材料が並んでいる。
その机の後ろが客席、地面スレスレの椅子にズドンと坐り、
例の焼き魚、これはコウギョ「(火偏に考)と魚」と言う、をつまみにビール、
このビールが生暖かい。
中国で冷えたビールを出す露店は先ず数少ない、私の経験では、三つ星ホテルで50%だ。
しかし、不思議なもので馴れて来ると、飲めないほどでも無くなるのが、浅ましいといえば浅ましい。

小一時間程しても、客は誰も来ない、隣の店に自転車の女の子がやって来た。
隣のおばさんの娘さんらしい、自分でいろいろ焼いて食べ出した。 
食べ終わると、そそくさと、また自転車で去っていった。
近所に勤め場所があって、昼飯を食べに来た、どうもそんなようだ。
隣のおばさんは居眠りを始めた。
こちらのおばさんが時々思い出したように振り返り、
「これを食うか?」
と何かと勧める、その中に、あの田螺の焼物もある。
一時間ほど居座って、
「幾ら?」
「3元」
10元置いて、釣りを寄越そうとする肩を抑える。

メコン河に沿って「渡し」の所まで歩く。
案内書によると、渡しの向こうにハニ族の部落が有るが、
外国人にはまだ開放されていないと書いてある。 



渡し舟、と言うよりヘリーボート、を見ていたら、乗ってみたくなった。
車とオートバイと人間、牛も乗り込む。
10分程で向こう岸、乾季のせいだろう川辺から50メートルもある土手を登ると、リンタクが並んでいる。
「外国人立ち入り禁止」の札でもあるのではと、キョロキョロ見廻すが札は立っていない。
そんなに古い案内書では無いのだが、それ以上に中国の変化が速いのだ。

もう一つ、変化の速さの例だが、持参した案内書には、
昆明から北の大理、麗江は夜行バスで12時間余り掛かると有ったので涙を飲んで諦めたのだが、
なんと大理、麗江は飛行機の航路が開けていたのだ。
そんな訳でシーサンパンナ滞在の予定日数を減らして、大理、麗江に立ち寄ることにしたのだ。

リンタクの若い運チャンが笑顔で寄って来た、
「何処まで行くの?」
「2、30分程、この近くを廻りたいのだけど」
「いいよ、いいとこあるよ」
「幾ら?」
「40元」
「20元」
「いいよ」
10分程で大きな寺院、運ちゃんが、
「ここの仏像はシーサンパンナで一番大きいんだ」
と自慢するだけあって、立派な仏像だ。
太い柱、壁一面の仏画、垂れ下がった飾り、
どれもこれもが昨日のお寺のものより一回り大きい。
田園風景の中、道とも畠とも区別が付かないような道を戻る。
バナナ、椰子が道に覆い被さり、西瓜があちこちに転がっている。





5時前にバスの駅に戻った、ジーホンまで45分見ればよい。
約束は6時半だから、5時に出れば充分とたかを括っていたら、仲々発車しない。 
客が埋まらないのだ、5時45分になって、やっと席が埋まり出発。

6時半にホテルに着くと、おばさんが、苛々して待っている。
飛行機は8時45分だから、充分時間はある筈だ。
「ビールが飲みたい」
と言うと、
「飛行場で飲め」
車に押し込められると相客が居る、相客を待たせてしまった様だ。 
ところが、
シーサンパンナの飛行場にはビールが売ってない、ビールの売ってない飛行場は始めてだ。

(完)

 


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