昆明記1

202
岳陽駅で連さんから切符を受取る、あれだけお願いしてあったのに軟座が取れてない。
「上海発の列車で、次の長沙が終点ですから、必ず座れます」
座れる座れないだけの話では無いのだが...
仕方ない、長沙までの2時間、また嫌な思いを覚悟する。 
思ったより人が少ないと見ていたら待合室を間違えた、危ないところだ。

改札が始まると、例によって人々が改札口に雪崩れ込む、駅員が怒鳴る、
「並びなさい、一列になって!」
「大丈夫、坐れるから!」
と言ってるようだ。
乗客達は周囲を窺いながら列を作る、
改札口から出発ホームまで一列縦隊が続く。
中国に来て始めた見る光景だ。
が、ホームが近づくと折角の列が崩れだす。
列車は上海発で次ぎが終点の長沙だから十分に席はあるのに、
我よ我よと乗車口に殺到する、蜂の巣を突つく様相を呈するのだ。

中に入ると、三人席を一人占めしたり、酷いのは横になったりしているのも居る。
棚も無秩序に並んだ荷物で一杯、余地を作ろうなんて気の効いた奴は居ない。 
上海からの長旅でやっといくばしか身体が延ばせる余地が出来たのだろう。

それでも、ようやく、端の方にチョコンと腰が下ろせた。
何時か武漢に行った時のことだ、車中で乗り合わせた長沙大学の学生達が、
長い間並んで獲得したであろう彼等の席を空けて、
半ば強引に我々を坐れせて呉れた事が有った、
このあたりの行動がいかにも中国人だ。

彼等は、所謂、「朋友」と言う間柄となると、お互いに、最大限の配慮を払う。
が、全くの他人となると、全く無視するし、一寸したことで直ぐ喧嘩が始まる。
この区別は想像を超える、 車の運転、道の歩き方、
汽車やバスの乗り方等の公共の場で特に顕著だ。
立ち振る舞いがまるで別人のようになる、
それだけ個人意識が強いし、一寸矛盾するが、仲間意識も強いのだ。

長沙から飛行場へはもう馴れたものだ。
二階の喫茶店で時間待ち。


長沙から昆明に近づくと地上に緑が多くなる。
揺れが酷い、隣の若者はゲーゲーやっている。

昆明の空はブルー、ぽっかりと白い雲も浮いている。
岳陽、長沙は雨模様だったので、ことさら明るい、暖かい、
まだ二月が始まったばかりとは信じられない。 
半袖姿もチラホラ見受ける。
緯度は南国だが海抜1900M、
冬の平均気温9度、夏の平均気温20度、
緑の絶えない街、春城と言われている。

結構な大都会だ、超近代的なビルと古い建物が雑居している。



岳陽の連さんの紹介で予約したホテルにチェックインすると、
連さんのお知り合いの邱さんがカウンターに駈け付けてきた。
同じホテル内に事務所があるらしい。
此処を拠点に一ヶ月程雲南を放浪だ。

早速、何時ものバスツァー、
昆明の北駅から南駅まで放物線を描くように終点まで行ってみる。
人々の顔付きは底抜けに明るい。
岳陽辺りでは余り見掛けない小麦色の肌で目鼻立ちのはっきりした人達が目立つ。
彼方此方で民族衣装を纏った人も歩いている、
小さな西洋風のレストランが並び、半袖の白人が屯している。
いやがおうでも旅に出てきた実感が込み上げて来る。


ホテル案内を捲っていると、散髪屋がある、洗髪でも、と覗いたら閉店、
帰りかけると、「足治療按摩」と言うのが眼に入った。
噂には聞いたことが有る、一応、三つ星のホテルだから生き死にはあるまい。
「一度経験してやれ」
と、思い切って入ってみた。

若い男に案内されて、椅子に坐らせられ、少し待つと女の子が入ってきた。 
17、8歳だろうか、大きな黒い目で、しなやかに微笑む、
やや褐色の光った肌を肩まで出している。
少々たじろいでいると、
何かの薬草の様なものが入った茶色の独特の匂いのするお湯を洗面器に注ぎ、
「足を入れなさい」
と言う。
10分ほど漬けてから、 両足の膝から下辺りを洗い出した。
胸はキッチリと締めている。
今度は片足を膝の上に乗せて揉み出した、
足の踝から下にもこんなに沢山のツボがあったとは..
心地よい痛さの場所が無数にある。
片足を15分ずつ、膝から下を10分くらいざーっとやって終わり。
値段を忘れたが、病み付きになりそうだ。


203
午前、床屋、60元、 岳陽の床屋に比べると劣る。
岳陽で一番気に入ったあの爪先での耳の按摩が無い。
近くの五つ星?のホテルの売店を冷やかす。
鶏血石(注:印刻用の石材、書を書く人がことの外好む)がモーニングサーヴィス?で1万円、
一寸気に入った壷(明時代?)の正札が4500元、
話していると3万円で良いという。
瞬間的に元、円の換算が出来ない。
「20日程、この辺りに居るので又来ます」

もう一軒、20歳台の女性が店の真ん中で書を書いている。
板橋(清時代の著名な書家)の臨書。
自分の書いた作品を売ってるのだそうだ、英語が話せる。
書き流し(注:表装のしてない書)で7、800元の値札。
極悪品で50元、普通のお土産品で100元とか200元だから、
まあまあの値段を付けている。
いろいろ話し込むと、呉れた名刺に、斯く斯くしかじかの肩書きが入っている。


昼寝して、雲南博物館へ行こうとしたら、バス代は0.5元なのに2元札しかない。
こんなのが気になる心理状態が面白い。
いろんなバスが来る、彼方此方への行き先を怒鳴って呼び込みをやっている。
そんな中に、
「雲南民族村、2元! 2元!」
と呼びかけているのに飛び乗る。
雲南の魅力は何と言っても少数民族、
その少数民族の概要を掴むのに雲南民族村がもってこいなのだ。
快適な並木道を2、30分も走る。
道の両側に、大きなホテルが幾つか建設中、昆明は観光都市、と踏み切ったのだろう。
市内に立ち並ぶ幾つもの豪華ホテルがそれを物語っている。
郊外に出ると直ぐ三方に山脈が走っている、
昆明は三方山に囲まれた海抜1900 mの高原都市なのだ。


民族村
広い広い、26の少数民族の小さなモデル集落が散らばって造られている。
ミニトレーンで10分か20分の終点まで行って、逆コースを辿る。






納西族、
白を基調にして赤と黒の模様の上下、エプロンは黄色、
直径5センチくらいの丸い飾りに縁取られた帽子?
鉢巻き?胸には襷がけ、
こんな民族衣装に身をかためたお嬢さん達が要所要所で案内している。




東巴文字に釘付けになる。
世界中でも極めて珍しい現存している象形文字だ。
今でも祭りなどで実際に使われていると言う。
書が趣味で文字、特に古代文字に強烈な興味を抱く私に、
「雲南省の奥地に、今でも象形文字を使っている少数民族がある」
と話してくれたSの目を輝きは忘れられない。
その東巴文字を目の当たりにして感慨ひとしおだ。



若い女性が東巴文字で封筒の大きさの紙にメッセージと名前を入れてくれる。



飾って有る東巴文字の掛け軸が欲しくなる。
お嬢さんに尋ねると、
「これは売物では有りません」
それでも、もの欲しそうな顔をしていると、
「チョット、マッテ!」
と言って、何処かに電話している。
「良いそうです」
「幾らですか?」
「600元」
一寸考えて、
「そちらの、書き流しのは?」
また、電話して、
「一枚100元で良いそうです」
これは、掘り出し物だ。
聯(注:2枚で一組のもの)だから2枚200元。
良いお土産が出来た、 彼女と写真に収まる。



二階に上がると一寸した広場が有って、
中央の舞台で5、6人の老人が琴、笛、銅鑼等を演奏し、
真ん中で民族衣装の少女が民謡を歌っている。



周囲の少し高まった客席で老若男女に交じりお茶を飲む。
日本民謡に何処か似通った哀調を帯びた調にしばらくうっとりと聞き入る。
帰ろうとしたら、何か言っている、お茶代10元の請求だった。


結局、3時に入って6時半まで、東巴文字に時間を取ったせいも有るが、
あと、白族、納西族、猫族の三つの部落しか見れない、
それも駆け足に近い、日本に良くある民俗村とは桁が違う。





それぞれの民族衣装、有らん限りの原色に近い色を、
複雑に散りばめた模様、刺繍、飾り、絢爛豪華さは表現を越える。

帰りがけの売店で美人画のロウケツ染めが眼に入る、
紅楼夢の12妃の描かれた巾一間程のものだ、220元、
「120元でいい」
を100元に値切る。
値切り方も板に付いてきたと我ながらほくそえむ、が、本当のところは判らない。

売店で水を買う、そこの女性、余りにエキゾチックな顔付なので、思わず、
カメラを向けると顔を真っ赤にして、引っ込んでしまった。
その昔狂ったカメラ狂の虫が時々狂い出るのだ。
門に向って歩き出す、結構な距離だ、後ろから来た空のミニカーを止めると、
「門まで20元」
全く、お金の価値がこんがらがって来る。
途中で、これもまたエキゾチックを絵に描いたような女の子が乗り込んで、
私の前に坐った。
肩をチョンと叩いて振り向いた瞬間シャッターを押すと、紅くなって照れている。
案内書などに、むやみに写真を撮ると、
写真代を請求されると書いてあるが、そんな様子は微塵に無い。
にっこりして、
「再見」
と言って、降りていった。

色鮮やかな民族衣装、まるで線を描いたように目鼻の整った顔が印象的だ.
いろんな衣裳の子に出会ったが、どれが何民族のものかとても見分けられない。
女の子に民族衣裳を着せて、真剣な面持ちで写真を撮る両親が微笑ましい。





丁度閉店時で沢山の女の子達が帰路に就いている、
皆、さっきまで民族衣装を纏っていた女の子達らしい。
普段着になると、もう、新宿や渋谷で見かける女の子とそう違わない。


204
雲南博物館
雲南と言えば、中国の外れの未開地、との印象を持っていたが、
紀元前に、既に銅文化が発達していた。
史記にも王国の記述があり、日本よりも古い文化の歴史が有る。
陳列物の殆どがその類の物だ。


円通寺
 昆明で一番古いお寺、広い境内の中心に池、裏山も境内の一部。 
蝋燭、線香をかかげ、一心に祈る人々、若人も多い。





円通寺を出て、少し路地に入ると昔のままの中国に出っくわす。 








昨日と同じスーパーで、昨日と同じ紹興酒、前の屋台で鶏の空揚げを買う。
「昨日の空揚げ、少し生だったよ」
と言うと、通じたみたいだ。 
威勢の良い娘さんがもう一度油の中に突っ込んでくれた。

ボーイが、昨日頼んだ洗濯物を持って来た。
昨夜、試しに上下の下着を依頼したのだが、両方で6元、高いのか安いのか? 
4元のお釣をボーイに上げたら恐縮して受取った。


ホテル窓から、夜空を眺める、
目の前の高層ビルの屋上にガラス張りの展望台が煌煌と輝いている。
、バーかレストランのようだ。 子供の頃から高いところが大好きだ。
ムズムズしてきて、外に出る。
見えたのは昨日覗いた大きなホテル の最上階、
20階か30階位はあるだろうか、
二人のボーイが扉を開く、エレヴェーターガールに、
「屋上に行きたい、お酒飲めますか?」
「ノー、屋上はレストランです」
どうも、お酒だけ飲むところでは無いらしい。
ともかく、上がってみる。
360度展望のきくレストランになっている、皆、食事の客らしい。
「お酒だけ飲みたいのだけど..」
「OK」
と、丁重に案内される。
「どんなお酒が有りますか?」
「....,ビール、ワイン、....」
良く判らないが、ビールとワインは有るらしい、ビールでは申し訳ないので、
「ワインを」
「白? 赤?」
当然、
「赤」
中瓶がデンとテーブルに坐った。

気が付くと、赤坂の**ホテルのように、屋上が動いている。
一周するのかと思ったら、10度位動いて、また元に戻っているような気がする。
地上の車が良く見える、中国の都会も結構明るい、
しかし、車のヘッドライトの方が目立ち気味だ。
ネオンサインも見えるが、
点いたり消えたりしているような煌びやかなものは幾つも無い。
もっとも、ここは中心街から少し外れていて、
見ているのも中心街とは反対の方向のせいもある。

TVも映っているし、時々電話の声も聞こえる。
最上級?のホテルにしては何かチグハグだ。
隣の席はドイツ人のようだ。
彼の声と、TVで放送している歴史物の主人公の声とトーンが全く同じで、
どっちがどっちか判らない。

何時の間にか、駅の向こうの高速道路の灯りがやけに目立っている。
机の上のペンがコロッと転がって傍の溝に入ってしまう。
「すいません、ペンが落ちて....」
ボーイに言ったら、すかさず、彼はポケットから他のペンを差し出してくれた。
要するに、話が通じたのだ。
中国に来て、6ヶ月経ってはいるのだが、授業以外は意外に中国語をしゃべってない。
買物などは、大体がアレ、コレで指差して通じてしまう。 
何時も兎の糞みたいに誰かの後をくっ付いて居て、
考えてみたら、中国に来て一人旅は今回が始めてなのだ。
だから、拙い中国語が通じると嬉しくて堪らないのである。

やはり、回転しているようだ、30分で45度くらい動いたみたいだ。
さて、そろそろ明日のシーサンパンナ行きに備えて立ち上がろう、
としたら、背後で楽器が奏でられはじめた。
二人の妙麗な女性、一人は弦楽器、もう一人は弦の打楽器?
辺りを見渡すと客は私だけになっている。
弦を弾く女性は、左足を右足の上に組んで、
その上にほぼ直角に竪琴のような楽器を指で奏でる。
左足の裾はお尻の半分迄切れている。
もう一人は、組んだ足の上に琴に似た20弦位の楽器を、此方は水平に置いて、
弦を叩いて奏でる、竪琴と横琴とでも言おうか。
次ぎは四人になった、曲の終ったところで、酔いに任せて、
厚かましくも、楽器の名前を尋ねた。
古筝、琵琶、楊琴、二胡と言うのだそうだ。
しなやかな指の動きに見惚れ、たった一人の為の、1時間もの演奏に恍惚となる。
空になったワインのせいもあるだろう。


ふらつく足で、これも昨日覗いた書の店に立ち寄る。
もう9時を過ぎているのに昨日の女性ともう一人が、
「やあ、いらっしゃい!」の感じで迎えてくれた。
昨日書いていた「板橋」の臨書が飾って有る。
暫く話し込んでいたら、私に向かい、
「何か記念に書いて下さい」
と、床に大きな紙を広げ、筆と墨が用意された。
一瞬、戸惑ったが、お酒の勢いは恐ろしい。
「よし!」
とばかりに、書き慣れている(筈の)、
「水天一色 風月無辺」
と調子良く書き出した。
ところが、お酒は恐ろしい、「無」という字を草書で書いたばかりに、
書順を間違えてしまった。
この間違いは書のレベルを如実に物語る、
書を嗜むものならその辺は言わずもがなだ。
日本で言えば、さしずめ、「友達を一人無くした」と言うところだ。

照れ隠しも有ったのだが、掛けて有る「板橋」、
「これ譲って欲しいのですが」
昨日彼女が書いている現場をこの眼で見ている書だ。
何処かに未熟さを残すが、瑞々しい、いかにも、新進気鋭の書風、
「これは売れません」
「昨日ご自分で書いた物を売ると言っていたではないですか」
暫く、押し問答が続く。
何処かの展覧会にでも出品するつもりの作品なのか?
何処かに電話している、前にもこんな情景にぶつかったことが有る。
やがて、いみじくも言った、
「ダディーが良いと言いました」
親父さんをこう呼んでるらしい。
「それで、幾らで譲って戴けるんですか?」
もう一人の女性、マネージャーみたいな彼女と盛んに検討しているようだ、
「では500元でお譲りします」
「私、今300元しか現金ないんです」
また、ダディーに電話だ。
傍らの女性が、彼女の経歴、実績らしきものを、とうとうと話す。
「この方は**会に所属し、**賞も貰っている偉い書家なんですよ」
といってるようだ、そんなのを無視する振りして、なんとかんとか頑張って、300元で戴く。
(注:この書はその後表装して、時たま、家の床の間に飾っている)

さあ、明日は幻のシーサンパンナだ。


205
昨夜は一寸過ごしたようだ、顔を洗って、ご飯炊いて、風呂に入って、オムスビ作って、
シーサンパンナへ持って行く荷物と、ここに預ける荷物を分けて、
気が付いたら、11時半、急いでチェックアウト。
写真屋で昨日の写真を受取る。
何と一本は真っ白だ、うまくフィルムがセットされていなかったらしい。
昨日の民俗村の写真の幾つかがパーだと思うと、口惜しいの何の・・・


翠湖公園
少し時間が余ったのでユリカモメが集まって来ると聞く翠湖公園を覗く。








(この間、 西双版納(シーサンパンナに滞在)


211
乗ればあっけなく昆明だ、予約してあるホテルへ直行すると、
「予約は入ってません」だと、
丘さんの名刺を見せて事無きを得たが、まったくもう....

冷たいビールを買いに表へ、 
ホテルの冷蔵庫にあるのは350cc缶入りビール、
これが20元、外の万屋みたいな店で買うと780cc瓶ビールが2.5元。 
一寸くどいが、
黙って「ビールを呉れ」と言うと、必ず生温い常温ビールだ。
「冷たいビール、冷たいビール」
と何軒か歩いてやっと見つけた冷たいビール二本を大事に抱えて宿の戻り、
一気一気だ。

兎も角、昆明まで帰って来た。


212
朝、丘さんの旅行社で大理への航空券の手配、
英語の通訳が来るまで、まったくチンカンプンだったが、
「急ぐのであれば、自分で買った方が良い、外国人だから優遇される」
と言うことで中国民航へ。 
さすがに今日の今日のは無理だったが、明後日の大理行き航空券が買えた。
ここもクレジットカードが使える。

さて、ホテルに戻ってもう一寝入りするか、
いや、一寸コーヒーでもと思い直して歩き出す。
結構人通りが激しい、右に行こうか左に行こうか、
どっちに行ったらそんな店があるだろう。
丁度信号が青になり人混みを掻き分けて反対側に渡る。
暫く歩くと、向こうから一寸澄ました美人の白人がやってくる、
Janeに似ている。
彼女は上海からイギリスに帰ると言っていたがどうしただろう?
そんなことを思っているうちに、カットバックのように、
その女性が拡大される、ますます、Janeに似ている。
おやと、思った瞬間、二人は大声を上げた、
なんとJaneそのものだ、雑踏の中で二人は抱擁だ。
(注:Janeは英国人、25歳、英語教師、同じ宿舎で一年間生活を共にした仲)
こんな事が起きるのだ。
昆明は、まあまあの大都会、その昆明の大通りでの出来事なのだ。
彼女は二年間の英語教師の勤めを終えて、上海で友人に会い、
昆明からタイ経由でイギリスに帰る途中だった。

「朝飯食べた?」
「いや−」
「良いところ知ってるわ」
歩きながら、仲間たちの情報交換だ。
「Johnはどうしたかしら?」
「アキとはシーサンパンナで一緒だったヨ」
云々...

「ここよ」
とJaneが指差すそこに、
なんと、JohnとWが唖然と口を開けている。
(JohnもWも同じ学校の仲間)
直ぐに、四人の唸り声が沸き上がる。
店の客は勿論、何事?と立ち止まった通行人の視線も集まる。 
一日のうちに、ほんの10分位の間に、こんな偶然が二度も有るのだから..
人間を長い間やってるといろいろ面白いことがあるものだ。



興奮した四人がそれぞれの状況を話し合う、情報交換だ。
JohnとJaneが早口で話し出すと、全然判らない。
時折Wが通訳してくれる。
Johnとたっぷり生ビールを飲む、何時までも話は尽きない。
これからタイに向かうJaneが、
「それじゃー」
と言って立ち上がった、彼女とは多分今生の別れだろう。
「幸せな人生を祈る」
と言ったつもりだが通じたかどうか。
やがて、
今夜の汽車で岳陽に戻るJohnとWも大きなリックを背負って駅に向った。
やりきれない寂寥感に襲われる。


213
昆明で一日空いたので、話に良く聞く石林に行ってみようと思い立つ。
通りに出て、石林行きの小奇麗なミニバスを選んで拾う。
街中をぐるぐる廻っていて仲々出発しない。
仲々客が集まらないからだ。
小一時間して乗り換えさせられた。
何台かのバスで集めた客を一個所に終結する算段だ。
実際に石林に向かうバスはガラクタこの上ない。
しかし値段は格安の20元、 2時間の道程だ。

2億8千年前の海底が隆起して出来た大小の岩の柱が乱立する石林、



隅々迄見ると一週間は掛かるといわれる広大なエリアに、
遊歩道が網の眼のように造られている。
ボヤっと歩いていると迷路に嵌り込む。
サニ族の衣裳で着飾ったガイド嬢が並んで御喋りをしている、今日は平日でお暇なようだ。
風雨による侵食や地震で出来た鋭い石山は高さ50メートルにも達し、仲々の見応えだ。





近くには鍾乳洞有り、滝有り、湖も有り、温泉も有る。











あちこちでサニ族の小母さん達の攻勢に遭う、刺繍が主だ。
働き者で、商売熱心なサニ族の小母さん達の攻撃は並大抵な物ではない。
大きな刺繍のテーブルクロス、「180元」が「80元」になってしまった。
小母さん達を振り切って、バス乗り場に辿り着くと、いきなり、
「ノブさん!」
と私を呼ぶ声が掛かった、なんとアキだ。
もうとっくに岳陽に戻っている筈なのに....
昨日といい、今日といい、もう偶然なんて言葉はない、
必然だ、神様は何もかもお見通しなのだ。

バスに乗り込んでもサニ族の小母さん達の攻撃が続く。
バスの窓から、二人におばさんの口泡を飛ばしての売り込み合戦になった。
15元の刺繍入りの財布が10元になり5元になった。
それでも首を横に振ると、四つで15元、最後は10個で30元になった。

あれからアキはベトナムとの境の町まで行って来たとか、
昨日のJane,Joneとの出会いの話には流石の彼も吃驚だ。
そんな話をしてのバスは速い、瞬く間に昆明だ。

一旦別れたアキと7時に落ち合い、例のホテルの骨董品屋へ、
それにしてもここの女性の日本語は上手だ。
吉林省の大学で二年間日本語を勉強したそうだが発音も正確、文法もおかしくない。
それは兎も角、この間の小壷には2800元の札が掛かっている。
今日は、
同じような壷をシーサンパンナで80元で買った時に一緒だった生き証人のアキが一緒だ。
良く見ると、大きさ、形は少し違うようだ、が彩色、デザインは全く同じ系統、女が言う、
「この間、私は貴方に2000元で売りますと言ったけど、幾らで欲しいのですか?」
よく憶えているものだ、しかし、それとこれとは別問題だ。
でも、まさか、シーサンパンナで同じようなのを80元で買ったとは言えない。
「パンナで同じような壷を買いました」
「幾らだったですか? 持って来て見せて下さい」
そう言われると無残に自信が崩れ去る。
「まだ、一週間ほどこの辺に居ますから..」
と、一旦引き下がる。


昨日John、Jane、Wと出っくわした店でアキと生ビールを飲んだ帰りがけ、
ついつい、骨董品屋に足が向く。  
雲南記念に大ぶりの鶏血石を一つ奢ろうと思いついたのだ。
日本円で良いからと言われ、結局、1万円を5千円に負けさせて、
良い気分でホテルに戻る。
(後で専門の篆刻師に彫って貰ったら、案の丈、贋物、それにしても精巧な贋物ですと、
篆刻師が天眼鏡を手に、しばらく、縦にして横にして眺めていた。
日本製ならば手間賃だけでも安過ぎるようだ、実物なら2万円からとか?)

明日、アキは岳陽に帰り、後期授業の準備だ。
小生はあと4、5日、休みのギリギリまで粘りに粘って、
大理、麗江を垣間見てから上課(中国語で授業を受ける意)だ。

(完)


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