台北記7
故宮
4階の喫茶室で中国茶を飲みながら、復元された三希堂をしげしげと見つめる。
乾隆帝がこよなく愛した神技の書[三希帖]のうちの一つ、
王羲之の[快雪時晴帖]は、
博儀が、紫禁城を追われる時に持ちだそうとした荷物の中に隠されていて回収された。
他の二つ、王献士の[中秋帖]、王じゅんの[伯遠帖]は暫く行方不明になっていたが、
香港の収集家から、共産党政府に買い戻され、現在、北京の故宮にある。
三希が離れ離れになってしまっている。

清朝崩壊時のあと、対日戦争時に、再び秘宝に危機が訪れる。
紫禁城を避難した秘宝は、転々と何個所か疎開場所を変えて、結局、
二度と、紫禁城には戻らなかったのだが、何回かの危機を乗り越え、
一点の紛失も損傷もなく台北に落ち着いたのは、奇跡としか言いようが無い。
また、もし,文化大革命に遭遇していたら...
蒋介石の大英断とも言われているが...

早速、その[快雪時晴帖]を眺めに行く。
たったの30文字の旧い手紙の何処にそれだけの価値が有るのか、
鑑識眼の乏しさに悲しみが込み上げて来る。



もっとも、典雅とか、優雅とか、不粋な私には波長が合わない面も有る、
としておこう。
縦から見ても、横から見ても、私の字よりも一寸うまいな..くらいしか判らない。
ピカソも猫にとっては布切れだろう、
もし、何の予備知識も無くて、芭蕉の句を見せられたらどうするだろう。
価値を決めるのは多数決でもないだろうし。
全ての芸術に共通する事だろうが.....
何時の時代にも、評論家さんの存在価値がこのあたりにあるのかな。
右脳、左脳を駆使して、価値を見極めるのだろう。
創ることの才能と、見抜く事の才能も、99歩と100歩の差位はあるだろうし。

Bさんの仰せの様に、[快雪時晴帖]の前で、何組かの団体をやり過ごす。
しかし、どのガイドも、これが有名な[快雪時晴帖]です、王羲之を知ってますか、
中国の昔の有名な書家です....ぐらいで終ってしまう。
例のガイドさんなら、何か面白い話を聞かせてくれたかもしれない。

書を趣味の一つとしている者として、見逃せないのが、毛公鼎がある。
周の後期、BC800年頃のものだが、鼎の内側に500の文字、
現存する古代の青銅器では最も長い銘文が刻まれている。



2800年も前に書かれた文字が、今、我々の眼前に有る。
4000ー5000年前には文字らしきものがあったということだから、
気が遠くなる。
文字の無かった日本の文化が伝承されるのは、
毛公鼎が作られてから1000年余り後の事になる。
我々はこれらの文字を、歴史の重みを感じながら臨書するのだが、
出来栄えは兎も角、しばし、人間を取り戻すのだ。

結局、後の一時間、毛公鼎以外、ただただ、見てまわった、で終ってしまった。


途中、忠烈祠で衛兵の交代を見物して、今夜の宿は、円山大飯店だ。
流石に、世界の五本の指に入るホテルの豪華さに、一同、声が出ない。
T.Hさんや、Tさんのご説明があったように、
宋美齢がオーナーのようだが、ホテルの中には、
期待していた宋美齢の写真とかも無く、宋美齢の匂いもしない。
真っ赤な、太い太い、丸い柱が整然と並んでいるロビーのフッカフッカの絨毯の上を
さも落ち着いた風をして歩いていると、まるで、皇帝にでもなった気分だ。



高い高い、天井から垂れて下がっている中国風のシャンデリア、
広い広い壁に掛かっている書画、
あちこちの何気なく置かれている調度品も装飾品も、豪華この上ない。



私どもの部屋は、多分、円山大飯店の中でも安価な方だろう。

 

それでも、風呂場の中に総ガラスのシャワー室だ。
若い女の子なら、しばらく息を呑んで、そして、歓声が止まらないに違いない。



つづく


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