台湾記2


 


台中の街の彼方此方に、日本風の古い家屋が出現する。
何のことはない、屋根瓦が日本の瓦だからすぐ判る。
其の中の一軒が骨董屋だったが、建物そのものが見るからに骨董品だ。
ガイドの説明を聞いて、一同、心なしか意気消沈してくる。

これらの日本建屋は当然ながら戦時中まで日本人が住んでいた。
日本敗戦時に全てが国民政府に没収され、蒋介石に付いてきた輩
(ガイドさんは本省人、従来から台湾に住み着いている中国人を本省人と言う、
新しく大陸から来た中国人を外省人と言う、
本省人と外省人とはいまだしっくりしてないらしい)
に提供され、本省人は入る事が出来なくて、多くの本省人が路頭に迷った。
なにしろ、蒋介石と共に200万人がやって来たのだから。
混乱は日本だけでは無かったのだ。
日本人が引き上げた後、或る洪水の時に、
日本人のお墓から沢山の人骨が地面に流れ出して、
あたりをさ迷い、これを憐れんだ台湾の篤志家がお墓を整備した。
これがこれから行く宝覚寺だ。一同神妙に手を合わせる。
本堂を挟んで、日本人墓地の反対側に、巨大なエビス像、30mはある。
エビス大仏を睨んでいると、いつしか笑顔が蘇ってくる。

宝覚寺に寄り道したので、日月潭に着いた時は、もう、空も湖も闇に包まれている。
風光明媚を誇る日月潭、
特に素晴らしいと言われている夕闇の迫る日月潭を見損なってしまった。
それでも、ベランダに出て、湖面に漂う薄明かりをボンヤリ眺めていると
ジワジワと旅情がつのってくる。
翌早朝、多少紹興酒が残った脳味噌を奮い起こして、ベッドからにじり出る。
まだ明けきらない有明の光の中に、絹の衣のような霧の帯が幾重にも湖面にたなびき、
ところどころ衣がほどけて湖面が見え隠れしている。





涵碧楼、このホテルは、以前、政府の賓客の宿泊施設だったのが一般に開放された。
五階が入り口で、断崖を背に一階まで全ての部屋が日月潭の絶景に面している。
ホテルの造りは、頑丈だが、豪華ではなく、むしろ、質素といえるだろう。
広々とした部屋は質実剛健、大きな家具がデンと置いてある。
従業員も、どちらかといえば、愛想が無い。 国営のせいか。
宿泊費はNT$1320からあるそうで、思ったよりやすい。

奇麗に磨き上げられた、いかにも台湾風の文武廟、







玄奨寺を見物して帰路に就く。

つづく





 

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