台北記14
歴史博物館

台湾最後の夜食はラーメン、
店の名は十五番? だか、三十番? だか、
日本の出店であろうが、味は若干台湾風、まあまあだ。
何時の間にか、ラーメンが一番の好物になってしまっている。
ラーメンなら、一日一回なら365日食べる事が出来るだろう。
悲しいことだ。
食の楽しみに耽れないと、旅の醍醐味は半減する。
胃は取っても元の戻るという、俗説があるが、どうなんだろう?
私の場合は、もう十年も経つのに、いまだに半人前しか食べられない。
もっとも、食の種類で量も変わるのだが。
元々好きだった肉は、猫の食べる量も食べると、七転八倒してしまう。
不思議とラーメン、蕎麦は一人前たべても大丈夫、ただ、具は食べられない。
だから、ラーメンは麺だけ、蕎麦はもっぱら盛蕎麦、と決めている。
普段は、めじまぐろの刺身、あじの干物、納豆と白米が常食。
さて、これから世界中を歩こうとしているのだが、
寿司屋とラーメン屋のある処は限られてしまう。
酒も、日本酒か紹興酒、それも熱燗が好物では、先が真っ暗だ。

夜中に、また、例の電話だ。
明日は、午後2時20分の飛行機だから、午前中は使える。
歴史博物館とYさんご紹介の本屋街を覗くとしよう、それまでかな。


昨夜、紹興酒を控えたせいか、すこぶる快調、
荷造りを済ませて、バスに乗る。
当然、一番前の右の席。
もう、手慣れたものだ、今度、誰かをバスで台北案内しよう、
ぐらいの気になってしまう。
今日のバスの運チャン、今迄と違って随分若い、22歳位か。
若いオネエチャンが乗るたびに大変だ。 勿論、下りる時もだが。
仲々の男前で、意味は分からないが、気風の良い話し振りで話し掛けている。
運転席の前に、幾つか仏像がぶら下がっている。
天井には仏像の絵が貼ってある。
今迄、何回かバスに乗ったが、どのバスも微妙にニュアンスが違う。
はたと、気が付いた、BGMが違う。
多分、台北のバスのBGMは、運ちゃんの自由裁量に任されているのだろう。
今日のBGMはユーミン風だ。
昨日までは、ひばり風、裕次郎風、そして、北島三郎風、聖子風、
バスに乗る度に、台北で流行っている唄が聞けるしくみだ。
それぞれの好みがあって、面白い。

赤信号、突然、5、6年生位の男の子が二人、駆け足で歩道を横切る。
歩道を渡り切ると、振り返って、手を引っ張ると、道を挟んで、歩道一杯に、
三角の黄色い布を垂らした紐が車道をシャットアウトする。
ちいちゃな小学生が、ゾロゾロその紐に添って歩道を渡る。
みんな渡りきると一番最後から、反対側の高学年生が紐の後端を持って歩道を駆け渡る。 
で、信号が青になる。

案内書通りのバス停で降りる。
バス待ちの若奥さんに道を尋ねると、親切に、英語で教えてくれた。
歴史博物館の受け付けで、切符を買おうとしたら、
開館は10時、1時間も待たねばならない。
歴史博物館、日本の中都市の美術館くらいの規模だろうか、
前面に、中国の公共の建物にしては小さな庭が有り、立派な石を
配置した池が有る。そのほとりのベンチでぼんやりする時間が持てた。

まず目を見張るのは、階上から見る博物館の裏側に
広がる池一杯の蓮の庭園の見事さだ。

 





表からでは気が付かなかったが、隣接する植物園の一部のようだ。
この博物館では、特展と称して、博物館所有品を順次、
的を絞って集中的に展示している。
唐三彩は素人目にも故宮よりも絶品が揃っている。
それと、青銅器、青銅器そのものの詳細、部分部分の呼称、
更に、
時代別に商、周、戦国、春秋、漢、それぞれの
特徴を詳細に展示、説明している。
青銅器に興味のある者にとっては堪らないであろう。

その他、多分、近代の台湾での著名な作家の作品だろうが、
近代感覚の水墨画展、水墨で書いたモンドリアンってところか、
それと、明の時代の扇展、貴族の奥方やお嬢さんが愛用したのであろう、
流麗な書と絵の入った艶やかな扇、これらが同時開催だ。
写真をとっている人につられて、私も、シャッターを押したら、
その写真を撮っていた人に注意されてしまった。
ここの館員らしい。


帰りがけに、バス停を一つ先に下りて、本屋街を少し歩く。
一軒の店に入って、初心者向けの書道の教科書を買う。
日本では考えられないような、値段の安さと、内容の充実さだ。

かくして、たった二日ではあったが、バスと安宿の一人旅は終った。
何回も触れたが、事前にどれだけ予備知識を詰め込むかが、旅の質を決める。
一方で、生半可な予備知識は、先入観となって、
未知への遭遇の感激を半減させてしまう。
予備知識の内容が問題なのであろう。

メロウフォーラムに入会して、まだ右も左も判らない時、
思い切って発言した
「台北のこと教えて下さい」
に予想以上の数の情報が寄せられ、今回の旅に深みと幅を加えた事は、
パソコン通信という新しいメデイアの画期的な恩恵の賜物だ。
85歳で亡くなった父が、毎年毎年、世界中に出掛けて行って、
残した行李一杯の写真とノートは実家の片隅に、
誰にも省みられることなくガラクタに化している。
それにひきかえ、こうして、私は、
拙稚極まりない独断と偏見に満ち満ちた紀行文をHPに公開できる。
有り難い世の中になったものだ。




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