続 麗江記9

一年前もそうだったが、此処、ママフーレストランでぼんやりしてると、
出入れする客の中に日本人の姿もある。
未だあどけない顔をした学生風の女の子が、
ポツンと坐って、じっと川面を見つめて、旅の感傷に耽っていたり、



或る時は、
30前後の男が嫌に馴れ馴れしく話し掛けて来て癖々させられたりした事があるが、
往々にして、一人が多い。

日本人の団体客も時々見受ける。
何時だったか、如何にも日本、のツアーの先頭で旗を持った女性が、私に手を振る。
良く見たら、あの楊さんだったりした事も有った。



今回は、さっき、スケッチブックを片手にした日本人団体が、ゴロっと来たと思うと、
三三五五散らばって写生を始めた。
Yさん達と同じような写生ツアーなのだろう。
一寸覗くと、様になっている、皆、仲々の腕前の様だ。

夕方、午前中に注文した東巴文字の篆刻を取りに行く。
私が、一番始めに雲南に興味を持ったのはこの東巴文字のせいだ。
東巴文字は、所謂、象形文字で、未だに実用、と言っても冠婚葬祭の時だけらしいが、
日常に用いられている世界でも非常に珍しい例だ。

例えば、人は大の字の上に丸、両手と両足と頭を現す。
その頭の上の帽子の形で、ナシ族、チベット族、ペー族などの種族を現す。
又、頭の上の髪の形で、男女、父母、祖父母、等が分かれる。
この人を左辺にして、右辺に書かれたもので、
その人の置かれている状態、寡婦、読書人、敵、味方、奴隷、客人、
更には、石匠、木匠、鉄匠、先生、等の職業を現す。
言ってみれば漢字と同じ理屈だ。 
手足を曲げたり伸ばしたりして、坐る、跳ぶ、踊る、拾う、等、
顔に口を付けて、口の様子で、笑ったり、歌ったり、絶叫したり、食べたり、
体全体を変形させて、躓いたり、転んだり、眠ったりする。

ある種の動物は、基本的に頭部が有り、角、髭、耳の形で、牛、羊、猪など、
鳥は、大体がそのままの姿だ。



田んぼの田の字を丸くしたのが太陽、その太陽の周辺に附いたもので、
今日、昨日、明日、明後日、早朝等。
ウ冠をだらりとしたようなのが天、天の中のもので四季を分ける。
この東巴文字に興味を持って、もう10年も麗江に住み着いている日本の青年が居るそうだ。

その足で今日二回目のママフー、8時半に、邵と春麗と落ち合う事になっている。
二人は未だ来ていない、今日のママフーは客が少ない、ママさんが隣に腰を下ろす、
「去年のあの時は賑やかだったね」
と言ってるようだ。

去年、麗江を引き上げる前夜、此所でささやかな宴を開いた。
日本から私の様子を見に来た私の娘と娘の友達の瑞枝ちゃん、
岳陽から私を迎えに来た陳先生も加わり、総勢15、6人の宴会だった。
此方の女性は殆どアルコールを飲まない。
瑞枝ちゃんは酒豪だ、
こちらの酒豪の高と腕を組んでジョッキを空にする度に拍手喝采、

 

 

「日本の女性は、みんな、あんなに、お酒飲むのか?」
日本女性といえば、しゃなりしゃなり、
と歩き、全て控えめとの印象を持っていた彼等は目を丸くする。
日本女性を見直したようだ。 
日本での、何年か前、銀座のビヤホールあたりに勇敢な女性達が出現し始め、
大ジョッキをあおり周囲の男性の視線を集めた、あの雰囲気だ。

その4、5日前、邵、和、曹、鄭、春麗と「火鍋」を食べに行った事が有る。
日本の大衆居酒屋に似た店で、大きなテーブルの真ん中のコンロにかけられた大鍋に、
キャベツ、芹、えんどう豆、竹の子、豆腐、油揚げ、昆布、春菊、魚、肉類、モツ、ソーセージ、
緬等をぶち込み、ブツブツと煮上げる、ジンギスカン鍋の様なものか。



その席で始ったのが、「女偏に刑の右側」拳と呼ばれる遊び、
日本の「アッチムイテホイッ」と似ている。

掛け声を掛けながら、鳥、虫、棒、虎の順に両手を鳥、虫、棒、虎の形にして、
間違えた方がお酒を飲まなければならない。
いつも飲まない彼女たちも、この時ばかりは、興奮してかアルコールで顔を赤く染める。
彼等の真剣な顔付きを眺めているだけで面白い。

私が、
「日本でも同じようなものがある」
と、
「アッチ向いてホイッ、コッチ向いてホイッ」
と、教えてあげる。
若い彼等は直ぐに憶える、彼等のは、
「アッツーミィエテフィー、コッツーミィエテフィー」
に聞こえる。

ママフーでも、その「(女偏にリッシンベン)拳」と「アッチムイテホイッ」が始った。
賑やかな春麗にまして賑やかな瑞枝ちゃんが入るから、大騒ぎだ。

私が、下手な謝辞を述べる、その中で、
「来年は濾沽湖に絶対来る」
と言った事からアチュウの話になる、
「お前も、アチュウに成りたいのか?」
「そうだ」
と答えると、ヤイノヤイノ始る。

(注:前述したが、アチュウとは、
濾沽湖湖畔に住む母系氏族のモーソ人に残っている古い婚姻風習で、
彼等は生涯結婚しない、男性も女性も、生涯を生家で過ごす。
13歳を過ぎると、女性には、一部屋が与えられ、夜だけ男性が通って来る。
その関係が成立した男女をアチュウと呼ぶ。
お互いに、経済的繋がりは全く無い、責任も無い。)

「一人の男女が、何人ぐらいの異性とアチュウ関係に成るのか?」
話が変な方向に向く、モーソ人を母親に持つ曹に視線が集まるが、曹は口を濁す。
楊芳が、
「生涯、1対1の関係の人もあれば、数人の人もあると聞いています」
と口を入れると、普段、この様な席ではニコニコしているだけの彭さん、
酒の勢いも有ったのだろう、
「俺の友達で、4、50人のアチュウ経験の有る男が居るよ、
女性でも100人位の経験が有る人が居ると聞いた事が有る」
場に溜息が漏れる。
曹は否定も肯定もしない。
謎めいた話だ。

(後日談:黒白をつけたくて、帰国してから図書館で調べた。
或る人類学者の調査した1960年代の古い資料だが、
濾沽湖湖畔の地域で、成人男女1749人の内、
アチュウ婚生活を実行しているのは1285人、
或る村でアチュウ婚生活を送る女性は21人、
その内、男アチュウを2人から4人持つのは11人、
5人から9人持つのは5人、10人以上は5人、と有った。
また、アチュウ生活を送る男性は18人で、女アチュウを1人から4人持つのは13人、
5人から9人持つのは3人、10人以上は2人、という記録が有った。
青年期にはアチュウを多く持ち、次第に安定して行くのが普通とも有った。
なんとしても、おおらかな事だ。

しかし、これまでは無いとしても、
文明国を称する日本でも、実態はこれに近いのかも?
日本でも、江戸時代の末期までこの様な風習が有った地域が有るとも聞く。
余計な話だが、よそ者がアチュウに成るのは、
事前に村人全員?の了解を得る事が必須だそうだ、
さもないと、袋叩きに遭うとか...

そんなこんなを想い出していると、春麗が現れた。
彼女は英語が話せない、勿論、日本語も、
それに増して何時ものように早口、専ら筆談になる。
「将来はどんな希望を持ってるの?」
すかさず、
「ガイドで通します」
と返って来た。
せせらぎに沿った気の利いたレストランで、
広末涼子紛いの女の子とビールをチビリチビリやるのも、仲々に良いもんだ。 
もっとも、若さ溢れる広末涼子紛いの方は、一刻として体の動きを止めない。

やがて、邵が楊静を伴ってやって来た。
この二人は、この12月に結婚するのだそうだ、
邵が酒や煙草を飲むと、楊静がセーブする。
良い奥さんに成りそうだ、結婚祝いを何か送らねば..と思う。
春麗は、
「見ちゃあいられない」
と言った風にソッポを向く。

結局、11時頃まで飲んで、四方街を帰る、
途中で東巴模様のTシャツが目に付く。
35元2枚を60元に負けろと交渉しても、頑として負けない。
買う方も、売る方も、たったの10元に拘る、どっちもどっちだが、おかしな10元だ。
又少し歩くと、骨董屋で、甲骨文の彫った亀の甲、
如何にも本物らしく古びている、2600元の値札、
「1000元でどうか?」
と切り出すと、
「マネージャーに聞いてみます」
と電話を掛け出した。
邵が、
「止めとけ、止めとけ」
と袖を引っ張る。

邵と楊静、二人の幸せを祈って最後に握手、
春麗がホテルまで送ってくれる、
「この間の可は男朋友では無いよ」
と頻りに断る。
15、6才から見習してガイドになって、
若いうちから、いろんな人間と付き合い観察して来ているから、
男を見る目は出来て居る筈、あと、2、3年したら、どんな「女」に成るか楽しみだ。

つづく

 


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