麗江記4

夢うつつに耳元で誰かが囁く、優しい日本語だ、
「ダイジョーブですか?」

妙齢の女性が私を覗き込んでいる、狐につままれていると、
「楊芳と申します、私が貴方のお世話をします」
地獄に仏とはこんな時のことだろうか、 屈強な男も二人傍でニコニコしている。



二人の男に連れられて、診察室へ、通訳の彼女も一緒だ。
一寸、頼り無さそうな先生、30前後の学生風、レントゲン写真を見ながら、
「何でもないよ、異常はありません」
体一つ触れようとしない、それなのにこの痛さだ、
折角、生き残ったのに、病院で殺されるかも判らない。

昼間の女子学生達が、心配そうに、お別れに来た。
幸い彼女たちはかすり傷、明日の切符を買ってしまって有るので、
真っ直ぐ日本に帰るのだそうだ。 
私を置いて帰る事を頻りに詫びていたが、
楊さんを見て彼女たちも安心したようだ。
お礼の言い様も無いほどお世話になってしまった。
この身体では食事どころではない。

夕方、旅行社の社長が来た、昼間手際良く手配していたあの男だ。
兎に角、学校に電話を入れてもらう、陳先生と、やっと話が出来た。
「明日か明後日、そちらに行きます」
なにしろ、私は日本からの正式な留学生なのだから、
陳先生の心配は並み大抵ではない。
社長が頻りに陳先生に恐縮している。

丁度、其処へ、食事が運ばれて来た、さっき、楊さんが、
「夕飯は何が食べたいですか?」
と聞くので、
「何か日本食が食べたい」
と言うと、日本食堂に問い合わせたらしい、
「お寿司があります」
と言う事で注文した寿司だ。
巨大なボールのような、おにぎりのようなものに、
ちょこんと茹でたエビが乗っかっている。
これが大きな皿の上に数個もデンと並んでいる。 



丁度、陳先生に電話で私の状況報告をしている社長はこれを横目で見て、
「今、食事するところです....」
多分、さっきのレントゲン異常なしの診察結果も報告しているに違いない。
結局、
「レントゲンの結果は異常なし、ボールのようなご飯を食べて食欲旺盛」
こんな第一報が、学校から日本まで伝わってしまったのだ。

楊さんは10時頃まで、足を揉んだり、手を摩ったりしてくれて、帰って行った。
後には、屈強な男が二人、残って、一つのベッドで大きな鼾をかいていた。


220
午前中に昨日とは違う先生の診察、
今日の先生は体中を指で押し捲る、首を捻っていたが、
「もう一度レントゲン検査しましょう」
の指示が出た。
また、屈強の男二人に支えられて、レントゲン室と治療室を行ったり来たりする。
エスカレーターが無いので、階段を上り下りするのだが、是がなんとも辛い。
二人の男に上手に上半身を吊り上げてもらっている間は、そうでもないのだが、
何かの拍子に、男の力が抜けた時、ズキンとくる。 
一日経過したが、頭の方は異常無い様だ。

陳先生から電話、
「何か希望が有りますか?」
「トイレとテレビの有る部屋に移りたい、それと、
私の部屋の中から、本を送って下さい」
幾つかの本を指名。
この病院には、トイレ、テレビ付きの部屋は無いのだろう。
結局、夕方には病院からホテルに移ることになる。
ホテルは洋式トイレだから助かる、
古い病院だから、トイレも旧式、しかも中国式、これが一番困った。

今日も楊さんが朝から晩まで付きっ切りだ。
夜、付いてくれる男性2名は楊さんが来ると帰って行く、出勤の様だ。

楊さんはナシ族の20歳、昆明で日本語を八ヶ月習ったとのことだ。
あの碧雲より上手、ことによると、陳先生より上かも判らない、
「毎日、日本人のガイドしていますから..」
小股の切れ上がったすらりとした美人だ、1メートル62センチ位か。

私の食事係も決まった様だ。



これがまた、とびっきりの可愛い二人、
一人はまだ16歳のペー族のお嬢さん、
真っ白な肌、大きなつぶらな瞳、あと、1、2年したら、
人が振りかえるような美人になることは間違いない。
もう一人は20歳の、普米(プメ)族の父と摩梭(モソ)人のハーフ、
プメ族も摩梭人もチベット系、



深い眼差し、彫りの深い整った顔立ちだ。

16歳の子の名は、楊春麗、以後私はチュンリーと呼んだ。
20歳の方が曹建蔚、こちらは曹操的曹(ツァオツァオダツァオ、曹操の曹)、
ナシ族の楊さんは日本語が出来るのでヨウさん、又はヤンさんと呼んだ。


思わぬ事から、思わぬ生活が始まった。
少数民族の人達の顔が見たい、話してみたい、
それどころか、毎日毎日、顔を突き合わせる生活が始まったのだ。  
斯様な事は、幸なのか不幸なのか? 神の仕業も味が有る。

春麗と曹操的曹は食事を運んでくると、暫く、話し込んで、帰って行く。
曹操的曹は物静かだが、春麗は煩いくらいに賑やかだ。 
皆、旅行社のガイドだ、春麗と曹操的曹は未だ見習なので、
私の食事係を仰せ付かったようだ。 
どうも、美人を選って私の世話をさせているのでは無いらしい。
この辺りではガイドという職業は、狭き門、選り取り観取りなのだろう。

楊さんと同じ姓の、毛沢東の最初の夫人、楊開慧の話になる。 
江青は楊貴妃と並んで悪女のレッテルが張られたが、
若くして国民党に処刑された楊開慧は中国国民に人気がある。 
人気女優の主演した楊開慧の伝記映画が放映されたせいかも判らない。

楊さんがナシ族の話をしてくれる、
「麗江の人口の68.2%がナシ族です」
と下一桁まで言った。
一般的に女性が働く、男性は専ら家事、子供の世話、読書、書画三昧、
だから、女性の方が地位が高い。
濾沽湖の近くには完全な女性上位家族制度が今もって残っている。 
ナシ語は日本語と共通点が多い、
母音で終わるのが普通、「二」は「に」と言う。 

こんな生活が1ヶ月続く事になる。


221
昨夜付添いで泊まってくれた邵と張、
朝やって来た楊さんの三人が私を抱え込むようにして病院へ行く。
医者先生が怒ってる、
「何故、病院からホテルへ移ったんだ、快復が遅れるではないか..」
「第12胸スイ圧縮性骨折、全治一ヶ月」
要するに、背骨が痛んだらしい、これを早く言ってくれればとっくに観念したのに。

心電図、超音波を撮って、また病院のベッドに逆戻りだ。
何しろ坐れないのが辛い。
食欲も無い、楊さんがスプーンで口に運んでくれる、
おそらく、物心附いて以来始めての経験ではないだろうか。

麗江市民病院、96年の大地震で崩壊し、現在も一部がバラック建てだ。
新病院が来年完成予定で、こちらの病院は殆ど手が付けられていない。
二つのベッド、脇机、蛍光燈、若干の食器、
これが全ての備品、当然、部屋にはトイレも無い、
これが一番困った。
邵さんが花瓶、ちり紙、下着、タオル、バナナ、
蜂蜜漬けの茸、等を買い込んで来てくれた。

結局、楊さんはそれから二週間、嫌な顔もせず、
一日の間も空けずに通って来てくれたし、
邵さんに至っては、退院までの一ヶ月、毎晩付添ってくれる事になったのだ。

勿論、会社の指示なのだろうが、大変な事だ。
楊さんの旅行社では楊さんが日本語を喋れる只一人のガイドなのだ。
そればかりではない、毎日毎日、入れ替わり立ち代り、いろんな人が顔を出してくれた。

2月19日: 彭さん他4名、旅遊局の楊炳華さんほか3名、日本人女学生2名、楊、張、邵
220: 彭さん他6名、楊、張、邵
221: 彭さん他2名、楊、張、邵
222: 彭さん他4名、彭さんの奥さん、王、楊春麗、楊、張、邵
223:: 彭さん他2名、高さん他3名、曹、楊春麗、楊、邵
224: 彭さん他2名、曹、楊春麗、楊、邵
225:: 彭さん他1名、王、鐘、張、張の恋人、曹、楊春麗、楊のお母さん、楊、邵
226: 彭さん他2名、 和、鄭、張、曹、楊春麗、楊、邵





一週間の日記を辿ると、ざっと、こんな具合に人が顔を出す、
とにかく、人が絶える事はない。
「病人に寂しい思いはさせまい」
と言う、彭さんの心遣いなのだ。 他何名の名前もだんだん判って来た。
彭さんは朝晩顔を出す事も有る。

食事掛かりの曹、楊春麗の二人は
朝昼晩の食事と若さを運んで来ては暫く話し込んで行く。 
物静かな曹と煩いくらいに賑やかな春麗、言葉は殆ど理解できないが、
二人の掛け合いを見ていると、暗い病室が明るすぎる位明るくなる。 

馴れて来ると、それぞれの人がボーフレンド、ガールフレンドを連れて来る。
その度に、まだ恋人の居ないらしい曹、楊春麗の二人は羨ましそうだ。



面白い事に気が附いた。
出入れする80%は女性だが、概ね男性がちょこまかと動く。
ゴミ捨て、食器洗い、お湯汲み、買物、時には女性が指図すらしている。

麗江から10時間も奥に入った、濾沽湖の近くに住むモーソ人は、
今でも完全な母系家族、
家長は年長の女性、男性は夜だけ通ってくる、
所謂、通い婚の風習が未だ残っているという。 
食事係の曹のお母さんはそのモーソ人だ。
後に、曹から更に詳しくモーソ人の話を聞くことに成る。

かくして、思いも掛けず、
少数民族の人々のなかに身を置き寝食を共にすると言う幸運?に恵まれ、
苦しいながらも楽しい一ヶ月、
私にとって生涯忘れる事の出来ない1ヶ月になった。

(完)
1年半後の訪麗江の旅を 続麗江記 として掲載します。

 

熟年の一人旅(中国編TOP
TOP




inserted by FC2 system