麗江記3

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運命の日がやってきた。
「007は二度死ぬ」いう映画が有ったが、私は三度目の経験だ。

8時出発の筈が8時半、久しぶりに家に電話する。
昨年の暮れ、新たに家族の一員に加わった仔猫も元気そうだ。
ノルウエー何とかという種類でとても可愛いらしい。

マイクロバスが来た、このバスも、クッションの効いた、
座席もゆったりした最新式だ。
麗江から暫くの上り坂を登りきると、ゆったりとした高原を快調に走る。 
時々、ガイドが立ち上がって席の全体を見廻す、
細かい気配りの効きさそうなガイドだ。
大海なようなまなこ、どちらかと言えば白目の大きい、でも真中は黒い瞳、
真赤な頬、林檎のようなガイドさんが、
明るい口調で客達の雰囲気をだんだんと盛り上げて行く。
左側二人掛け、右側一人掛けの席に十人余りの客、多少の空きが有る。
虎跳峡まで3時間の道程、何時の間にか、
前から順番に歌を披露することになっていた。
日本民謡なような中国民謡、テレサテンの歌、ステンカラージンも出てくる。

私の左側の四人組は日本の女子学生風だ。
私の前がガイドさん、女子学生達は何を歌おうかと散々もめていたが、
「蜜柑の花」を歌い出した。
何か中国人の中で歌うとしっくりしない。
次ぎは私の番、まさか、カラオケ無しの演歌でも有るまい。
「母さんの歌」「故郷」? どうもしっくりしないようだ。
女子学生達に応援してもらって、「蛙の合唱」でもやろうと決めた。
彼女たちは、「蜜柑の花」が雰囲気にそぐわない事を感じ取ったのか、
二番へ入ろうかどうかお互いに気配を交換しながら、プツリと止めてしまった。

「何でやめるの?」
と辺りの視線が彼女たちに集まった様な気がした。
とその時だ、眼前のフロントガラス一杯に赤土の土手が覆い被って来た。

一瞬、
「これはおかしいぞ!」
と脳裏を横切った瞬間、体がフワリと宙に飛んだ。
「これが死ぬって事かな!」

一瞬後、
「おや、生きてる」
車は真横になっている、
意識があるのを意識して、ムズと起き上がる。
「まず、火だ」
バスの中を見渡す、
人が大根か牛蒡のように折り重なっているが、
火の心配は無さそうだ。
嫌に静かだ、余りの突然の出来事に、
悲鳴すら上げる余裕も無かったようだ。

真上になったバスの出入れ口から青空が覗いている。
何人かが、その出入れ口からゆっくりと、這い出し始めた。
私も出ようとしたが体が自由にならない、
2、3人に助けられて、やっと、表に出る。
何人かの人は地面に横たわっている、
顔面から血がほとばしり出ている人も居るが、立ち上がっている人も多い。
皆、呆然として肩を落とす。
バスは進行方向と反対方向に回転し、
左側の土手に天井を食込ませて真横になっている。
それ程広くない道で真後ろに回転した格好だ。


(1ヶ月後に訪れた事故現場・ガラス破片が生々しい)

暫くして、小型トラックが通り掛かって止まった、
容態のおかしそうな人から荷台に載せられる。
私も誰かに押し上げられた。
今来た道を一時間余り戻る。
荷台に仰向けになっている男の額から血が流れている、顔面は蒼白だ。 
と、隣の女子学生が、私にウエットティッシュを差し出した。
顔を拭うと真っ赤に染まる、どうやら私も血だらけのようだ。

病院に着くと沢山の人達が待ち構えていた。 
二人の男に両脇を抱えられて診察室へ、
一緒に来た女子学生二人は私をサポートする為に付いて来てくれたらしい、
と悟ったのは大分後のことだ。  
診察が始まった、まだ40には届いていない女医さんだ。

「頭の傷を縫うと言っています」
彼女たちの一人が通訳してくれた。
こわごわと脳天に手を廻すと異常が有る、が痛みはない。
むしろ、腰のあたりの方が痛くて、坐っているのが苦痛なのだ。
二人の女子学生が、手術が終わるまでしっかりと両腕を支えてくれた。 
多分、麻酔が掛かっていたのだろう、後で聞くと十四針縫ったとか。
包帯をグルグル巻き付けられて、別室に移され、
何人かの人達と一緒に長椅子のような物に寝かされる。
どうも放り出されたような様子ではない。  
幸い、彼女達は二人が指と額にかすり傷を負っただけだ。

「頭を打つと、始めはナンデも無くても、イキナリ、 
あの世か、植物人間になってしまうんだよー」
と聞いてはいたが、
「頭を打って血が出た時は、重症ではない」
と聞いた事が有ったし、何か自分でも頭はたいした事が無いと、
変な確信のようなものが有った。 
それでも不安が走る、いずれにしても、
「じたばたしても始まらない」
覚悟を決めると以外に思い残す事は無い。
これが現役の時だったら、あれやこれやで混乱の極度に至っていたに違いない。

一段落して、彼女たちは自分達の後始末に帰って行った。 
彼女達も、念のために後遺症の補償を取り付けたいのだ。
暫くして、数人の男がやって来た、病院を移るらしい。
ここは麗江から大分離れた田舎の病院、此所では応急処置であり、
本格的な治療は麗江の病院でやるらしい。
麗江まで一時間くらいだが、
今度の車は乗用車なので、さっきとは比べ物にならない。
さらに、両脇で屈強の男が支えてくれるし、
とはいうものの、少しの揺れでも、激痛が走る。

二人の男に支えられて、レントゲン室、治療室を行ったり来たりして、
やっと、病室のベッドで横になれた。
といっても、仰向けになったままだ、少しでも体が動くと激痛が襲う。
今日は此処へ泊まるらしい、入院のようだ。  

学校と家に電話したいのだが... 
旅行社のリーダーらしき男が手際良く手配する。
旅行局の局長さんと言う方も見舞いに見えた、彼は高らかに言った。
「ここは麗江で一番大きい病院です、
96年の地震でやられて、今、新しい病院を建設中です。
一流のお医者さんが沢山いるので何も心配有りません、
どうぞ、ゆっくり静養なさって下さい」

何故、旅行社の人達がこれほどに立ち回って、
面倒を見てくれるのか、その訳がだんだん見えて来た。
ホテルのツアーと思っていたのは、実は、旅行社のツアーだったのだ。  
今朝、もし、名も無い個人タクシーでも雇っての事故だったらと思うと、気が遠くなる。  
幸か不幸か中国最大の旅行社のツアーへの参加だったのだ。  
しかも、私の身分は公式の留学生、70%不安が消えた。

つづく

 

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