岳陽留学記6

1228
連さんよりテレ、急遽、山峡の予定変更、
12月31日出発の予定が29日、明日の出発となる。
慌てて、娘と準備に掛かる。

1229
4:30 、途中カメラの電池を探すのに時間を取られ
岳陽楼門前での碧雲との待ちわせ時間に5分遅れて到着、
急な予定変更で碧雲は不安だっただろう。

岳陽賓館で出発前の腹ごしらえ、いつもの広東風の琴の調べが心地よい。
6:30 連さんとガイドの方さんと落ち合う。
出発は何時か判らないという。
波止場に行くと、船は8:00出発と決まったらしい、まだ1時間あまりある。
売店で食料、ビールを仕入れる。

「乗船する時、口をきかないように!」
例の外国人料金の問題だ、随分と大きな船だが客はまばら、
シーズンオフのせいだろう、4人部屋の2等席、
一応バス、トイレ付き、クリーニングしたばかりの布団、
毛布、枕がキチンとおいてある。空調は付いているが入らない。
シャワーもお湯が出ない、さしずめ、一つ星に一寸足りない感じだ。

夜、探検すると、通路に寝ている人が何人か居る、これが5等なのかも。
11時、就眠、やたら冷える、布団を多くして良かった。
寝る前に、ガイドの方さんに、布団を増やしてくれるよう交渉を依頼したら、
彼は自分の布団を投げて寄越した、碧雲の通訳によると、
「鍛えて有るから寒さは何とも無い」
との事だった。
方さんは23歳だそうだ、若いってのは凄い。
自分の23歳を思い出し、しばらく回想に耽る。

1230
霧で何も見えない、昨晩、やたら汽笛が鳴ったのは霧のせいか、
じっと窓の外を睨んでいると、時たま霧が薄れて対岸の景色が幽かに現れる。
街並みであったり、土手だったり、たまには人影もある。

沙市で下船、荊州の古城、劉備が孫権に借りて反古にした街、
街を囲む城壁、多分再建されたのだろう。
街並み、これは明らかに再現、に三国時代の面影が偲ばれる。
孔明が腕を振るった囲いの跡もある。
敵を門の中に導いて門を閉めると大きな袋小路、
右往左往する敵を城壁の上から弓矢で射殺した、
その状況が手に取るように判る。
沙市と荊州の区別が判らないが、多分武漢と同様だろう。

荊州の博物館、
ここにある60歳位の男性のミイラは中国で発見されている最も古いものだそうだ。
あの長沙の馬王堆のミイラは有名だがこちらは知らなかった。
多分、盗掘の有無に因る埋蔵品のせいであろう。

2000前の楠の木の器が沢山展示されている。
外壁が楠の木の墓も殆ど原形を止めている。
それほど楠の木は丈夫だということで、
楠の木の櫛や彫り物がこの地の特産物になっている。
魔除けに使ったらしい四本足の動物、メモを無くしたが、
不規則に並んだ四本の足の先が亀だったり蛇だったり、
奇妙な造形が面白い。

宣昌まで高速道路で2時間あまり、船がゆっくり動いている間に、
荊州を観て車で追いつく、と言うわけだ。
15、6人乗りのマイクロバスがぎゅーぎゅー詰め、
体を捩りながら煙草を吸ってる奴も居る。

宣昌、以前は、ほんの小さな街だったのだが、
山峡からの移民で膨れ上がりめきめき大きな街に変身しているそうな。

9時に乗船の筈が5時だと。 以降、突然の時間変更に悩まされ続けるのだが。
それでも、時間はたっぷりある、近くの食堂に入る。
少しも期待してなかったのに、頗る美味しい。味噌味のような鍋物だ。
魚が格別美味い。
船の食事の不味さのせいかも判らない。

船の食堂、5、6人坐れるテーブルが10個くらいある。
方さんが食事の準備が出来たと呼びに来る、
一つのテーブルにデンと料理が載っている、それが我々の物だ。
まわりの人はプラスチックの入れ物に、
ご飯とおかずを盛り合わせたものを食べている、しかし、羨望の眼はない。



美味しくない、暫く観察していたら、何のことはない、
我々の料理は品数と量が多いだけで、全くおんなじ物を食わさているのだ。
まあ、船とか飛行機の食事の相場は決まっているけれど....

宣昌から長江を少し上ると、葛州ダム、船が入りきると入口が閉まり、
水位が70メートルも上がり、出口が開きダムの上に出るという仕組み。
70メートルと言うと何階建てのビルになるのだろう。
山峡ダムが出来ると、170メートルも上下するのだそうだ。
ヨットやボートを上下させるフランスの田舎の運河のがいかにも可愛い。
シーズンオフなので一時間もかから無い、これが観光シーズンだと、
船の行列が出来て、何時間も待たされるのだ。




1231
明け方、目を覚ますと、船の照明が両岸の絶壁を照らし出している。
山峡に入ったらしい、5時、奉節下船。
今は乾季で、土手から大分下がったところに船着場があり、其処にタクシーが何台か並んでいる。
その一台に乗り込む、砂に嵌まりながら、真暗闇の中を10分もするとXX賓館、
人通りの少ない細い道に面し、看板に工事用の足場が組まれている。
中に入ると工事中で足の踏み場も無いようだ。
ガイド君、
「ここが奉節で一番良いホテルです」
と申し分けなさそうにニヤッと笑う。

1時間程休む、奉節の女性ガイドが朝飯は外でと表に出る。
先刻の暗闇の通りが嘘のように人でごった返している。
一寸した食堂を期待したら、ズラリと並んだ大衆食堂の一つに入り、
「何でもお好きなものを」
だと。

タクシーで白帝城へ向かう。
人と車でゴッタがえす街を警笛を絶やさず突き進む。
長江の峡谷の猫の額程の街、といっても何万人かの人口は有るだろう。
日本の峡谷の街とはスケールが違う、やがてこの街全体が水の底になる。
ガイドの指差す山の中腹にダム完成時の水面の標識が白く光っている。




白帝城の入口、物売りと駕籠かきがしつこく絡んで来る、駕籠かきは
「30元、30元」
と、なんと、2、300メートルくっ付いて来る。
四国の金毘羅様のような二本の竹竿の間に篭の椅子のようなものを乗せて二人で担ぐ奴だ。
一寸油断すると、強引に竹竿を頭の上から入れて来る。
幾ら
「不要、不要(ブヨウ、ブヨウ)」
と言っても離れない、二人のガイドは仕方なさそうな顔をしている。
ついに、碧雲が怒り出した。
ガイドが駕籠かきと碧雲の間に入る。
地元の駕籠かきとは喧嘩をしたくないのだろう。
ガイドは駕籠かきに煙草などやって宥めている、今度は碧雲とガイドが遣り合い出した。

殆ど平らな道を歩き切ると、リフト、スキー場にあるのと同じ二人乗り、



あっと言う間に白帝城。
少年時代、胸を膨らませた三国志の圧巻の一つだ。

長江と支流の草堂河のY字状の絶壁に立つ白帝城、
如何にも劉備玄徳、諸葛孔明好みの城だ。
玄徳が息子のことを孔明に託す場面の実寸大の塑像が、ここの芯になっている。
山峡ダムが完成すると、白帝城は水のなかにぽっかり浮かぶ島になり、
船でしか行き来が出来なくなる。

朝辞白帝彩雲間
千里紅陵一日還
両岸猿声啼不住
軽舟己過萬重山

この詩は、その昔にノブトキ潔(?)作曲の歌を合唱した事があり、
全文が暗唱出来る数少ない漢詩の一つだ。









 



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午後、劉備と甘夫人の墓へ。
師範(?)学校の敷地の中にあり、校門で入場券を売っている。
当然ながら盗掘され、長い間放置されたのを後世の人が整えた。



近くに明時代の建造物が現存する、その一角に孔明が実戦で用いた迷路が再現されている。
20メートルほどの迷路だが、これを一回で通り抜けられた人は相当に聡明な人だそうだ。
試してみたが、2、3回後戻りした。

ここのガイド君は岳陽のガイドの方君と朋友のようだ、ニコニコして街を案内してくた。
長江に沿って唐時代の石壁が、剥き出しで、しっかり残っており、
その石壁に沿っていろんな店が並んでいる。
いまでも生活の場になっているのだ。

ガイド君の家もやがて水の中になる、もう行き先は決まっているのだそうだ。
政府から一人2万元支給される、大人も子供も区別ない、
「じゃあ、子供を沢山作ったらいいじゃないの」
といったら、例の規制でそうもいかないらしい、
「多少は揉めてるのではないの」
と尋ねると、
「そんな事はない」
そうだ。

奉節一のホテルも朝の休憩だけとなる。急遽、予定変更だ。
5時に乗船して巫山に8時に着き、そこで一泊となる。

連さんからテレが入る
「何しろ、シーズンオフだもので......」

6時乗船。
船着場のトイレを覗いたら、直下を長江がとうとうと流れている。

同じ2等でも差がある、前回の方がまだ良い。
方さんが山峡に入ったと告げに来る、21元払って舟の屋上にでる。

左右から岸壁が迫る、川幅も急に狭くなり相当な急流だ。
これぞ山峡ぞ、と悦に入っていると、方君の指差す方向に古代の横穴式の墓、
絶壁のど真ん中に、何故、どのように作ったのか、今もって謎だそうだ。



いずれにしても、こんな絶壁に墓を作ったのだから、何らかの意図があった筈だ。
人も獣も近づけない絶壁に墓を作るのは相当な財力が必要だ。
後で聞いた話だが、いろいろな調査の結果、作り方は、三方法が考えられ、
墓の位置が絶壁の高い位置に有れば有るほど、
死者に対して深い慈しみがあるらしい事が判ったという。

巫山に着くと直ぐタクシーに乗り込む、と言っても日本でもよく見かけるが、
座席が二列有って後ろはトラックの荷台のようになっている奴だ。

途中泥濘に嵌まって前に進まない、
長江の船着場から土手まで、かなりの勾配の距離、
おまけに折からの雨でグチョグチョ道だ。
エンジン全開にして一気に急勾配を登ろうとするのだが途中で車輪がスリップして空回転して後戻り、
と、又下までバックして仕切り直しだ、これを4回ほど繰り返す。
誰かが車の窓を叩く、何か交渉している。
「俺が後を押してやるから街まで乗せろ」
の様だ。
やがて、後ろの荷台に大きな荷物が一杯に積み込まれ再出発、
左右に大きく揺れながらも土手に登りつく、と、街までの路はあっけない。

巫山のホテルは戴ける、グーだ、三つ星は上げられる。
カウンターに4、6時中人が居るのが、まず、安心していられる。

今日は大晦日、旧暦が一般的な中国では何処も同じだが、
ここでも全くその気配も無い。
夜8:00、一寸、早いが新年に乾杯!
明朝は9:00起床して小山峡だ、ゆったりと熱い風呂に入り、ゆっくり寝床に入る。


0101
朝、5時に叩き起こされる、直ぐ出発だと、方さん焦っている。
飯も食わないで舟に乗り込む、20人位がやっと乗れる小さな舟だ。
他の団体客と一緒で満員、舳先に長い竹竿を持った男が二人立つ。
女性のガイドがマイクで要所要所を案内する。

いよいよ、小山峡に入る、顎が痛くなるほど見上げないと空が見えない。
様々な様相の岩肌が両岸から迫る、凄い迫力だ。
例の李白の
「両岸の猿声鳴いて止まらず」
を思い出しガイドに冗談半分で、
「猿は居る?」
と尋ねると、
「暖かくなると出て来るが、今は寒いから居ない」

時折、ガリガリ、ゴリゴリっと不気味な音、舟底が石に触れる音だ。
その度に乗客の顔色が変わる。
件の二人の男が竹竿で岩を避け、必死に、舟を誘導
する、乾季であちこちに浅瀬が顔を出しているのだ。



船頭の巧みな竿捌きに、いつしか、ちっとやそっとのガリガリ、ゴリゴリには誰も驚かなくなる。

浅瀬に入り舟が流れに負けて、横向きになったり、時には逆向きになったりする。
時折、人の歩く程の速度になる、と、浅瀬に少年が現れる。
誰かが少年に何かを投げる、何時の間にか6、7人の少年少女の群れが出来る。
幼児も交じっている。
乗客が面白がって、小銭や菓子を投げ与えると、子供たちは、必死で拾い捲る。
大きな子ばかりが..と見ていると、素早く、幼児に手渡しているのが目に入る。
皆、裸足だ、必死で舟に追い縋る。



周囲の拍手喝采を浴びて一人の乗客が照れくさそうに大枚を投げ与える。
舟が浅瀬を乗り切り、何時までも手を振る少年達が遠ざかると、
一瞬、船内に寂寥感が漂う。

もっとも、その後、浅瀬に差し掛かる度に子供たちの群れが現れ、中には、
長い竹竿のさきに丸網を取り付けたのを持って、舟に差し伸べるのもいて、
食傷気味になるのだが。





途中、水面から4、50メートルの高さに、四角い穴が規則的に並んでいる。
これが「蜀の桟道」に代表される絶壁の穴に横木を渡して造った古道の跡だ。

奇岩には、龍、亀、虎等それらしく名前が付けられている、観音坐蓮台と対岸
の八戒拝観音は、小山峡の圧巻の一つ。

大きな浅瀬になると、全員が舟から下ろされ歩かされる。 その道すがら、
露店が並んでいるという寸法だ。
何時か岳陽の露店で大分まけさせて、
20元で買った鶏血石もどきの印石が5元で売っている。
石?の指輪を10個買う、一個一元、余談だが、
これは帰って仲間に上げたら喜ばれた、皆、今でも嵌めている。

舟が止まった一つの浅瀬で、5元で古代の木棺が見れるとある。
勿論、足の痛みを堪えて、少し歩く覚悟する。
一寸上ると行き止まりになっていて、
望遠鏡を据えた男が居る、ウロウロしていると、これで見ろと言ってるようだ。
成る程、望遠鏡で覗くと、そそりたった絶壁の遥かな高所に木棺らしきものが見える。
どうやって、あそこまで...とても人や獣が行けるところではない。

半日掛けて溯り、大きな浅瀬で休憩、ここで舟は引き返す。
碧雲は石を一生懸命拾っている、そう言えば、さっきの露店で、
石が沢山並んでいた、この辺は化石も沢山発見されている。

何時の間にか、太陽が輝いている、小春日和の感だ。
「あッ! 猿だ!」
誰かが叫ぶ、一寸高まった崖の上の木に三々五々、猿が木の枝をつまんでいる。
折からの陽光に誘われて日向ぼっことしゃれ込んでいる。

7時に出発して12時に引き返す、上り5時間、下り2時間のゆったりした舟旅。
巫山の船着場に戻ると、方君が待っている。
何か慌てている様子だ、直ぐ出発らしい。朝からパンと菓子しか食べてない。
舟はもう着いている、慌てて乗船。
3時半だ、今度の時間変更は有り難い。
夜の出発では見る事が出来ない山峡を堪能出来る。
25元支払って船の屋上へ出る。



巫峡の景観を堪能、神秘的な神女峰、太陽に向かい一心に祈る姿は、いかにも神々しい。



何処からか飛来したと言われている。
「大昔の人は、本当に飛べたのだろうか?」
碧雲が変な事を言い出した、先刻の神女峰の伝説のことを考えていたのだろう。
そう言われてみると、飛天とかもある。
「人間が人間になる前は何だったのか判らないが、神の次に何かになって、
その何かが、鳥とか、魚とか、獣とかに別れていったと思うから、
そこまで太古をさかのぼると、もしかしたら、飛べたかもよ、
そう言えば恐竜の中に羽を持った種類も有ったとかよ」

対岸に時々、民家、人が現れる、急斜面の猫の額程の畑を耕している。
彼等はどんな暮らしをしているのだろうか。
「あの人たちは何故ここに住んでいるの?」
「あの人たちの先祖は、飛んできたのかしら?」
碧雲の素朴な発想が続く。
殆ど寝ている娘も起き出してきた。



夕食時まで食堂閉鎖。
一寝入りすると、闇の中に山峡ダムの工事現場の灯かりが煌煌と照り輝く、
いつかのテレビ放送を想像しながら通り過ぎる。

両岸に、大きな都会、既に始まっている移民の都市だ。
200万人の人が移住するというのだから、移民という言葉がぴったりだ。
舟は殆ど揺れない。

夜中に、葛州ダム、舟の上下、出入りをつぶさに見物、狭い堤の中、
壁スレスレに5000トンもの舟が入って来る、見事な舟さばきだ.
70メートル余りを5000トンの舟が一気に降りる豪快さ.



102
方が食事を急かせる、食堂に行くとみんな冷めかかっている。
不味い上に冷えていて食えたものではない、ボリュームばかりが嫌に多い。
起床何時、食事何時と何故予定が立てられないのだろう、彼も駆けずり回っている。

昨夜、ふっと目を覚ました時から舟は止まっている、霧のせいだ。
娘は読書、俺は日記、碧雲はテレビ、こちらの人間はテレビの音を極端に大きくしてる。

娘と碧雲が化粧の話をはじめる。
日本では、若い女性達の間で、クイックマッサージ、30分3000円、が流行しているとか。
中国の女性のお化粧上の重要なポイントの一つは、目の下側の縁の黒さなそうな。
中国では、刺青をして黒くしている女性もいるそうな、碧雲、
「私は、ナチュラルで黒いから問題無い」
そうな、そう言われてみると、碧雲の目は、あの関羽とか張飛のような、
目の縁がはっきりしていて、白目の多いぎょろりとした大きい目だ。

6時間、ジットしていた舟は、少し視界が開けた長江をゆっくりと動き出す。
この調子だと、岳陽着は夜中の三時頃になりそうだ。
沙州を過ぎ、単調な両岸の景色が続く、まるで、
同じ画を何回も何回も観ているような錯覚に陥る。

昼食、夕食、こちらで選択したいと申し出たら、
2等客の食事はきまっているのだそうな。

12時、岳陽着、連さんにテレ、度々の計画変更に、連さん恐縮している.

つづく

 

    

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